コラムの前回(上)では、紅茶の効能や、日本で神戸が紅茶消費量トップというその背景、紅茶と相性の良い食べ物や水のとりあわせ「ペアリング」について触れた。今回は鑑定士の仕事、日本における紅茶の歴史などを見てみたい。
紅茶鑑定士は1日数百杯を味分ける
ブレンドを担当する紅茶鑑定士の仕事は過酷だ。
世界中の茶園から季節ごとに大量のサンプルが届く。鑑定士は一日数十~数百杯のテイスティングをする。
「神戸紅茶」では米山欣志鑑定士が世界6か国15エリア、157カ所の茶園から入ってくるサンプルをテイスティングし、日本の水に適したブレンドのレシピを作る。何種類かを組み合わせる形で一つの味を完成していくという。
「それぞれ色も味も香りも違う茶の味を、ひとつひとつ五感を使って確かめていきます。テイスティングの方法ですが、まずズズっと勢いよくすすって口の中に紅茶の液を霧状に満たします。それが、鼻に抜けていくのです。香りを確かめ、舌で味を感じとり、渋みや甘み、コク、香りといった要素を一瞬のうちに判断します」と神戸紅茶・下司善久社長は解説する。
味と香りに加えて、水色を目で見て、抽出後の葉を手で触って色、葉の質感・重さ、まとまり具合、大きさを確認する。
「鑑定士の頭の中にはベースとなる茶葉の基本形があり、この茶葉はどこに位置するのかを判断していきます。同時に、日本の水にあう葉はどれかを考えながら買い付ける種類や量を決めていくのです」
多い時は日に何百杯も味分けなければならない鑑定士。一人前になるには10年はかかる。今、業界で認知されている鑑定士は、数人しかいない。
「大量の紅茶を味分けると、渋み成分で口の中が荒れて粘膜がはがれた状態になってしまう。それに耐えながら続けていくには相当の体力と精神力が必要ですね」
毎年変わらない味と品質を維持するためにも、ブレンドは大きな意味を持つという。
一定の調合具合・レシピに従い、味を均一化させるために他の茶葉を混ぜていく、といった調整を行って、味と品質を安定させる。
「今、弊社のティーバックはコットン製です。伸縮性が高くて茶葉からエッセンスを抽出する力があるからです。紅茶の味わいを高めるために素材にもこだわっています」と下司社長。
紅茶の歴史を振り返ってみれば
たかがお茶、されどお茶。そこには激動の歴史が横たわっていた。
過去を紐解けば、最初に紅茶を飲んだ日本人は伊勢の船頭・大黒屋光太夫。江戸時代に海難事故にあい、ロシアに漂着した彼は、エカテリーナ2世に紅茶をご馳走されたのだとか。
明治になると、輸出用に国産紅茶の栽培も奨励されたが、大きな輸出産業には育たなかった。
同時期、海外から少しずつ日本へ紅茶が輸入されるようになる。神戸紅茶は日本で最初にティーバック生産を手がけた会社。とは言っても、昭和20年代はミシンを使って手で一つ一つ縫っていたとか。
昭和32年、英国の大手紅茶メーカー「リプトン」の日本初の工場に指定され生産を開始。4年後、ティーバック専用の自動包装機をドイツから導入し、日本のお茶の間へ本格的にティーバックが普及していく端緒を開いた。
私自身も日常的にリプトンの三角形のティーバックを愛飲してきたが、その遠い歴史について思いを馳せるのは初めて。実に新鮮だ。紅茶の窓から見えてくるさまざまな風景に、あらためて興奮を覚えてしまう。
しかし今、世の中を見回すとコーヒーの勢いが凄い。コンビニコーヒーやサードウェーブコーヒーがブームを巻き起こしている。
たしかに、忙しいビジネスパーソンの気分転換にコーヒーは手軽で便利な飲み物と言えるのだろう。
もしかしたら紅茶は、ストレスフルな環境の中を生きる現代人にとって、コーヒーとはまた少し違った役割を担うのかもしれない。
空間を、楽しむ道具として。
時間を、味わう道具として。
会話を、つないだりはずませたりする句読点のような役割として。
知っているようでいて知らない奥深い世界へ。五感を使ってもう一度、しっかりと紅茶に出会ってみたい。