街を歩いているとき、ふしぎな雰囲気の界隈に行きついたことはありませんか?
なぜかスナックが密集してうらぶれた地域、華やかな装飾がなされた古びた建物群...。
それはもしかしたら、元々遊郭だったり、戦後政府によって売春が公認されていた地域「赤線」の跡地だったりするかもしれません。
そんな場所と、そこに息づく「人」に魅せられたのが今回の主人公、渡辺豪さん。
吉原でオープンした遊郭・赤線専門の本屋さん、「カストリ書房」の店主です。
遊郭・赤線の調査から関連の文献の復刻・出版、そして販売まで、一貫して手掛けています。
たまたま足を踏み入れた遊郭跡のおもしろさに魅かれ、全国の遊郭・赤線の聞き取り調査を行ったことが現在の書店につながっていると言います。
遊郭・赤線跡地の調査で見えてきたこととはなんだったのでしょうか?
「カストリ書房」におじゃまして、渡辺さんにお話を伺ってきました。
街歩きから派生した遊郭への興味
ー「カストリ書房」にはどんな本があるのでしょうか。
遊郭・赤線・歓楽街といった分野に関する文献資料を専門に販売しています。自分で調査・出版を手掛けた本の他、古書や新刊書籍も取り扱っています。
ー2011年頃から赤線や遊郭跡地の調査をしていたということですが、どういうきっかけで興味を持ったんですか。
きっかけは、旅行です。いわゆる観光地めぐりに飽きて、道を外れて、街外れのスナックが密集しているところに行ったりしたことがあるんです。なんとなく「おもしろい、なんだろうなあ」と思って、その街の過去を調べてみると、それがかつての遊郭跡だったりとかするんですよね。今思えば、旅や街歩きから派生した遊郭への興味だと思います。
ーなにに魅かれたんですか。
街が過去の記憶を残し続けているっていうところに魅かれたのかなと思いますね。売春防止法が昭和33年に施行されて、それまで売春が黙認されていたいわゆる赤線地帯は消滅したんですが、それからもう60年近く経っているのに、今も歓楽街として続いていたり、場合によってはまだ売春が続いている。
例えば、浅草にあるひさご通りの辺りは「十二階下」といって、12階建の塔である凌雲閣の下は大規模な私娼窟だったんですが、それが大正12年の関東大震災で消滅して、それから100年近く経つのに、今も街娼の人が立っていたりする。どれだけ街が新陳代謝しても、どこか過去の記憶を引きずり続けている。
ー魅かれるのは、独特の建築様式ですか。
いえ。実は、建築様式に関しては早い段階から興味を失っていました。そこで話を聴くことに興味を持つようになったんです。そこに住んでいる人...新しい住人の方もいるし、今も仕事を続けているやり手婆さん(遊郭で遊女の指導や手配をする女性)もいる。彼/彼女らはどんな思いを持っているのかなっていうところですね。人の気持ちを知りたくて、全国津々浦々を歩いていました。
ー聞き取り調査はどのように進めているんですか。
遊郭に住んでいる人に話を聴きたいので、1軒1軒を伺って話を聴きます。遊郭を経営している方の息子さん、お孫さんたちが多いですね。
ー地域の中で、アンタッチャブルなものとして扱われているところもありそうですね。
場所によってそうです。ただ、地域毎に程度に差があるのではなくて、遊廓の内と外で差というか温度感があるように感じています。遊郭だった地区の近所に住む人に来訪目的を告げたりすると、「そういうことは訊かれたくないだろうから、あの辺り(遊廓地帯)へは行かないほうがいいんじゃないの」というアドバイスをもらうこともあります。
でも、「周りではなくご本人たちの言葉を聴きたい」という思いがあるので、勇気を出して経営者だった方のお宅を訪問すると、最初はびっくりされるんだけれども、だいたい話を聴かせて貰えるんですよ。こちらから根掘り葉掘り聞かなくても、向こうからいろんなことを教えてくれる場合がものすごく多い。遊廓の周囲に住む人たちが敬遠しているというか、腫れ物に触る気持ちでいる。反面、遊廓を営んでいたご家族の方は、意外にカラッとされている、というのが私なりの経験則です。
ー寛容なんですね。
特にかしこまった理由を付けず、ただ素直に「好きなんです」っていうとそのまま受け止めてもらえますね。理由も訊かれずに。でも話を伺うとものすごくしゃべってくれるんです。
ーそのまま受け止めてくれるんですね。
