「素直さ」が美徳であるとの認識は、日本人には馴染み深いものだろう。
松下幸之助は「素直さ」ということにはかなりの拘りを持っていたようで、「素直な心になるために」という本まで出している。
たしかに素直さは大事である。
なぜソクラテスは「最も賢いもの」だったのか、それは
「少なくとも「自分が何も知らない」ということを知っていたから」
という「無知の知」と言われるエピソードは、あまりにも有名である。
人間が知ることができることは限られている。また、人間ができることにも限界がある。それゆえ、「素直さ」「謙虚さ」ということが美徳とされることに異論はないし、成長のためには必要なことなのだろう。
しかし、自分への戒めとしているならばともかく、「素直になれ」と人に向かって言うことは上の話とは別である。
はっきり言えば、私は軽々しく人に向かって「素直になれ」という気にはとてもなれない。
なぜなのか。
「素直さ」というものは、人に言われて身につくものではないからである。
しかもそういう時、「素直さ」を人に求める人のセリフは決まってこうだ。
「オレの言うことを聞かなければ、オマエは成長しない」
つまり、「素直さ」と言う美徳を、人に自分のいうことをきかせるためのツールとして使っている。
だから、それを言われた人はほぼ100%こう思っている。
「言っているオマエは素直なのか。とてもそうは思えない。事実、オレの話は聞いていない。」
「素直になれ」は他の人に言う言葉ではない。ひたすら自分に向かって言う言葉だ。事実、松下幸之助の本のタイトルは「素直な心になるために」である。自分に向かって戒めをしている。
そして、そういう人の行動を見て、周りの人は初めて「素直とは何か」を感じるのである。
素直さ、とは教えてもらうものではない。
素直さを実践している人から感じるものであり、行動を見せることでしか説得力を持たないものである。
特に会社においては、部下に言うことを聞かせるために
「素直になれ」
と言う人が多いようだが、いうことをきかせたいなら「素直になれ」などと言わず、
「黙ってオレの言うことを聞け。そうすれば成果が出る」と言えばいいのだ。
・2013年4月24日Books&Apps に加筆修正
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