混迷の時代の安全管理・危機管理

海外で活動する日本人にとっての脅威とは何か、その傾向と対応策を人道支援NGOの立場から論じていきたいと思います。

バングラデシュの衝撃的なテロ事件に続き、南スーダンの内戦の激化、トルコのクーデター未遂、そしてニース(フランス)やミュンヘン(ドイツ)のテロ事件など私たち日本人に非常に身近な形で危機的状況が発生しています。

紛争地や紛争直後の人道支援、緊急支援や地雷対策に関わってきた実務者として、またそのような団体の理事長として、これまでも、安全管理・危機管理は、最優先で扱ってきた事項です。

本日は、海外で活動する日本人にとっての脅威とは何か、その傾向と対応策を人道支援NGOの立場から論じていきたいと思います(マラリアや熱帯病などについては今回は触れません)。

最初に結論めいたことを申し上げるなら、今、マスコミなどで連日取り上げられている事象は、脅威の一部でしかないこと、日本人だけに危害が及ぶ事例は特殊事例であり、それ以外の場での危険やリスクの方が圧倒的に高いこと、海外の活動における危険やリスクはゼロにはできないけれど、限りなくそれをゼロに近づける取り組みは可能であること、自衛隊による駆け付け警護は、非常に限定された特殊な環境下での「想定」であり、邦人保護の抜本的な対策ではないこと、政府の対策で必ず登場する防弾車の導入には現場で、賛否両論があり、邦人保護、特にNGO職員の安全確保の観点から、より重要かつ根本的な論点があることなどです。

今回のブログで議論を予定しているのは以下の項目ですが、少々長くなりますので、まずは1~3について論じていきます。

 1.交通事故の脅威

 2.経済的な動機:物取り・強盗・都市型犯罪の標的・対象となる場合

 3.武力紛争中の攻撃や暴動の巻き添えとなる場合

  3-1 情勢が突然悪化した場合

  3-2 明らかな兆候があり情勢が徐々に悪化した場合

 4.文化的・社会的文脈から攻撃対象となる場合

  4-1 組織が対象となる場合

  4-2 個人が対象となる場合

 5.政治的テロの対象となる場合

  5-1 外国人一般がターゲットとされる場合

  5-2 特定の国や組織がターゲットとされる場合

  5-3 日本がターゲットとされる場合

  5-4 当該団体が名指しでターゲットとされる場合

 6.その対策

1. 交通事故の脅威

国際協力、メディア、ビジネス界あるいは外交関係者を問わず、また紛争地か否かを問わず、途上国で働く日本人にとって最大の脅威はテロではなく交通事故だと感じます。劣悪な道路事情、高級車と老朽車の混在、整備不良車両の横行(日本の基準ではあり得ない老朽車や故障車が走っています)、故障を助長する粗悪な燃料、そして、存在しない交通法規やマナー。あるいは交通法規が存在しても、それを守る意識がない、あるいはそもそもその存在を知らないドライバーたち。そして車の値段よりはるかに安い人の命。

交通網の要である信号一つをとってみても、漫才のようですがあらゆるバリエーションがあります。信号機がない、信号機があっても電気がない(あるいは電力供給が不安定で動いているか定かでない)、信号機と電気があっても誰も守らない、それを取り締まる警官がいない、(公務員はじめ公共財を支える納税という発想も、徴税システムも存在しない社会では、警官の給与もまともに支払われておらず)警官がいても、問題を起こすことはあっても取り締まる気配はない、事故が起きないほうが不思議です。

日本をはじめとする各国のODAで道路や橋などハード面の整備ばかりが先行し、交通法規などソフト面の教育が後回しの現状もあります。私は今年1月から国連調査研究所(UNITAR)の理事をしていますが、先日お目にかかったニキール・セス本部長と意気投合したのがこの交通安全教育への日本の貢献の可能性についてです。貧困削減同様に交通事故の削減は社会インフラや法整備などさまざまな面にかかわり、それゆえ一朝一夕の解決は困難ですが、間違いなく日本の強みが発揮される分野だと思います。が、ここから先はまた別の機会に。

2. 経済的動機:物取り・強盗・都市型犯罪の標的・対象となる場合

現金のみならず、援助物資そのものや、事務所の備品、携行する機材・通信機器・車両等あらゆる所持品が略奪や強奪の対象であり、そうした犯罪の被害にあう確率も非常に高いものです。貧富の格差が広がる社会では、外国人のみならず自国の富裕層も同様に犯罪の対象になりますが、必然的に外国人の存在が目立つ地域では、滞在目的や所属、国籍を問わず、「持てるもの」がターゲットとなる現状があります。現地の人々のために、窮状を伝えるジャーナリストであろうと、救援団体であろうと、こちらの意図とは無関係に、です。

