1.ブロック・チェーンの活用による音楽ビジネスの革新
音楽市場の問題点について、「チケット転売」問題を入り口として考察を進めてきたが、真の問題はどうやら別のところに存在するようだ。
すなわち、音楽ビジネス全体の市場規模が縮小している中で、ビジネスの主流がCD等のパッケージ販売からライブに移行しているが、これらライブを通じて得られた収益を、幅広くアーティストたちに還流するエコ・システムが未整備であるということである。
そして、チケットの価格に関しては、それが高い価格で転売されること自体が大きな問題なのではなく、当初の設定価格と転売価格の差額(増額分)がアーティストや関係者等に還元されないことが、より大きな問題なのである。
この問題に関連して、現在、ヨーロッパ等において主に美術分野で「追及権(Resale Royalty Right)」という政策課題が議論されている。
これは、アーティストの作品が転売される場合に、作品の売価の一部をアーティストが得ることができる権利のことである。
EUにおいては、2001年の欧州指令(EU Directive 2001/84/EC of the European Parliament and of the Council of 27 September 2001 on the resale right for the benefit of the author of an original work of art.<http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:32001L0084>)によってこの追及権が導入されており、現在までにヨーロッパを中心とする世界の80か国以上で導入されている、とのことである。
現在は主に美術作品の分野で主張されているこの「追及権」という概念を、パフォーミング・アーツの分野に拡大して位置付けてみよう、というのが筆者の考えである。
すなわち、アーティスト公認の転売マーケットを開設するという提案であるが、ここまでは「チケトレ」とほぼ同じ概念である。
しかし、筆者が提案したいのはその先の話であり、転売マーケットでは券面価格以上の設定で取引することを認め、もしも販売されたチケットに差額(増額分)が発生した場合、その一定割合をアーティストやプロモーター等に還元する、という仕組みである。
このような仕組みを確立することができれば、転売価格が当初の券面価格からかなり高額な水準となったとしても、その差額に関して第三者から大きな批判がでることはないのではないか。
上述したような、アーティスト等に差額を還元する仕組みを構築するために、「ブロック・チェーン」の活用を提案したい。
「ブロック・チェーン」とは、仮想通貨であるビットコインの中核技術として考案されたものである。取引の履歴を多数の分散型の台帳(コンピュータ)で記録していく仕組みであり、新しい記録を追加する際に、既存の記録の「ブロック」をチェーン上に追加していくことから、この名称で呼ばれている。
近時においては、この「ブロック・チェーン」に関する記事がほぼ毎日のように見受けられるが、それらは、「ブロック・チェーン」という技術を既存の通貨の代用品として位置付けているものがほとんどである。
ただし、「ブロック・チェーン」の持つ可能性は、単に通貨の代用品だけにとどまるものではないと筆者は考えている(筆者は既に美術作品の分野に関して、ブロック・チェーンを活用した新しいファンドの提案を行っているが、本稿においてはこの考え方をコンサート等にも応用して考えたものである。美術分野での活用についての詳細は、REAR39号「アーカイヴは可能か?」(2017年4月20日発行)所収の太下義之「文化政策としてのアーカイブ ―周回遅れからの逆転のために―」を参照)。
すなわち、コンサートのチケットを一種の金融資産とみなして、これをビットコインのような時限的な仮想通貨として流通させるという仕組みの提案であり、その中核技術として「ブロック・チェーン」を活用するのである。
「ブロック・チェーン」を導入することにより、転売の事実及び取引価格の情報を正確に把握することが可能となる。そして、転売価格に基づいて、券面価格との差額の一定割合を徴収し、それをアーティスト等に還元することも原理的に可能となるのである。
すなわち、チケット転売に関するアーティストの「追及権」を確実に擁護し、実装することになるのである。
なお、「ブロック・チェーン」を活用するその他の利点としては、①セキュリティが強固で改竄されにくいという点、②低コストでネットワークを運営することができる点、③後述するように本人確認の仕組みと組み合わせれば、テロ対策としても有効である点、をあげることができる。
