2月23日、ソチ五輪が終わった。日本で唯一金メダルを獲得した男子フィギュアスケートの羽生結弦さんは、帰国後しばらくはマスコミを賑わせそうだ。
彼に対する期待は尋常なものではなく、競技の前には羽生さんが東北の仙台出身で「復興の星」である事が繰り返し報道された。その期待に答えた彼は英雄と言っても過言ではないが、一つだけ気になる事があった。このような報道に対し「彼の競技と東北の復興は何も関係ない!羽生さんのスケートの技術だけを報じろ!」というマスコミ批判が無かったことだ。
■業績とバックグラウンドの関係。
一体何の話をしているのかと思われるかもしれないが、これと全く同じようなマスコミ批判がつい先日激しく行われた。STAP細胞の発見で一躍時の人となった理化学研究所の小保方晴子さんに関する報道だ。
マスコミの報道では小保方さんが若い女性であること、なぜか割烹着を着て研究をしていたこと、そして理系女子という言葉が使われたことなど、世紀の大発見よりもその人物像にフォーカスされた事について、偉業を成し遂げた研究者をバカにしている、海外ならば研究内容を丁寧に伝えるのに日本のマスコミはこれだから......と、報道に批判的な論調が一部であった。
偉業を成し遂げた人の背景を知りたいと思うことが果たして変なことなのか、それを報じるマスコミがおかしいことなのか、なんとも不可解でしょうがないが、そう思う人も居るという事なのだろう。小保方さんの報道を批判した人は、羽生さんと東北を結びつける報道も批判しなければ整合性が取れないのではないか(ただし、小保方さんや周辺の人物、はては近所の住人にまでしつこく話を聞きまわるなど明らかな迷惑行為があった点について一切肯定するものではない)。
■羽生結弦さんの重圧と葛藤。
羽生さんが復興の象徴として報道されている事について、美談として視聴者・読者はすんなり受け入れているように見える。小保方さんと分野は違えど、偉業を成し遂げた点では同じだ。羽生さんについて、特にテレビでは演技の映像よりも東北で被災してから五輪に臨むまでの過程の方が何倍も長い時間を使って放送されている。
競技前日に放送された日本テレビの「NEWS ZERO」では、震災後から五輪出場まで羽生さんの軌跡を丁寧に追いかけているドキュメンタリーが放送された。
羽生さん自身が被災して、避難先の体育館で天井を見ながら不安な日々を過ごしたこと。
仙台のスケートリンクが壊れて練習ができなくなってしまったこと
震災の数カ月後には日本全国を転々としながらショーに出演していたこと。
一人のスケーターでしかなく、そして自分自身も被災者の一人でありながら「復興の星」として期待される事が大きな重圧になっていたこと......。
震災以降、10代の少年としてあまりに厳しい環境の中で過ごしてきた事が映像とインタビューで淡々と語られる。このような葛藤と重圧の中でスケーターとして活躍して来たことは、五輪で金メダルを取ったことと同じ位凄いことだ。
■運命に立ち向かう個人。
羽生さんが金メダルを取るまでの過程に多くの人が感動するのはなぜだろうか。これははるか昔から語り継がれる物語と全く同じ構成になっているからだ。
運命に立ち向かい、葛藤する個人ーーー
運命は、宿命・ルール・体制・社会・問題と呼び替えてもいい。葛藤は、苦悩・苦闘・苦労・失敗・戦い・挑戦と言い換えても意味は同じだ。
古今東西の語り継がられる物語、そして現代でも人気のある物語は全てこういった構造を持っている。この葛藤の規模が大きければ指輪物語(ロードオブザリング)のような壮大なストーリーになり、規模が小さければ交際に反対する父親、といった身近な物語となる(恋愛は当事者にとっては世界平和と同じ位に大問題だ)。昨年大ブームとなった半沢直樹も、本来ならば会社組織でがんじがらめのルールに縛られてしまう所を「倍返しだ!」と戦いを挑む主人公の姿は、まさに運命に立ち向かう個人の物語だ。
羽生さんのスケーティングが凄い事はなんとなくわかるが、技術的にどれくらい凄いかは素人にはわからない。しかし「運命に立ち向かう個人」というストーリーは誰もが理解出来る。だからこそ偉業それ自体よりも偉業を成し遂げた人物のバックグラウンドにスポットが当たる。
羽生さんの葛藤は、3.11の被災とメダル獲得の期待という対立で、これ以上の組み合わせは考えられないほどに振れ幅が大きい。震災復興を背負っていたプレッシャーは想像を絶するが、最高の形で期待に応えた。このような「物語」はメダル獲得の感動を何倍にも増幅させる。
■人は物語を求める。
「実は作曲をせずに指示を出していただけ」「最近ではある程度耳が聞こえていた」と謝罪をしたことで大騒ぎとなった「現代のベートーベン」こと佐村河内守(さむらごうちまもる)氏も、このようなバックグラウンドを持っていた。
