昨年11月29日、台湾全土で地方選挙が行われた。与党国民党は、台北市、桃園市、台中市などの拠点都市を失い大敗北となった。選挙の結果を見ると、個々の候補者の優劣の問題よりも、国民党の公認候補であることが票を減らす最大の要因であったと指摘できる。つまり台湾の有権者は2008年から6年間続く馬英九政権にNOを突きつけたのである。
馬英九総統は責任を取って、兼任していた国民党主席を辞任した。権力の源泉である党主席の座を手放したことで、馬が2016年までの残り任期中に新たな政策を推進することは困難になった。国民党では、「ポスト馬」時代が前倒しで到来し混迷している。
馬政権はこの2年間、迷走を続けてきた。馬は2013年9月、王金平・立法院長(国会議長に相当)を追い落とそうとして失敗した。昨年3月には立法院に中台サービス貿易協定の批准を急がせようとしたが、「ひまわり学生運動」によって立法院を占拠され失敗した。起死回生を狙った北京でのAPEC首脳会議出席および中国の最高指導者習近平との中台トップ会談も実現せずに終わった。
■ 民意は対中政策を警戒
12月3日、国民党主席辞任を発表する馬英九、台北市の国民党本部(筆者提供)
対中政策は直接の争点ではなかったが、国民党の敗北に影響を与えた。象徴的なのは台北市長選挙で国民党の連勝文候補が大差で敗れたことである。連候補の父親である連戦・国民党栄誉主席は、2005年に中国共産党の胡錦濤総書記(当時)と会談し、中台の密接な経済関係の基礎を築いた人物である。選挙中は、連家が中台の政治経済構造の中に深く入り込んで巨額の利益を得ているという批判が繰り返しなされた。
桃園市長選挙で敗れた国民党の呉志揚も、父親の呉伯雄・国民党栄誉主席が中台関係で重要な動きをしている。中国ビジネスで大成功をおさめた台湾の大企業家が馬政権の対中政策を擁護し、「国民党候補が当選すれば巨額の投資をする」と応援演説をしたが、その人物が応援に入った県や市はことごとく国民党が敗北した。台湾の民意は「ひまわり学生運動」を経て、馬政権の対中政策への警戒感を高めたと言える。
馬政権第1期の対中政策は、「統一せず、独立せず」の現状維持路線で、「経済が先、政治は後」に徹し、一定の民意の支持も得ていた。しかし、再選後の第2期は、中台関係で大きな実績をあげ歴史に名を残したいという動機が強まり、対中政策の動きが速くなった。馬英九政権と習近平政権とをつなぐ各種のパイプも作られ、サービス貿易協定の締結、事務所の相互開設の交渉の進展、そして初の中台閣僚会談・相互訪問の実現へと進み、いよいよ政治対話の環境が整いつつあるように見えた。
馬はAPEC首脳会議への出席および習近平とのトップ会談について、北京と水面下の駆け引きを続けたが、交渉は物別れに終わった。物別れに終わったのはおそらく昨年7月末であろう。馬政権には、うまくすれば中国側が譲歩するのではないかという期待があったが、その見込みは外れた。結局、馬は台湾の現状維持を放棄するような約束はしなかったし、習は、統一に向け一歩でも前に進むような「お土産」を持参しようとしない馬に「ただ飯」を食わせる気はなかったのである。
■「一国二制度」持ち出した習近平
習近平登場後、中国の対台湾政策は変化があった。「中華民族の偉大なる復興」を唱える習は、台湾統一の推進に向けわずかであるがアクセルを踏み込んだ。それが「一国二制度は......国家統一の最良の方式である」という昨年9月の発言となって表れた。「一国二制度」は台湾を事実上統治する中華民国の消滅の上に成り立つ制度であり、台湾の民意の多数派は、馬も含め「一国二制度」を受け入れない。
胡錦濤は台湾を刺激しないよう、この問題については言及を控えていた。しかし、習近平は台湾側の認識を十分わかっていて「一国二制度」を持ち出した。おりしも、「一国二制度」が適用されている香港ではそれに疑問を投げかける抗議行動が発生した。台湾で中国への警戒感が高まったのは言うまでもない。2008~12年の馬英九-胡錦濤時代に保たれていた双方の自制による中台関係の微妙なバランスがこうして崩れた。
馬英九は昨年10月の国慶節演説で、香港の普通選挙要求運動を支持し、就任以来最も強い表現で中国に民主化を促した。反発した中国政府は、馬政権登場以降初めて馬を公然と非難した。中台関係は冷却に向かった。今回の選挙結果を受けて冷却化は一層はっきりするであろう。地方選挙とはいえ、馬政権の対中政策を強く批判してきた民進党が大勝した意味は大きい。
習近平は昨年9月の「一国二制度」発言で台湾側を震撼(しんかん)させたが、11月に馬の代理で北京APECに出席した蕭萬長・前副総統を笑顔で迎え、馬政権が重視している「92年コンセンサス」(中国側は「一つの中国」で合意したと主張し、台湾側は「一つの中国」についてそれぞれが述べ合うことで合意したとする玉虫色のコンセンサス)を語って、馬政権関係者をほっとさせた。これは、顔をひっぱたいておいて「大丈夫か?」と優しく声をかけるようなやり方で、相手を揺さぶる心理作戦である。毛沢東が政敵を追い込んで服従させたやり方と似ている。
習近平は,一昨年の2013年には、6月に「既定の方針を継続し、両岸関係の平和的発展の強化に尽力する」(呉伯雄・国民党栄誉主席との会談)と述べ台湾側を安心させておいて、10月に「台湾問題は次の代に先送りできない」(蕭萬長・前副総統との会談)と一発食らわせた。習近平のこのような揺さぶり作戦は馬政権に対しては効果があるのかもしれないが、台湾の民意に対してはどうなのであろうか。
大きな視点で見ると、中国では習政権が統一促進に向け一歩左に動き、台湾では民意が中国への警戒感を高め一歩右に動くという双方の潮流が観察できる。動きは小幅でゆるやかであるが、潮の流れがぶつかるところは渦になる。中国共産党と台湾の民意の間を航行しようとした馬政権は潮の渦に呑(の)み込まれ、転覆した。その穴をどう埋めるのか。
台湾の有権者は1年かけてじっくり考え、2016年総統選挙でその答えを出す。2015年は中台の間で神経質なやりとりが続くであろう。
(2015年1月26日AJWフォーラムより転載)