被災地に音楽を 今あなたにできること

「一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクト "えころん"」は、三陸の町で被災した人々に向けて、音楽療法による心と体のケアを行っている。

先週末、音楽療法の講演を行うため、岩手県宮古市へ向かった。

講演を企画したのは、「一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクト "えころん"」のみなさんだ。彼らは、三陸の町で被災した人々に向けて、音楽療法による心と体のケアを行っている。

音楽療法とは、簡単に言えば、対象者の心身の健康の回復や向上を促すために効果的に音楽を利用することだ。アメリカでは、9・11テロやハリケーン・カトリーナなどの災害の後、多くの音楽療法士が被災地で活動した。国内でも、今後医療・福祉現場においての活用が期待される。

智田邦徳さんと三井和子さん

土曜日の夕方盛岡入りし、日曜日の朝えころんのメンバーと宮古へ向かった。盛岡から宮古まで車で2時間ほどかかる。車の中で、音楽療法士の智田邦徳さんや三井和子さんからいろいろと話を聞いた。

盛岡在住の智田さんは、震災の1ヶ月後から定期的に宮古の仮設住宅で音楽療法を行っている。花巻在住の三井さんは、陸前高田や吉里吉里の仮設住宅を回っている。震災から5年近く経った今、いろいろな変化があるという。

「毎年変わるんです。すごく団結していた年もあったし、被災者同士でもめた年もあった。今は仮設から出て行く人が多くなって、またいろいろなことが変わってきている時期なんです」

三井さんが言った。

被災地の人々は震災で多くを失い、その後もさまざまな変化を経験してきた。肉体的にも精神的にも疲れる過程だ。そんな中で、被災地の人々と信頼関係のある人たちが、継続して支援していくことが重要だ。

宮古市の仮設住宅

宮古に到着すると、まずは仮設住宅に連れて行ってもらった。突然伺ったのにも関わらず、智田さんがいつも通っているところなので、快く迎えてもらった。そして、手作りラーメンまでご馳走になった。

忘年会の準備のために、ウクレレを練習している40代の女性がいた。「下手だよ」と言いながらも、ウクレレの伴奏で「花は咲く」を唄ってくれた彼女は、来週の智田さんのセッションを楽 しみにしていた。

その後、セミナーを行う会場へ。宮古在住の医療・福祉関係者が主な参加者だった。近辺の老人ホームや特別支援学校、精神病院などで働いている人々など、年齢もさまざまだ。音楽療法を通じてみなさんにひとときでもリラックスしてもらうことができればと思った。被災した人々だけではなく、彼らを支援している人たちの心のケアも大切だからだ。

音楽療法セミナー

宮古を出るころには夕方になっていた。盛岡に帰る山道は真っ暗で、「すべりやすい」の標識がいたるところにあった。冬場は雪で運転も大変らしい。

智田さんも三井さんも、自宅から2時間以上かけて被災地に行く活動を5年近く続けている。被災した人々の役に立ちたい、という気持ちだけでは続かない。そもそも、「えころん」を立ち上げたきっかけとは何だったのだろう?

「直感で決めました。考えはじめて2分で決めました」

と智田さんは笑う。

私も重大なことは直感で決めるので、彼の言っていることはなんとなくわかった。そして、この活動を何年も続けていける秘訣について、2人とも同じことを言った。

「一人だったらできなかったと思う」

智田さんは、仮設住宅を回るとき、アシスタントの澤瀬さんと愛犬のタンタンと一緒に出向く。三井さんにも協力してくれる音楽療法士や友人がいる。そういう周りからのサポートがなければ、続けていくことは難しい。

宮古の海。三井さんと澤瀬さんと

宮古での一日が終わり、帰宅する新幹線の中、マザー・テレサの言葉を思い出した。

私たちは偉大なことはできません。偉大な愛で小さなことをするだけです。

ひとりひとりにできることは少ないが、自分にできることをして、お互いを支え合うことができれば、それが大きな力になる。

えころんの活動は寄付金で成り立っている。今年、大切な誰かにクリスマスプレゼントとして「えころんオリジナルグッズ」を送るのもいいかもしれない。そうすることで、あなたも被災地の人々に音楽療法を届ける手助けができる。

【佐藤由美子】

米国認定音楽療法士。ホスピス緩和ケアを専門としている。米国ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間勤務し、2013年に帰国。著書に「ラスト・ソング 人生の最後に聞く聴く音楽」(ポプラ社)がある。

(2015年12月16日「佐藤由美子の音楽療法日記」から転載)

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