耳が聴こえないハンデを乗り越えて作曲をしている......一般聴衆のみならず音楽家まで彼を絶賛していた理由は、やはりこういった背景に魅せられていた(今となっては騙されていた)要素が非常に大きいのだろう。クラシック音楽の良い・悪いも普通の人には分かりにくいが、耳が聴こえないのに作曲しているなんて凄い、という話は子供でもわかる。
人気のある物語が運命に立ち向かう個人という構造になっている理由は、どんな人であっても自分の人生が必ずしも思い通りにならないことが関係しているのではないかと思う。困難な目標を成し遂げる主人公や、紆余曲折を経て恋愛を成就させるヒロインに多くの人が共感し、快感を覚えるのは人種も国籍も問わずごく自然な事だろう。これが作られた物語ではなく、現実の世界で起きていれば尚更だ。
小保方さんも当初はその研究結果をイギリスの権威ある科学誌・ネイチャーから「細胞生物学の過去の歴史をバカにしている」と酷評されたという。それでも研究を続けてその成果を認められた。これもまた運命に立ち向かう個人という構造をなぞっている。
先日書いた「就職活動を始めた大学生はNHKのお天気お姉さん・井田寛子さんに学べ」という記事も、順調な人生を歩んで来たように見えるお天気お姉さんが、実は度重なる挫折を経て努力を積み重ねた結果現在のキャリアを築いているという内容だが、これも構造としては同じだ。この記事には「井田さんてこんなに凄い人だったんだ!」という感想を多数頂いた。
かつてNHKで強い人気を誇ったプロジェクトXも、企業が実現困難な製品を苦労の末開発する、とても敵わない巨大企業を相手に打ち勝つ、といったストーリー構成になっている。モノがあふれる現代では「商品ではなくストーリーを売れ」と言われるのもビジネスの世界ではもはや珍しい話ではない。
スポーツ選手も研究者も音楽家も企業もお天気お姉さんも皆同じだ。分野を問わず多くの人から共感を得られる理由は、その背景に「運命に立ち向かう個人」という物語があるからだ。
■金メダリストでもまだ10代の羽生さんに対して、マスコミには細心の配慮を求めたい。
メダル獲得の翌日、羽生さんは次のように語ったという。
被災地の現状については「ボランティアや募金がだいぶ途絶えてきてしまった」と心配し、「金メダルを取ったことで、復興に対する一歩を踏み出していただけたら、それが一番うれしい」と力を込めた。
「復興の一歩に」...羽生が故郷への思い語る 読売新聞 2014/02/16
「復興の星」としてなんとも頼もしい発言である。NEWS ZEROでも、葛藤を乗り越えて今では復興のために頑張りたいと、前向きな気持ちになっているような話の締めくくり方だった。しかし心の中はそれほど単純な話ではないと想像する。2年前にはより環境が整った場所を、と関係者が尽力して練習拠点をカナダに移したときには、復興で大変な時期に仙台を離れることについて「自分は裏切りものなんじゃないか」「仙台から離れたくない」と涙を流して悩んでいたという。
復興については前向きな発言をする一方で、メダル獲得後の会見では「メダリストになっただけでは、復興の手助けにならない。何もできない無力感を感じた」「(震災の被災体験について問われて)あまり振り返りたくないので、コメントを控えさせていただきます」と答えるなど、まだ葛藤の真っ只中であるようにも見える(いずれも上記の読売新聞より引用)。金メダル獲得に関しても嬉しいという思いと同じくらい重圧の中でホッとしている面も大きいのではないだろうか。
小保方さんは迷惑なマスコミ取材を牽制するような声明を出さざるを得なくなったが、羽生さんについても、帰国後のインタビューで震災についてしつこく話を聞くような事はぜひ辞めて欲しい。今でも震災や津波の映像がTVで流れる前には注意のアナウンスがある位なのだから、被災者でもある羽生さんに多数のメディアが繰り返し震災体験を根掘り葉掘りインタビューするような事になれば彼にとって大きなストレスとなる可能性もある。一切この話題に触れないことも不自然だろうが、言葉遣いや表現については慎重に選ぶべきだろう。
メディア関連の記事は以下も参考にされたい。
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繰り返し書いたように、偉業を成し遂げた人のバックグラウンドに興味をもつことは何ら不自然な事ではない。しかし、だからといって本人に迷惑をかけるような取材が許されるはずもない。今後は「羽生フィーバー」が巻き起こることも予想されるが、冷静でバランスの取れた報道を期待したい。
(2014年2月27日「シェアーズカフェのブログ」より転載)