遊郭の経営者の息子さんやお孫さん達は、自分の家族の仕事に対する誇りを持っているようにさえ思えるときがあります。でも歴史の上では、売春防止法が成立して、それまで認可されて納税もしてきた業種であったのに、唐突に悪者扱いされてしまった。法律で禁じられてしまった以上は従うしかないし、敢えて声高に何かを主張することもなく過ごしてきたんだと思うんです。
でもそこにはある種のストレスがあって、「自分達の親はこんなことをやってきたんだぞ」っていう誇りがある。それを話したい、言葉を持っている人たちだと思うんです。僕みたいな見ず知らずの者でもお話して下さるということは、そういうことなんだと思うんですね。
ー溜まっていた言葉があったのでしょうね。
考え方は色々あるけれども、辛い環境にあった女性達がいたことはもちろん忘れてはいけませんが、遊廓の経営者側も、遊女たちと同じように歴史に翻弄されてきた側というか、悔しい思いはあると思うんですよね。
現代の私たちは、遊郭経営者対遊女さん達という対立構造で考えがちなんだけれども、その外側にはもっと大きな力、例えば国策であったり経済成長、が働いていて、地域や時代毎に例外やバリエーションが無数にある。そういう過去を中で生きてきた1人1人の思いを聴くのがおもしろいですね。
ー遊女さん達と経営者というのはどういう関係なんですか。
田舎に行けば行くほど、遊女さん達に対して優しい目線があるなと感じました。都会に行くほど辛辣なんですが、田舎の人達からは、「『この女の人達は家族を救うために売られてきたんだから、女郎さんを悪く言っちゃいけないよ』っていう教育を受けました」っていう話をよく聞きますね。それは経営者の息子さんだったり、近所に住んでいた方たちからです。
ー地域全体から理解されていた?
彼女らは口減らしとして来たので、自分が売られなければ、家族皆が死んでしまう。そういう事情や背景も地域の方は理解していたんでしょうね。でも都会に行くとそういう事情が見えなくなってしまうんでしょう。
ー経営者の方にお話を聴いて、印象に残っていることはありますか。
「今まで他の人に自分の家のことを話したことはなかったんだけれども、あんたならいいわ」と言ってもらえたことが嬉しくて、印象に残っていますね。
あとは、地方へ伺った際に「あんたどこから来たの」ってきかれたときに、「東京からです」って答えるとびっくりされて、「まぁまぁ、茶でも飲んできなさい」って言ってもらえたりとかね。
ー皆さん優しいですね。接してみてどうでしたか。
やっぱり僕らと一緒なんだな、と感じましたね。過去に売春の営業をしていた人たちって特殊なんじゃないかな、アウトローなんじゃないかなと、関わりのない私たちは当然思いますよね。
ー確かに、私もちょっと怖いイメージを持っていました。
僕も自分の世界とは切り離された世界の人たちなんじゃないかと思っていたんですが、普通の人たちなんです。「今晩のおかず何にしようかな」とか、「テレビつまんないな」とか考えていたりするんです。そうした別世界の住人だと思えていた人達が、自分の世界と地続きなのだと感じる瞬間が何ともいえない充実感になりますね。
ー山っ気のある人たちなのかと思っていました。
当然、遊郭を経営する初代の人たちはバクチ的に「ひと山当ててやろう」という人が多いと思うんですが、2代目3代目ってそういうわけじゃなくて、「親の仕事だから継ぐか」という感じでしょうね。そこには当然に複雑な思いがあるのでしょう。
ー私たちと全く変わらない人たちなんですね。
遊女と呼ばれていた女性たちの悲哀に満ちた生活というのは、画になるから目が行きがちだし、だからこそ文芸や映画という創作にこれまで数え切れないくらい扱われてきた。でも、「経営者たちも言葉を持っている人たちなんだ」というのが、僕の伝えたいことの一つですね。彼らは彼らで色んな辛いことや悲しいことももちろんあっただろうし、そちら側にも目を向けたいなと思うんです。
優れた資料を復刻する。出版社・書店の立ち上げ
ー聞き取り調査をしてから、出版社や書店を立ち上げるまでの経緯を聴かせてください。
最初は実際に見に行ったり、行った先の郷土資料室に籠って遊郭に関する資料を調べたりとか、狭く深くみたいな感じで調べていました。ただ、遊郭っていうのは戦前550ヶ所あって、戦後に関しては赤線や青線と言われていた売春街が2000ヶ所あったらしいんですよ。
ーそんなにあるんですか。
そう考えると、60年も経って、どんどん人や建物がなくなっていく今このタイミングで、1ヶ所について深く調べるのはあまり効率的ではないではないと感じ始めました。「今何をするべきか?」そう考えて、写真記録を残しておかないといけないと思いました。それで作ったのがこちらの本『遊郭 紅燈の街区』です。2012年から2014年ぐらいまでの間に撮影したもので、当時はサラリーマンだったので、余暇を利用して撮り集めた写真集です。
