先日11月3日、一部商品に限って低い消費税を適用する軽減税率について、菅官房長官は「選挙公約である」と改めて導入に強い意欲を示した(軽減税率導入に重ねて意欲=菅長官 時事通信 2015/11/03)。
現在、消費税を10%に増税する際に生鮮食品のみ8%にする案が有力であると報じられている。酒類を除く食料品と新聞・出版物という案もあり、その折衷案として生鮮食品にプラスアルファした範囲まで広げる案も出ているようだ。
それぞれ減税される額は生鮮食品のみならば3400億円、食品全般に出版物まで広げれば1兆円超、折衷案では5000億円程を見込んでいるという。
■最悪の選択肢となる折衷案。
現時点で最悪の選択肢は折衷案だろう。残り二つはまだ範囲がある程度はハッキリしている(後述するがこれですら問題だらけだ)。しかし中途半端に範囲を広げえれば対応すべきお店が増える一方で、減税による効果はごくわずかとなる。例えば加工食品の一部まで対象を広げれば、食品をほんのわずかでも扱っている小売店はほとんどが対象となるだろう。
導入にあたって、POSレジの交換や会計システムの変更など小売店には膨大な手間とコスト発生する。そしてそれによってプラスの効果が生まれるわけでも無く、しかも一度レジやシステムを変更するだけで負担の増加は終わらない。8%と10%の商品を区分して会計処理をする手間はずっと続く。
消費税がさらにアップしても一度導入された軽減税率が消える可能性がきわめて低いことを考えれば、今後ずっと手間がかかり続ける。
さらに、生鮮食品にプラスアルファで対象範囲を広げる折衷案は「高齢者や子育て世帯への加算措置見直しなどを総合すると5000億円になる」という(軽減税率、公明が譲歩案 「生鮮+加工品」 日経新聞 2015/10/31)。
高所得者に多額の恩恵が発生する軽減税率は弱者からお金持ちに所得を移転する「逆再分配」になる事は明白だが、その財源まで困った人に支給するお金を減らしてまかなうというのだから、迷走しているとしか言いようが無い。
■スターバックスのバナナは生鮮食品ですか?
生鮮食品に軽減税率を適用する場合、食品表示法の定義を利用するようだ。その理由は異なる基準が混在すれば事業者にとって負担が大きいからだという。しかし食品表示法自体が決して明快で分かりやすい基準になっているわけでは無い。
例えば袋詰めされたカット野菜でもレタス単品ならば生鮮食品だが、複数の野菜がミックスされていれば加工食品となり軽減税率の対象外となる。食肉でもカットされた肉は生鮮食品だが、タレにつけて販売されているものは加工食品だ。
これくらいならばまだ分かりやすい範囲かも知れないが、乾燥させて販売している大豆も生鮮食品だと言われると一般消費者の感覚からは大きくズレている(これは調整・選別された農産物も生鮮食品、というルールに該当。乾燥は調整という事になるという)。
店舗内で生鮮食品を食事として提供する場合は食品表示基準の適用外だが、持ち帰りの場合は適用される場合もあるようだ。例えばスターバックスコーヒーの店頭で販売しているバナナを店舗内で食べる場合は軽減税率が適用されないが、持ち帰りの場合はどうか。一切の加工がなされていないためスーパーでの販売と同様に軽減税率が適用される可能性もあるかもしれない。
このように生鮮食品に限っても複雑で、一部の加工品まで中途半端に含めると複雑度はさらに増すだろう。
もともと3400億円を日本の人口で割っても年間で2700円、月あたり225円と誤差の範囲だ。これが5000億円でも1兆円でもごくわずかな額である事に変わりは無い。多くの経済学者が指摘するように、増税に対する緩和措置が必要ならば直接現金で給付すれば良いという事でほぼ見解は一致している。
■軽減税率は「参勤交代」である。
軽減税率が非効率である事は説明の余地も無い。まとめて年に一回現金で支給する手間と、日本中の小売業者が仕入れ・販売・会計処理・納税のたびに対応する手間を比較すれば、どちらがより無駄な手間が発生するか?と考えれば誰でも分かる話だ。
軽減税率は増税による負担を減らすどころか、かえって多くの小売店に対してマイナスの効果を生む。これではまるで参勤交代だ。
江戸時代、地方の大名を一年おきに江戸と領地を行き来させる事で、各地の大名は経済的な負担を強いられた。これは幕府へ反抗を出来なくさせるための措置と一般には理解されていると思うが、実はそうではないという説もある。結果として大名の力を削ぐことにはなっていたが、それは意図した効果ではないという。実際、参勤交代にあまり費用をかけ過ぎないようにというお達しも記録として残っているようだ。
軽減税率を無理に導入すれば、参勤交代のように小売業者にジワジワと(意図しない)負担を強いて弱体化につながる事は確実だ。小売業はもともと利益率が低く、給料も低い。その一方で雇用される従業員は多く、非正規雇用者の割合も多く、マイナスの波及効果は非常に大きい。おそらく軽減税率導入が原因で赤字に転落したり、潰れてしまうお店も出るだろう。導入を主張する人はそこまで考えているのだろうか?
■軽減税率に賛成をする人は7割もいない。
世論調査では6割から7割が軽減税率に賛成となっているようだが、これも導入する・しないの二択ならば負担が減る方を選ぶのはある意味で当然だ。しかしその選択肢に現金給付も加え、軽減税率による一人当たりの負担軽減は月に225円にしかならない事も客観的なデータとして提示すれば、7割もの国民が賛成するとは到底思えない。
正しい世論調査をするには客観的なデータを示したうえで三択にすべきだ。日本の悪化し続ける財政状況を考えれば消費税がさらに上がる状況は避けられず、一時的に一部商品の税率を低くする事にほとんど意味は無い。
そして「底の抜けたバケツ」、つまり膨大な無駄が含まれている年金・医療費等の社会保障費を放置して水が足りないと考えるのは滑稽の一言だ。本来ならば現金給付も生活保護受給者などを除けば必要は無い。225円が無くて生活に困るような人はほとんど居ないからだ。
■多額の「見えない税金」。
100兆円を超えてなお増え続ける社会保障費を削減し、多額の資産を保有する人への給付をカットすれば、今回議論されている5000億円とか1兆円程度の財源はあっという間にひねり出せる。お金持ちに多額の年金を払うような余裕はもう日本にはないはずだ。その上で経済的に困窮している人や失業者には手厚く保障し、徴税の手間・コストを考慮しながら増税する。
本来ならばこのような当たり前の話がここまで歪められているのは、多くの人が目の前の数字しか見ていないからだ。10年前と比べて、健康保険料や厚生年金保険料、介護保険料など、いわゆる社会保険料はおおよそ5%ほども上がっている(労使負担合計分で計算。健康保険は協会けんぽで試算)。これは収入に対してかかるので、消費した分にしかかからない消費税より負担はよほど大きいが、保険料率のアップは軽減税率ほど話題になってはいない。
給与天引きにより、見えにくい所で差し引かれている数字を無視する一方で8%の軽減税率を導入するかどうかで大騒ぎするのはあまりにアンバランスだ。社会保険料は「見えない税金」のように生活を圧迫しているが、多くの人は気づいていない。これは国立競技場の建設費で大騒ぎしながら、毎年100兆円以上発生する社会保障費に誰も関心を払わない状況と全く同じだ。
たいせつなものは、めにみえないんだよ。(星の王子さま サン=テグジュペリ)
目先の数字に囚われている全ての人に、この言葉を贈りたい。
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中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー