グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?

儲かってる企業が人材やオフィスにお金をかけているという事ではない。ビジネスの仕組みが変わってしまったと見るべきだ。
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4月3日、労働基準法の改正法案が閣議決定された。特に問題がなければこの後に待っている国会審議も与党多数の状況で可決されるだろう。

この法案では「高度プロフェッショナル制度」を導入し、年収1075万円以上の高度な知識を使う専門職について、残業代の支払い対象から除く事となっている。これによって「労働時間ではなく成果で報酬が決まるようになる」と報じられている。

「残業代ゼロ法案」「過労死法案」と一部でひどく評判が悪いが、一部報道もこういった反対論もかなりの誤解、勘違い、間違いを含んでいる。

改正法案の話をする前に、なぜこういった法案が出てきたのか、現在の状況を丁寧に解きほぐして考えてみたいと思う。

■労働時間=成果=報酬?

従来、労働時間は成果に直結し、それが報酬となっていた。つまり「労働時間=成果=報酬」ということになる。

しかし現在、労働時間は必ずしも成果とは直結せず、結果として労働時間に応じて報酬を払うには無理のある状況が一部で生まれている。つまり「労働時間=成果=報酬」の関係が壊れてきているということだ。

それを象徴するようなニュースが最近報じられた。グーグルが日本の優秀な学生を高い報酬で雇おうとしている、という話だ。

■グーグルは新卒の学生に1800万円の報酬を払い、フェイスブックはアトリエのようなオフィスを作る。

毎日新聞では以下のように報じられている。

「優秀な学生を紹介してほしい」

 米IT大手グーグルの役員ら約40人が東京大学の本郷キャンパスを訪ね、人工知能(AI)を研究する大学院生らのリクルートを始めたのは数年前のことだ。学生たちに提示した条件は年収約15万ドル(約1800万円)で、日本のサラリーマンの平均年収の4倍以上。

<グーグル>東大で「青田買い」 AI技術流出に日本危機感 毎日新聞 2015/4/2

記事の中では、東大准教授の「優秀な学生から引っ張られていく。国内産業の将来を考えると日本にとどまってほしいが、行くなとは言えない」というコメントと、経済産業省幹部の人材と技術が流出しかねない、というコメントも紹介されている。

この記事を読んで、また別のニュースを自分は連想した。フェイスブックの新しいオフィスに関するものだ。スチールデスクが向かい合って並んでいる日本企業のオフィスからは、想像も出来ない写真が多数掲載されていた(フェイスブックの新オフィスがオシャレすぎる ギズモード 2015/04/02)。

日本でもIT系の新興企業がオフィスにお金をかけることは珍しくないが、フェイスブックのオフィスは豪勢とかオシャレとかそんなレベルではない。広大な田舎の風景の中に見晴らしの良いベランダがあり、芸術家のアトリエに迷い込んだのかと錯覚するようなオフィス内の写真がいくつも紹介されている。高名な建築家がデザインしたというオフィスにはアート作品がいくつも並び、圧巻の一言だ。

これらのニュースが示す事実は儲かってる企業が人材やオフィスにお金をかけているという事ではない。ビジネスの仕組みが変わってしまったと見るべきだ。

■現在のビジネスはアートの領域に近づいている。

日本の成長を長年にわたって牽引した企業は、その多くがモノ作りに関わっている。モノ作りで重要な事は「生産管理」だ。

生産管理とは、一定の品質の製品を、納期に合わせて効率的に作る事を意味する。つまり設計やデザインだけが素晴らしくても、商品を顧客に届ける所まで実現できなければ意味が無い。一つでも欠陥品が出荷されてトラブルが起きれば、企業は莫大な損失を被り信用は失墜する。

ではグーグルやフェイスブックのような企業はどうか。フェイスブックは「フェイスブック」というウェブサービスを顧客に合わせて何千万個、何億個と作る必要は無い。たった一つだけ高品質なサービスを作れば、それをいくらでも多数の客に展開出来る。オフィスやウィンドウズのようなソフトウェアでも、最初の一つを作るためには莫大な開発コストがかかっても、二つ目はそれをコピーしてCDに焼き付けるだけだ。このように、モノ作りとソフトウェア・ウェブサービスは全く異なるビジネスの構造を持つ。

たった一つの優れた商品を作れば良いという構造はアート作品を作る行為に似ている。極論を言えば偶然でもヒット作が出来ればそれでも良い。フェイスブックのオフィスがアトリエのような作りになっていることは決して偶然ではない。社員は従業員ではなく「アーティスト」であり、そんな人材を湯水のようにつかって「偶然」を「意図的」に作り出そうとしている。