そして、「ブロック・チェーン」を活用するこの新しい仕組みは、コンサートのチケット転売問題の解決にとどまらず、その他さまざまな面でアーティストの活動を支援することができる。
たとえば、「ブロック・チェーン」を活用することにより、イニシャル・コイン・オファリング(Initial Coin Offering=ICO)と呼ばれる手法でアーティストは資金調達をすることができるようになる(WIRED「ブロック・チェーンを用いた資金調達法『イニシャル・コイン・オファリング』はIPOを代替するか」(2017年3月29日)<http://wired.jp/2017/03/29/initial-coin-offering/>)。
具体的には、この「ブロック・チェーン」は、コンサートを開催するための資金調達にも貢献することができる。市民プロデューサー達の資金に支えられて、ライブ・コンサートが成立するという仕組みである。
すなわち、単純な経済原理に基づく投資だけではなく、ファンとしての"思い"を投資できるようになるのである。
これら提供される資金の性質については、寄付すなわち無償提供、無利子融資、投資すなわち有利子での資金提供、その中間形態すなわち低金利での資金提供など、さまざまなタイプが想定される。
当然のことではあるが、アーティストは、自分にとってより良い条件、すなわち寄付またはそれに近い条件の資金から優先的に選択していけばよいこととなる。つまり、資金の調達条件を"競り下げて"いく、「逆オークション」のような仕組みとなることが想定される。
もちろん、コンサートの開催以外でも、個別の活動をプロジェクト化して資金調達をすることが可能である。アーティストの活動の中核とも言えるCDすなわち音源の制作に関しても、「ブロック・チェーン」を活用して資金調達することができる。
従来の仕組みではレコードやCDの売り上げの一部がアーティストに配分されており、結果として購入者=聴き手が資金の提供者であったとみることができる。
本提案はそれを、音楽の制作以前から「ブロック・チェーン」という技術を活用して資金調達しようというものである。
投資された仮想通貨は、第三者に売却することができる。そして、アーティストの人気が高くなれば、その"仮想通貨"の価値も上昇することが想定される。
たとえば、インディーズのアーティストや地下アイドルを対象として、彼(女)らの人気がまだあまり高くない時点から支援していたファンは、仮想通貨の売却でキャピタルゲインを得ることもできるであろう。
これは、お気に入りのアーティストを応援するという"思い"と、経済的価値を両立させる仕組みである。
結果として、アーティストが仮想通貨を発行して、アーティストとしての活動の初期の段階から支援してくれたファンに対して、感謝の気持ちを"利益"というかたちで還元することと同義になる(もっとも、このような新しいかたちの投資が一般化してくれば、投資家保護の観点から、「ブロック・チェーン」に関する新たな法整備も必要となるであろう)。
このように考えてみると、この「ブロック・チェーン」を活用した仕組みは、従来の経済システムにおける、通貨と寄付と株式の中間形態であり、音楽ビジネスの基本構造を抜本的に変革するポテンシャルを秘めていることが理解できる。
そしてこれは、音楽の創造と振興をめぐる新しい経済圏が確立する、ということをも意味する。
アーティストとファンとの経済的な関係が変化することに伴って、ファンは多様化な関係性をアーティストとの間で構築することができるようになると期待される。
たとえば、"ハンズオン" すなわち、自ら関与し積極的に支援を行うベンチャー・キャピタルと同様に、ファンがプロデューサーの機能を担うことも想定される。
アーティストの活動全般のプロデューサーは困難であるとしても、ある特定のライブ・コンサートに関して、ファンがパトロンとプロデューサーを兼ねるという仕組みは考えられよう。
この場合、当然のことながら、当該パトロンとしてのファンたちは、アーティストのプロモーションやライブの動員にも貢献することが期待される。
このように、新しい仕組みを導入することによって、今までよりも結びつきが強く、ロイヤリティの高い音楽コミュニティを構築することができるのである。
なお、こうして新たに構築される「ブロック・チェーン」は、アーティストごとに立ち上げる「ブロック・チェーン」でもよいし、たとえば、音楽的傾向の似た複数のアーティストを包含したかたちでの「ブロック・チェーン」であっても良い。
後者のケースは、旧来の「音楽レーベル」に相当するものとなるであろう。
2.「東京2020」方式を輸出商品に
