高齢化の背景には、2つの要因があります。それは、高齢者の数が増加するって要因と若者の数が減少するって要因ですね。その両方が来る地域がほとんどですが、もはや高齢者の数は増えないけど、明らかに若者が減ってくという地域もありますね。どちらの要因もないって地域は日本にはありません。
高齢者の定義(年齢)を変えるという荒業が残されています。これ数字上のトリックですが、社会保障給付費のうち年金は変えられるでしょう。そして、就労者人口も増やせるし、保険料収入も増えるかもしれません。ただし、要介護者数は変わりません。就労による介護予防効果は一時的にあるかもしれませんが、結局のところ、皆さん要介護になっていきます。つまり、定義を変えたとしても、介護需要は変わらないということです。
さて、高齢者(要介護者)の数が増えても、(上述の定義を変えるなどして)若者の数が維持されるなら、介護のマンパワーを確保できる可能性があります(沖縄あたりがギリギリのラインでしょう)。でも、ほとんどの地域では、いずれにせよ若者不足に悩まされることになります。
何とかしなければなりませんね。介護って生存に関わる問題ですから、ダメでした・・・ は許されません。で、このマンパワーを確保するために、私たちの前には2つの道があります。
ひとつは、外国人労働者を受け入れるというもの。まさにいま、出入国管理法の改正が国会で議論が始まっています。いろんな付帯条件がありますが、いずれにせよ、制度的に整ってきました。あとは私たちがそれを選択するかどうか、ということだと思います。どうしますか?
まあ、実のところ、沖縄県でも外国人の介護労働者の受け入れが始まっています。ただ、いまのところ、若干、後ろめたそうにやってますね。施設のイメージが低下するんじゃないかと・・・。先進的な取り組みなはずなんですが・・・、もっと行政が(その先進性を認めるような)サポートすべきでしょう。
もうひとつは、AIとロボットの融合により、介護イノベーションを達成するというもの。だいたいにおいて、人類というのは、生存に行き詰まると「革命」を起こして切り抜けるという特性があります。火を手に入れたのも、農業をはじめたのも、産業革命もそうでした。その革命への感度のよさというか、柔軟な姿勢を持つことも、いま、私たちが地域包括ケアシステムにおいて中長期的に生き残るうえでは忘れてはならないことだと思っています。
このどちらかです。どちらもイヤ・・・ はありません。既得権を握っている日本の高齢者たちが、若者を生み育てる世代を大切にせず、あろうことか自分たちの老後にかかるコストを(世代的には莫大な貯蓄があるにもかかわらず)若い世代へのツケ払いにしたんだから当然のことです。今後、他のアイデアがでてくるかもしれませんが、いまのところ、外国人かロボットしかないので受け入れましょう。
まあ、個人的には、ボーペンニャンなラオス人に見守ってもらいながら、ロボット制御のパラメータを自分好みに(AIのアドバイスを無視して)調整できるってのは、そんなに悪くない老後だと思ってますが・・・。