4月初め、中国の写真雑誌「Lens」が衝撃的な記事を掲載した。タイトルは「走出『馬三家』」(「馬三家」を出て来て)。遼寧省にある馬三家女子労働教養所(以下、「馬三家」)の元入所者による、同所内で担当官が日々入所者に対する数々の暴行を告発する証言をまとめたものだった。入所者の一人が職員の目を盗んで所内の作業場の布切れに書きためた日記や証拠を、出所する仲間たちが陰部に隠して少しずつ持ち出し、それを元に語られる生々しい暴行の描写に多くの人たちが驚き、ネットを通じて多くの人たちに広まった。
50歳以上の人ならソ連にあった「ラーゲリ」(強制収容所)の存在を耳にしたことがあるはずだ。ソ連建国後、体制に反抗的な人たちを送り込むために生まれ、敗戦直後には日本人捕虜が抑留されたことでも知られるが、その制度を輸入して中国ふうに改造したものが「労働教養制度」だという。中国にはもう一つ「労働改造制度」があった。こちらは刑事罰によって送り込まれ、やはり人間を「教育改造」することを目的としたものだったが、その根拠となる「労働改造条例」が2001年に廃止され、制度自体はすでに存在しないことになっている。
一方、今も残っている労働教養制度は刑事罰ではなく行政処罰の一種とされ、社会生活を続けるには「教育が必要」と判断された人たちに適用される。例えば軽い犯罪を犯したり、売春、物乞い、失業などその他治安に不安を巻き起こす要因を抱えると判断された人たちを「犯罪予防」という名目で最大1年間、必要があれば最大3年をめどに拘束して「教育する」手段である。
労働教養所の管理担当は各地の公安局に任されている。もともとの規定によると、その入所までの手続きは「労働教養決定書」や「労働教養通知書」などの法的文書を発行し、また入所対象者による同意の署名も必要だが、現在では公安が裁判や法的手段を通さずに拘束、処罰、またその存在を利用して「対象者」を脅す手段として利用されている「悪名」高い制度だ。
制度の根拠となっている「労働教養問題についての決定」(以下、「労働教養条例」と略)は1957年に公布され、その文面では労働教養人員の合法的権利を保証し、選挙権、新興の自由、人格の尊厳が守られ、体罰や虐待を禁じている。また、通信や財産の自由、家族との面談も許され、また夫婦ともども入所することになった場合、夫婦同居を認めるとしており、驚くほど寛容だ。
また、そこでは労働教養の原則目的は「教育、感化、挽回」とされ、入所後には法律知識や道徳、文化など1日最低3時間の教育を施し、また出所後の(失業でまた道を踏み外さないように、という前提で)就業に役に立つコンピュータ、縫製、電器修理、木工、調理、理髪、自動車運転やそのメンテナンスなどの技術訓練を行うことになっている。
だが、その実、労働教養所には労働改造所と並ぶ悪イメージが付きまとう。その根底にはなんといっても「労働教養条例」公布直後の1958年から吹き荒れた「大躍進」「反右派闘争」の記憶がある。これら政治運動で政府や党に反対する者や右派と見なされ逮捕された人たちが拘置所や刑務所にあふれたため、大量の労働改造所や労働教養所が自然条件が厳しい中国西北部に建設され放り込まれた。その後わずか3年の間に、青海省だけをとっても急づくりの労働改造所や労働教養所58ヶ所に2万人あまりが送りこまれ、4千人余りが凍死、餓死、虐待死したことが明らかになっている。
今回の告発記事「走出『馬三家』」によると、「馬三家」の入所対象者には地元政府による土地売買に不満を持ち、あるいは政府関係者の不正を訴える陳情を行った者、中国で広く信者を集めたことによって政府が「邪教」と認定して禁止された宗教「法輪功」の信者や、街でビラを配っていたところを捕まった大学生まで含まれており、記事では「今では送られて来る人たちは(以前とは)すっかり違う。社会的弱者ばかりになってしまった」とする。
つまり、「社会に不安を引き起こす要素」という大義名分が拡大解釈され、また曖昧なままに、公安や政府が自分たちにたてつく、あるいは目障りだと思う人たちから、法律や裁判所の判断を仰がずに自由を奪うための手段として労働教養所が利用されている。そして「労働教養条例」が定めた規定は有名無実化し、入所者は過酷な労働を強いられ、ノルマを終えることが出来ずに殴られたり、食事を抜かれたりという処罰を受けている。また同条例で身体虚弱者や妊婦の入所は認めないとする規定も無視されており、入所中に身体を壊した者もそのままほって置かれたり、所内で治療を受けても作業賃金から高い治療費を差し引かれているという。
このような所内の実態はこれまでにも各地の労働教養所を出所した人たちの口から漏れ伝わっており、人権弁護士のみならず法曹関係者の間からすでに労働教養制度自体が「法的な権限も規範もなく」「その対象が不明瞭」で「手続きが不正」であり、憲法に違反するとして、廃止を求める声が高まっているところだ。だが具体的にそこで行われていることを示す証拠が何もなく、今回初めて入所中からきちんとした文字にまとめられ、また一部証拠ともいえる物品がもたらされた。この、かなりセンシティブに思える報道が日の目を見たのはそのような政府内でなんらかの「認可」勢力が働きかけたからではないかという見方もある。
今回の告発記事の大きな反響に、遼寧省はすぐに調査チームを組み、実態調査を行うと発表、社会の声に答えるかのような対応を見せた。しかし、すぐにネットユーザーからその調査チームが実際には馬三家を管理する公安関係者が参加するチームだと指摘された。そして、実際に記事が出たわずか10日後に、「現場調査、関連文書ファイル73冊、担当警察官のべ207人、入所者のべ146人、及び出所者14人からの証言、さらに写真及び音声ファイル663本」の調査の結果、「『走出馬三家』の記事は事実から大きく外れている」という発表がなされている。
そして雑誌「Lens」は5月発売号から休刊処分になった。馬三家事件には中国語のメディアは触れることはできなくなった。だが、記事の中で証言した元入所者たちは時折海外メディアの取材を受けているようだ。その証言が「事実から外れた」と見なされたのに、彼らがまだ口を塞がれていないのも中国では珍しい。やはり労働教養所に対して政府内の意見には食い違いがあるのかもしれない。ならば、この半世紀以上続いた「影の刑務所」に対していかなる措置がとられるのか。人々は政府の動きを見守っている。