そろそろ4月になります。この季節、新しく社会人になる方や、職場を変わる方も多いと思います。
新しく社会人になる方は、初めての「給与」をもらいます。
職場を変わる方は、給与の変わる方も多いでしょう。
自分の取り分が上る人もいれば、上がらなかった人もいるでしょう。むしろ、下がってしまった人もいるかもしれません。
ところであなたは、他の人がどの程度もらっているのか、気になりますか?友達がどの程度もらっているのか、気になりますか?
「給与ランキング」のような記事がよく見られたり、「給与の高い会社ベスト◯◯」といった特集が組まれた雑誌が売れているところを見ると、給与に興味のある人は非常に多いのではないかと推測します。
それは、もちろん悪いことではありません。
では、給与をもらう側ではなく、支払う側、すなわち「経営者」はどう思っているのでしょう?
もちろん千差万別ですが、一般的な経営者はみなさんに、間違いなく、「自分の給料を気にして欲しい」と思っています。そうでなければ、「給与の上げ下げ」という強力な権力を使うことができなくなるからです。
お金の最も効果的な使い方は、他の人と「ほんのちょっとだけ差をつける」ことです。
あんまり差が付き過ぎると、やる気を失う人のほうが多くなって、全体のパフォーマンスが落ちます。
また、お金によるモチベーションはあまり長続きしないので、どうしてもコストが高くつきます。
逆に、差が全くないと、今度はごく一部の出来る人達が不満を持ち、人材が流出してしまいます。
ですから、出来る人達が「まわりよりほんのちょっとだけ多くもらえる」仕組みを作った会社が、「給与」という権力をうまく使っているといえます。
適度に差があり、皆がそれに対して鋭敏になっている状態が、経営者としては社員をうまくコントロールできる最高の状態なのです。
でも、最近は「お金にも権力にも興味が無い」という人が増えています。
給料の上げ下げに全く反応しない。給料が高いからといって働くわけではなく、安いからといってサボるわけでもない。
いわゆる、「欲がない」状態の人です。
こういう人は、「会社にとっては非常に扱いづらい人」です。「エラくなること」や、「お金」に最低限の反応しか示さないので、経営者はどうやって社員をコントロールしたら良いのか、わからないのです。
わからないものを、人は怖れます。ですから、こういった人はサラリーマンとしては出世できません。
「アイツは何を考えているのかわからない」と言われたり、「やる気がない」などと言われたりします。あまり良くない状態ですね。
特に本人は「やる気がない」と思っているわけではないのですが、どうしてもそう誤解されます。
しかし、本来、「無欲」は素晴らしいことだったのではないのでしょうか?
仏教の始祖であるゴータマ・シッダールタは、「世界における欲と憂いを捨て去るべき」と臨終の際に述べたといいます。
無欲は善。無欲は解放。
昔話では、欲深い人は、最後たいていひどい目にあう。
舌切り雀のおばあさんは、お金欲しさに大きなつづらを持ち帰って、ひどい目に会いました。
だから、「無欲」は本来責められるべきではない。
「無欲」は悪いことではなく、むしろ素晴らしいことです。
では、それが正しいとすれば、
経営者は「コントロールできない人」をどう扱うべきなのでしょう。
おそらく、「お金によるコントロール」を捨てた会社は、次のステージに進まなくてはいけません。
すなわち、欲望によらなくても、志によって気力を出してもらう事のできる事業、体制を持つ会社です。
これは、言うほど簡単なことではありません。
会社が小さいうちはともかく、会社が大きくなればどうしても「志」を原動力として経営をするのは難しくなります。
ですから、そのような会社は、採用の段階で「志」を共有できるかどうかを注意深く見ます。
「自律している人」だけを採用したい、そのように考えます。
能力が高いことはもちろん、「志に向かって自律的に動く」人材。
逆説的ですが、そういった人材には惜しみなく高い給与が支払われます。「給与の上げ下げにあまり頓着しない」からこそ、思い切った額の給与が払えるのです。
まだそのような人材は世の中に少ないでしょう。
しかし、物質的にある程度満たされた、成熟した社会では、そのような人こそ、
「求められる人材」となるのは必定です。
そういった変化についていける人は、果たしてどのくらいいるのでしょう。
私は少し心配です。
・2013年10月15日 Books&Apps に加筆修正
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