本稿執筆時点(2017年5月23日)でたいへん痛ましい事件のニュース速報が飛び込んできた。英国中部の都市マンチェスターのコンサート会場でライブの終了後に自爆テロがあり、少なくとも22人が死亡という事件である。
2020年に開催される東京オリンピックに関しても、テロの脅威に対して万全を期することが極めて大きな課題となるであろう。
また、2015年11月には、パリ市のバタクラン劇場等において同時多発テロが起き、同劇場では観客89人が死亡したほか、多数の負傷者が出た。
古くは、1977年制作のアメリカ映画『ブラック・サンデー』(Black Sunday)において、アメリカ人にとって最大の娯楽であるフットボールのスーパーボウルの観客を皆殺するというテロの計画が描写されていた。
すなわち、多くの人が同時に集まるコンサート会場や競技大会、いわゆる「ソフトターゲット」(スタジアム、コンサート会場、遊園地、ショッピングモール等の大規模集客施設その他の自衛隊や警察によって防御されていない不特定多数者が集合する施設・場所のこと)においては、テロリストの標的となる懸念を否定できないのである。
本稿においては、ここまで「チケット転売問題」を出発点としてさまざまな検討を続けてきたが、チケットをめぐる問題はもはや「転売」だけに留まるものではなく、テロ対策という極めて重大な問題と関わるのである。
2020年の五輪においては、会場への入場時における本人確認と荷物のセキュリティ・チェックは必須であろう。
具体的には、国際線の搭乗手続きと同様に、パスポートのような証跡による本人確認と荷物の保安検査およびボディ・チェックをスムースに実施することが必要であると考える。
報道によると、テロ対策を背景として、日本政府はマイナンバーカードの電子証明書をスマホに移すことができるような法整備を進めるとのことである(産経ニュース(2017年1月6日)「スマホでカンタン購入&入場 ダフ屋阻止やテロ防止でチケットレス化へ」<http://www.sankei.com/politics/news/170106/plt1701060010-n1.html>)。
2016年のリオ五輪でもチケットの転売が大きな問題となった。
このようなマイナンバーカードによる本人確認と前述した「ブロック・チェーン」を組み合わせれば、仮にチケットの転売が行われたとしても本人確認を徹底することが可能となる。結果として、テロ対策にも効果を発揮することが期待される。
このような「ブロック・チェーン」でチケットを販売・転売し、かつ本人確認が比較的簡便なシステムを東京五輪で確立することができれば、2020年以降に、これを「TOKYO2020」システムとして海外に輸出することも期待される。
そして、そのことは東京五輪のレガシーともなるのである(このようなシステムを構築すれば会場内の安全性を高めることはできる。ただし、マンチェスターの自爆テロは会場入り口部分で行われた。つまり、会場への入場前後の群集に関する安全確保は、どのようなシステムを導入しようとも依然として大きな課題である)。
このようなシステムを構築することには、副次的な効果も想定される。文化庁では、全国各地で実施される文化活動や文化施設の情報を集約する「文化情報プラットフォーム」(ポータルサイト)を構築し、多言語で国内外に発信することを目指している。
ただし、単にポータルサイトを準備するだけでは、アーティストやプロモーターにとって、わざわざ手間をかけて情報を提供・入力することに魅力が感じられないという懸念がある。
このような懸念に対して、前述したとおり、転売価格の上乗せ分のうち、一定割合をアーティストおよびプロモーター(コンサート等の主催者)に還元する仕組みを提供することができれば、自ずからコンサートの情報が集約されることになるであろう。
3.ライブの文化的意義を再考する
2017年4月29日、東京ドームで行われたポール・マッカートニーのコンサートに筆者も参加した。
同日のセットリストの中には、ちょうど半世紀前(1967年)に発表されたビートルズの名作アルバム"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"から、"Being for the Benefit of Mr. Kite! "と"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)"の2曲があった。
特に前者の曲が、発表から半世紀を経てライブで演奏されたという事実は意義深いものが感じられる。
インターネットで調べたかぎりでは、ポール・マッカートニーはこの曲を2013年からライブで演奏しているようである。