携帯電話の普及で無線機が略奪の対象となることは少なくなりましたが、武装勢力にとって、援助団体が4輪駆動車に装備した無線機は、さまざまな紛争地で格好の略奪対象でした。行動ルートを日常化しない、事務所の出入り時に不審者がいないか確認する、事務所を構える場所に注意を払う。略奪の対象が援助物資の場合は、毛布を切断する、小麦粉の袋に穴をあけるなど、(使用する受益者・難民の側には大きな問題をかけることなく)物資の市場価値を下げるといった対策も取られてきました。

夜間に出歩かないなどは言うまでもありませんが、都市型犯罪が深刻化しているナイロビ(ケニア)や、ヨハネスブルク(南アフリカ)などでは、昼間であっても車両を使用し、徒歩での移動は控えるといった対策で、標的になることを避ける、あるいはリスクを下げることが可能な犯罪だと考えています。

3.武力紛争中の攻撃や暴動の巻き添えとなる場合

邦人が巻き込まれる可能性が高い事案として、政府の会議や国会でも度々取り上げられていますが、対策を考える上では、情勢がいきなり悪化した場合(3-1)、明らかな兆候があり徐々に悪化した場合(3-2)の2つに分けて論じる必要があると思います。

3-1. 情勢が突然悪化した場合

安全管理・危機管理に精通した人に言わせれば、情勢が突然、急展開することはあり得ず、必ず予兆があった筈、ということになるかもしれません。しかし、当該組織にそうした情報収集能力がない場合、あるいは、そうした人をもってさえしても予測が困難であった場合、危機が発生した際の対処法は、安全が確保できる場所への速やかな退避・避難です。

ただし、対象となる職員のいる地域や場所によっては、むやみに動くより、事務所や宿舎に動かずにいることが最大の安全確保策になる場合があります。 いずれにしても当該地域の支配勢力やその動向などから、事前に発生しうる危機の種類を想定し、状況に応じた退避計画や退避手段を想定するとともに、手元に退避用の現金を確保しておくことが重要です。

なお、この退避行動には、自衛隊の支援が想定されるようですが、現在国連PKOで自衛隊が派遣されている場所が南スーダンだけであることから考えても、また今回(7月8日)まさにその派遣部隊のお膝元で起きた事件(国際協力事業団(JICA)関係者約90名が滞在する南スーダンの首都ジュバで発生した武力衝突)であるにも関わらず、自衛隊は在留邦人の救出どころか、滞在地から空港までの1キロ余りの距離の護衛さえできなかったという事実が、自衛隊による駆け付け警護問題を取り巻く現状の一端を、端的に示しています。

言うまでもなく、自衛隊は「国連南スーダン派遣団(UNMISS)」の一員として派遣され、UNMISSの指揮命令系統の下にある以上、国連の許可なく動くことはできません。そしてUNMISSにとっては、日本人のみならずすべての関係者、現地の文民が保護対象者であり日本人だけを特別視することは不可能だからです。

先の安保法制の成立で、国連PKOの傘下にない、他の自衛隊員を邦人救出や駆け付け警護という目的で、別途日本から派遣することが法的に可能とはなりました。しかしながら、緊急事態に、日本から駆け付ける自衛隊の救出を待つ時間的余裕はありません。

あくまでも自力での退避を、常に、想定する必要があります。

3-2. 明らかな兆候があり情勢が徐々に悪化した場合

突然、急激に情勢が悪化し、武力紛争に発展するような、あるいは紛争が再燃するような場合とは別に、さまざまな予兆を伴いながら、情勢が不安定化している場合、どのような対応が可能でしょうか。

選挙や独立記念日など特別な行事が予定され、一般に報道される「公」の情報や材料で、紛争の激化や情勢の悪化が予測可能な場合は、事前に退避する大義名分がたちやすく対処は比較的容易といえます。一般にイスラム過激派が活動する地域では、イスラム暦のラマダン中や、特に集団礼拝の日として重視される金曜日は、武力攻撃がしかけられたり、テロ発生の危険が高い日でもあります。

