3-11

被災地は、インフラ整備が終わった後、持続可能な地域社会をどうつくるのかという課題と向き合いつつある。
「東日本大震災の余震とみられます」という言葉、大地震の後の報道でよく見聞きしますが...
東日本大震災から10年。今年はLINEでも同様の取り組みが行われます。日本赤十字社は、ツイートすると100円が寄付される企画を実施しています。
2011年3月11日、出身地の仙台で被災。あの日、最も記憶に残っているのは大きな地震の揺れではなく、避難した後に降ってきた「雪」だった。10年が経ち、被災者の1人だった彼が、アスリートになった今、伝えたいこと。
「何かしなくては」という思いと、自信が持てない自分との狭間で悩み続けた日々。兼子佳恵さんが走り続けた10年間のこと。
いまから10年前、東日本大震災後の南相馬市をはじめとする被災地で「編み物」が人をつなげることに一役買ったのを、ご存じだろうか。
「日本は何も変わっていない」という嘆きと、少しの希望。被災地での女性と子どもに対する暴力を調査した女性に、あれから10年を聞いた。
人口1万2千の小さな町で、陣頭に立ち続けてきた指揮官の胸の内を紹介する。
東日本大震災の時、女性はこんなことに困っていた……なかなか知られていないけれど、被災時から復興、そして防災に取り組む中で、現場からは数々の困難が報告されている。
PRESENTED BY JICA
「小さな備えをしていかないといけない。それが生きている人にできる唯一のことだから」2月13日夜に東北地方を襲った地震は、10年前の記憶を人々によみがえらせた。