新卒採用がいよいよ終盤に差し掛かる季節だ。昨年12月から始まった採用活動は現在、約半数の人が内定を得るフェーズにある。電車の中で見かけるリクルートスーツの学生の多くは、「面接」の行き帰りなのだろう。
さて、この季節になると、面接官として、あるいは履歴書のレビューアーとして様々な活動に携わった時のことをしばしば思い出す。
そして、一つのエピソードが強く記憶に残っている。
ある時、無事に新卒で入ってきた新入社員に、こう聞かれた。
「なんで、新卒採用って人事の方が上から目線なのですか?」
私はそのようなことを考えたこともなかったので、「どういうこと?」と聞き返した。彼はこう続けた。
「だって、採用の案内だとか、人事のブログとか、あるいは会社説明会に行っても、みんな偉そうじゃないですか。」
なるほど。確かにそうかもしれない。リクナビの就活アドバイザーなどの話を読んでも、やれマナーだ、身だしなみだ、言葉遣いだ、様々に「配慮をする」ように書かれている。
「もちろん、学生なんて社会の厳しさをわかっていない部分もあるけど、別に社会人だからって偉いわけじゃないですよね。それとも、「年長者だから偉い」という論理ですかね?」
うーむ。確かに「偉そうにする人」と言うのは存在するが、人事が特にそうというわけでもなさそうだが・・・。
「まあ、いろいろな会社に行って、そう感じることが多かったので、言ってみただけです。気にしないでください」
そう言われると、ますます気になる。気になったので、いろいろな会社の採用のページを見たり、担当者に聞いてみたりした。
すると、多くの人事担当者から意外な答えが返って来た。
「面接では、そのようなクレームをいただくケースも多いです。特に、今は偉そうにしたりすると、すぐにWeb上の掲示板などに書き込まれたりするので、ウチでは非常に気をつけています」
という。
「特に、面接官がした質問が意味不明だった」であるとか、「非常にプライベートなことを聞かれた」であるとか、むしろ面接官の常識を疑いたくなるようなこともある。
その根底にあるのは、「学生を試してやろう」という考え方のようだ。
「圧迫して、ストレス耐性を試してやろう」
「答えのないような問題を出して、知恵を試してやろう」
「論理的に回答できるか、試してやろう」
いつから人を試せるほど偉くなったのか。
「人を試してはいけない」とあれほど言われているにもかかわらずだ。
なぜそんなことになってしまうのか。
そこで、「クレームをもらった面接担当者」の何人かに話を聞いてみた。
驚いたことに、多くの人は「偉そうにしていた」という自覚がない。しかも、お話をしてみたところ、ほとんどの方はいわゆる「普通」の人であり、特別偉そうにしているわけではなかった。
ではどうして学生の受ける印象と、我々の受ける印象が違うのか。
ベテランの人事経験者が、ヒントをくれた。
「多分、新卒の頃の自分と、今の学生を重ねてしまうのでしょうね」
推測するに、長いこと社会人をやっていて自分たちが得た経験を学生に「教えてあげたい」という気持ちが強い人ほど、「偉そうに見える」のではないだろうか。
「あー、自分もそうだったな、教えてあげたいよ」という気持ちが、時に「教えてやる」という態度に変わってしまう。
居酒屋で、後輩に説教を垂れる先輩、といった構図そのものにも見える。
ともすれば自分もおかしそうな過ちである。本質的には採用は人を試す場でなく、説教をする場でもなく、「お見合い」なのだと、改めて思う。
(2014年1月16日 Books&Apps に加筆・修正)