池田信夫氏が著書「イノベーションとは何か?」で指摘するように、情報産業は一つの作品を作るアートであり、イノベーションは突然変異である、ということだ。

グーグルが高度な知識・技術を持った学生に1800万円の報酬を払うのも、ビジネスの感覚ではおかしく見えるがアートの感覚ならば全く違和感は無い。

■売れないミュージシャンの経済的な価値はゼロかマイナス。

例えば人気アーティストが一回ライブを行えば数万人のファンが来場して莫大な売上が発生する。一方、売れないミュージシャンはチケットノルマで費用を負担してライブハウスに出演する。

つまり売れるアーティストの経済的な価値は青天井だが、売れないミュージシャンや仕事のない役者の経済的な価値はゼロかマイナスだ。売れないミュージシャンが何十人集まっても人気アーティスト1人の経済的価値・生産性にはかなわない。これがビジネスの世界でも起きている。

グーグルの青田買いにはアベノミクスによる円安効果も働いている。マクドナルドのアルバイト時給がアメリカでは平均10ドルになったとつい先日報じられた。今の為替レートで日本円に換算すれば時給約1200円と日本のマクドナルドより何割も高くなる。逆に言えば日本人の給料はドル換算で急激に安くなっており、日本の人材は「安く買える」ようになっている。アメリカ企業から見れば日本の新入社員の給料は、アルバイトに毛が生えた程度ということになってしまうのだろう。

※知人に聞いた話によれば、アメリカでは経験がなくとも高度人材ならば新卒でこれ位の報酬を貰うことは全く珍しくないという。

■L型の雇用・報酬体系でG型は雇えない。

こういった事を書くと、フェイスブックやグーグルみたいな企業で働く人なんてごく一部で大多数の人は関係ない、といった異論があるだろう。これは当然の指摘だが、問題はそういった話ではない。

以前、L型・G型という分類が論争になったことがある。ローカル経済圏とグローバル経済圏とに分かれた産業構造に合わせて、ローカル向けの大学教育はより実務に役立つ職業訓練にすべきではないか、具体的には簿記や会計ソフトの使い方、工作機械などの使い方を教えれば良い、という提言が賛否を呼んだ。

L型は物流・飲食・医療・介護など、その場に人間がいなければ商品・サービスが提供できない産業で、IT・ウェブとは対極にあるビジネスモデルだ。

この話題は「大学で簿記3級を教える事は正しい」でも取り上げたが、記事の中では以下のように書いた。

「グローバルなビジネスで雇用を生むのは難しく、生まれたとしてもごくわずかということになる。利用者が5億人を突破し、世界中で展開するスマホアプリのLINEであっても、LINE株式会社の社員数はわずか790人だ。」

つまり、グーグル・フェイスブック型の企業は大きな雇用を生み出すのは難しいということだ。売り上げではグーグルと同規模の日本企業を比較しても社員数は数分の一だ。

ではなぜこういった一部のグローバル企業、ITアート企業に合わせた雇用形態が必要なのか? それはL型を前提とした雇用・報酬のルールでG型企業はまともな雇用が出来ないからだ。

■日本ではアンドロイドもiOSも生まれない。

高度な知識を有した修士や博士と言えど、日本で新卒の学生に1800万円の報酬を出す企業はまず無いだろう。それは雇用形態が長期雇用を前提とし、すでに説明したように「労働時間=成果=報酬」という前提でしか雇用出来ないからだ。この枠から抜け出そうとすると、業務委託や請負、派遣など正規雇用の枠から外れる事になってしまう。

もし1800万円の報酬で雇った社員が期待したパフォーマンスを出すことが出来なかったら? そう考えれば日本の企業が新入社員にこの報酬を出すことは当然出来るはずもない。新入社員は一律で給料が決まり、将来的に差がついてもせいぜい2倍程度という報酬体系では、本当に優秀な人は独立・起業と雇用の枠から外れた働き方をした方がトクということになる。

個人としてはそれで良いかもしれないが、より大きな視点で考えれば「天才」が何百人とか何千人も集まって作られるフェイスブックやアンドロイド(グーグル)、iOS(アップル)のようなウェブサービスやソフトウェアを生み出すことは出来ない。

モノ作りで圧倒的な強さを誇る日本企業がIT・ウェブで全くと言っていいほど存在感を出すことが出来ない理由、そして小規模なベンチャー企業は多数あっても、グーグルやフェイスブックのようなメガベンチャーが決して生まれない理由は、こんな所にも原因はある。

繰り返すが「労働時間=成果=報酬」の関係はすでに一部で壊れつつあり、これを全く文化の異なるグローバル企業、ITアート企業に適用すべきではない。つまり、企業が雇用の柔軟性を確保してイノベーションを起こすためにも今回のような法改正は必須ということになる。

とはいえ改正法案に問題が無いわけでもない。今回の記事で書いたようなビジネス視点とは別に雇用者視点で考えなければいけない事もある。これについては次回の記事で説明したい。

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