こうした政治日程や、宗教行事は、何ヵ月も前から分かっていることで、現地職員にも十分な説明をした上で、計画性をもった退避や対処方針を立てることができます。

他方で、より難しいのは、(団体にとっては独自の情報収集能力を駆使した公のものであっても)対外的には、より非公式なルートで入手した情報分析や、駐在員の「勘」や危険への「感度」から治安の悪化が想定・懸念される場合です。

「インテリジェンス」や「諜報」と分類されるべき情報収集活動ともいえますが、専門家でさえ、どの程度まで悪化するか、どれくらい急激に悪化するのか、いつ悪化するのか。地震の予知ほどではなくとも、正確・明確な情勢判断や分析が難しいのは言うまでもありません。しかし、情報収集以上に難しいのは、その情報を的確な退避行動につなげる「判断」です。

今回のブログは、人道支援の実務家として書いていますが、私は、研究者としては、ジェノサイドの予防や国際人道法を専門とした研究を行っています。

拙著『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂)の最終章にも書いたとおり、ジェノサイドの予防で重要なのは、よく指摘されるような予兆の察知とそのための情報収集・分析ではなく(多くの場合、地元にいる人々や人道支援NGOから、その予兆が認識され、その脅威が深刻な形で発信されています)、問題は、そのように発信・発出された危機に関する情報をそれと認知し、その重要性を見極め、判断し、ジェノサイドを未然に防ぐための的確な介入につなげることができるか、という点です。

的確な介入には、国連であれ特定の国家であれ、多大な財政的負担と、場合によっては兵員の人的犠牲が伴い、当事国の「政治的意思」が不可欠です。おいそれとできる単純な決断ではありませんが、安全管理をめぐる議論にもそれに似たことを感じます。

現地のインテリジェンスの強化、情報収集・分析能力の強化ばかりが強調され、手っ取り早い対応策として、防弾車などに予算がつけられますが、本当に必要なのは、そうした情報分析を可能にするとともに、それを退避行動につなげた場合の財政負担を、個々の団体が十分に担えるだけの体力をつけることです。

通常、人道支援活動において、軍事組織に安全管理他を依存するのは究極の事態における「最後の手段(the Last Resort)」と言われます。人道組織と軍事組織が協働することから生じる課題や問題点は、別の機会に詳しく論じたいと思いますが、そもそも、私たちが国際協力を行う現場に、自衛隊はおらず、日本からの派遣は決して間に合わない。現地、大使館からも遠いところにある現場が多い現状では、現地にいる他の援助機関と密接に協力しあい、「自力で」安全を確保するより方法がないのです。

自力の安全確保にはいくつかの関門や課題があります。

まず第一に資金的な関門。安全管理・危機管理を理由にした支援事業の中断は当該事業の存続を左右する大問題です。平素、緊縮財政を心掛け、経費の削減や合理化を徹底してきたとしても、こと安全管理・治安管理に関しては、平素とは別の思考枠組みで、通常とは桁違いの出費が想定内であることを、組織全体で共有し、特に、駐在員と本部職員、執行部との間で徹底しておく必要があります。

経済的にいかなるコストを払おうと、職員の安全が最優先されるという認識を共有できたとして、次なる課題は、事業の停止・中止が、目の前にいる難民をはじめとする受益者の生活や命そのものに直結する場合、(上記3-1のように、目の前で事態が急変した場合は別ですが)、いつ急変するか・しないかわからない事象を前に、特に、難民の人を目の前にした現地駐在員がその決断をすることは非常に難しいことです。現地から遠い東京や日本国内の本部で、時に駐在員の頭越しに退避の指示を出すことも必要になるでしょう。

安全管理上の理由からの事業の中断から発生する経済的な損失に話を戻します。

事業の中断による経済的損失は、日本政府をはじめとする助成元の理解を得ることができなければ、その負担は全額、各団体の自己責任・自己負担となります。撤退や退避により完遂できなかった支援事業の経費・支出分を、日本のNGOは、どの程度、各組織が、それぞれに乏しい自己資金の中で受容し、吸収できるのでしょうか。

決して万能ではない防弾車両の配備に膨大な資金を投入するよりもこうした事態への配慮や理解をこそ、必要な支援と考えます。命にかかわる、安全管理上の判断を的確に行い、それを速やかな退避行動につなげていくには、NGOが安全管理分野を強化できる財政的基盤の整備が急務であり、それは、日本政府が、(欧米の政府がそうであるように)日本のNGOを外交や国際協力の重要なパートナーと位置づけ直し、NGO向けの予算枠組みなどを抜本的に見直す措置と表裏一体であると考えます。(続編につづく)

(2016年8月3日)

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