しかし、実は同曲はビートルズによってライブで演奏されたことは無い。この曲は、パイプオルガンを録音したテープを編集して逆回転させたという奇妙な音を配しており、半世紀前の技術ではライブで再現ができなかったものと推測される。
しかも、そもそもアルバム発表の前年(1966年)の8月29日、ビートルズは、サンフランシスコでのコンサートを最後にライヴ活動の停止を発表していたのである。
そして、"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"のアルバムは、タイトルにもなっている架空のバンドが開催する架空のショーという設定となっており、アルバム全体がサイケデリックな工夫に満ちた一つの作品となっているので、同アルバムの収録曲はシングルカットされなかったのである(太下義之「音楽遺産~ネットワーク社会の音楽革命~」(2003年)Arts Policy & Management No.20,http://www.murc.jp/_archives/artspolicy/newsletter/no20/20_08.pdf>)。
この"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"の制作に大きな影響を及ぼしたとされているのが、前年(1966年)にアメリカのビーチ・ボーイズが発表したアルバム"PET SOUNDS"である。
このアルバムも、ポピュラー音楽史上において極めて重要な作品であると評価されている。
そして、このアルバムは、ビーチ・ボーイズの中心的存在であったブライアン・ウィルソンが1964年12月以降ツアーには参加しなくなり、スタジオでのレコーディングに専念するようになって制作されたものである。
その後2000年から2016年にかけて、上述した"Sgt. Pepper's~"と同様に、ブライアン・ウィルソンは"PET SOUNDS"の再現ライブを世界各地で開催している。
ビートルズやブライアン・ウィルソンがライブ活動を停止したのと奇しくもほぼ同時期の1965年、クラシック音楽の世界でも、ピアニストのグレン・グールドがコンサート活動をしないという、コンサート・ドロップアウトを宣言している。
すなわち、今から半世紀前の1960年代の後半に、音楽とライブの関係に極めて大きな変革が生じたのである。
一つは、多重録音、長時間録音、逆回転や早回し等のテープ・エフェクト等の、録音に係るテクノロジーの進展が、人類が未だかつて聴いたことがないような、新しいリアリティのある音風景を生み出したという点である。
そして、テクノロジーが「感性の編集」のレベルに到達したことにより、旧来のロックン・ロールはロック(ミュージック)に進化したのである。
二点目は、レコードというパッケージにおいて、作品性という概念が創出されたということである。前述したとおり、ビートルズやビーチ・ボーイズは、ライブでは再現が困難な水準の作品を創作したが、このことは、アルバムのレコーディングが創造行為であり、アルバムが一つの作品として評価されうることを示した。
すなわち、レコードは生の演奏から独立したひとつの作品としての意味を獲得したのである。
三点目は、ライブとレコードの完全な分離・独立である。
"レコード"という名称が象徴している通り、もともとは、演奏会(ライブ)の代用品として出発したレコードであるが、レコードが作品として独立するような状況においては、パッケージと演奏会(ライブ)の関係にも大きな変化が生じることとなる。
すなわち、後の時代においては、本来はオリジナルであるはずのライブ演奏会(コンサート)がまるで、コピーであるはずのレコードの再現であるかのような錯覚に陥ってしまうこととなる。
レコード/CDが主役となり、コンサートは特定の楽曲をあらかじめ学習した聴き手が、他の聴き手と共に同時共振的にその内容を確認・追体験する場となっていった。レコードというメディア/テクノロジーの定着により、オリジナルとコピーの逆転現象が生じていったのである。
このような変革から半世紀が経過した現在、ライブと音楽の関係が再び大きく揺らいでいる。CDというパッケージの売り上げが激減していく中で、ライブがあらためて主役に位置付けられようとしているのである。
これは、音楽のデジタル化およびインターネット配信と同様、もしくはそれ以上のインパクトを音楽の世界に及ぼすことになるであろう。
このような変革の時代において、現在の音楽ビジネスの仕組みを少しづつ修整するのではなく、新しい価値観に基づいて抜本的に変革する時期に来ているのではないだろうか。「チケット転売」の背後に隠された課題は大きい。