少し前、ある面白い記事を読んだ。
2002年に、小柴昌俊先生(東京大学特別栄誉教授)がノーベル物理学賞を受賞した際、多くのメディアが「その成果は将来、何かの役にたつのでしょうか」と聞きました。
小柴先生は、大きな星が最後に爆発するとき(超新星爆発)に放出されるニュートリノという素粒子をとらえることに成功しました。(中略)
この素粒子は1秒間に私たちの体を何兆個も通り抜けるほど大量に存在しますが、その存在を感じることはほぼありません。なぜなら、物質とほとんど反応しないからです。
そのような物質が、将来、通信か何かの「役に立つ」とは考えにくい。そこで小柴先生は「まったく役立たない」と、明快に説明していました。
(東洋経済ONLINE)
「なんの役に立つのですか?」と問われ、「全く役に立たない」と回答することは多くの状況において、通常「してはいけない」回答だ。
特に企業においては「短期的に明確なリターンがないこと」が忌避される傾向は、データ上も見て取れる。
"我が国の研究開発投資の大宗は、民間企業によってきたが、リーマンショック以降急減している。例えば、NTTグループやNHKにおける研究開発費も2001年度と2010年度を比較すると大きく減少している。また、民間企業は研究開発費を削減する中で、基礎研究よりも成果に結びつきやすい開発研究を重視する傾向にある。"
(出典:経済産業省)
「なんの役に立つのか?」であったり、「どれくらい儲かるのか?」と言った質問に基礎研究は回答することができない。それができないから、基礎研究なのだ。
あえて言ってしまえば、目的は「科学の発展、人類の発展」と表現しても良い。
経済産業省はこの状況に対し、「将来の競争力に大きな影響が出るおそれ」と分析している。
「今すぐには役立たないけれど、やっておかなければならないことがある」という認識は、おそらくほとんどの人が持っているだろう。
個人レベルの出来事に置き換えてみればわかりやすい。
「バランスの取れた食生活をする」
「少しずつで良いから日々運動する」
「読書する」
といった活動は今すぐ人を健康にしたり、金持ちにしたりするわけではない。しかし、それは長期的には人生の質を左右する。
しかし、残念ながら日本においては、「地味な日々の活動」である基礎研究はますます縮小している。
なぜこのような状況なのだろうか。ありがちな回答は、「企業が短期志向になっている」かもしれない。しかし、個人的にはそれだけではないと思う。
本当の理由は「基礎研究をやりたい人が減っている」のではないだろうか。企業の都合ではなく、むしろ個人の意識で基礎研究が行われなくなっているのではないか。
なぜなら、「基礎研究はそれを行う人が金銭的に報われにくい」からだ。
研究が基礎的であるほど、科学全体へのインパクトは大きい、しかしそれは自分への金銭的なリターンがとても得られにくいということも意味する。
純粋に研究が好き、地位も名誉も関係ない、報われるかどうかは問題ではなく、純粋に歴史に自分の名を残したい、そういう学者が、基礎研究をやる。
ノーベル賞を貰えれば大成功だ。しかし、それは研究者の中の極々一部、運の良かった方々であり、ほとんどの基礎研究者は無名のまま一生を終える。
だから、私はそういう状況の中でも敢えて基礎研究を選択する献身的な研究者に感謝したい。
「役に立たないと思っていたこと」が、ある日突然、「人類を救う」ことになるかもしれないのだから。
・2014年8月20日 Books&Apps に加筆修正
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