ーこんなにきれいに建物が残ってるんですね。
ものによっては建物がボロボロだったりするんですけどね。これは僕の経験則に過ぎないんですけど、戦前のものより戦後の建物の方がなくなっている気がします。
ーどうしてですか。
戦後はモノがない中で作ったので、建築としてチャチなものが多いんじゃないでしょうか。戦前はいい木材を使っていたり、丸窓や飾り天井を作ったりするじゃないですか。そういうものに比べて建築的な価値を認められず、住んでる人も不便な所に住み続けるのは嫌だろうし、だったら潰して、ということで建物自体が残りにくいものなんでしょうね。
ー写真集制作時の思いを教えてください。
自分ひとりで何ができるのかと考えた時に、今はインターネット上に赤線の写真がたくさんある。ただ、同じ場所で似たような構図で、同じようなキャプションで。でも情報の複製ばかり作っても集合知は生まれない。
ーどうしてそうなってしまうのでしょうか。
そもそも情報源がないことに問題があるんじゃないかと思いました。なので、参考するに足りうるような優れた資料を復刻しようとしました。これが出版を始めた最初の動機です。2014年の末に「全国女性街ガイド」っていう最初のタイトルをリリースしました。その時は会社に勤めながら活動していたのですが、2015年の夏に会社を辞めて、「カストリ出版」としてスタートさせました。
ー出版業を始めて、どうでしたか。
実は制作よりも、販路が一番の課題となりました。出版業界というのはご存知のとおり再版制度というのがあるんですね。書店は売れなかったら出版社に返品する。在庫になってしまった本は、最終的に出版社が新たにお金を掛けて裁断して廃棄している。一説には返品率は40%超といわれているので、例えば1000部刷ったときには、400部ぐらいの本が破棄されてしまうんです。とても時代と逆行している。
ーせっかく作っても、悲しくなりますよね。
そこで、私は自主流通本に可能性を見出しました。前職で有料サイト、SNSやメディアなどの運用経験があったので、SNSで集客をして、インスタントECで販売していけば、初期投資は最小限にして、販路まで自分で構築できるなという読みがありました。再販制度や取次という仕組みが悪いとかそういう意味ではないです。あくまでスタートの段階で、最小のリスクで開始できる。
ーそれが今のインターネット販売ですね。「カストリ書房」はどうしてできたのでしょうか。
ネットとリアルを区別すべきじゃないと僕は思っていたので、リアルの世界でも販売をしたいと思うようになりました。書店さんと契約を交わして卸していく中で、書店のオペレーションを垣間見ていくうちに、このオペレーションなら、未経験の自分でもできそうだと感じたんです。
私の扱っているジャンルはどうしたってスケールするものではないですからね。狭く深いジャンル。卸せば拡がるけど、その分、利益率は落ちていってしまう。だったら自分で実店舗の販路を作ってしまおう、というのがこのお店というわけです。自分の店なら卸値も100%ですからね(笑)。オープンしたのが2016年の9月です。北海道から沖縄まで、色々なところから予想以上にお客さんが来てくれましたね。
セックスワーカーへの理解ー現代人の赤線の受け止め方とは
ーお客さんはどういう方が多いですか。
男女比でいうと、女性が現時点で7割ぐらいだと思うんですよ。オープン当初は女性の方が多いかな、というぐらいだったんですが。リピーターに関しては女性比率がどんどん高まっていって。年齢部分に関しては、男性は各世代ともだいたい均等なんですが、女性は20代後半から30代前半が突出しています。自分で自由にできるお金のある世代ということなのでしょうか。
ー意外ですね。
あとは、性差で顕著なのが、反応ですかね。男性は理性的な反応を示すんです。「今となってはこれは貴重な資料ですね」みたいな。でも女性は最初の反応が「おもしろい」なんです。
ーおもしろがってくれるんですか。
そうです。例えば遊郭のページがあるじゃないですか。自分の故郷のページを見つけて、「ここすごいうちの近所じゃん」みたいな。「へえ、こんな近所に遊郭があったんだ」の次は、「自分の時代に遊郭があったら、絶対に行くわ」とか言うんですよ。男性は行儀がいいというか。女の人はそこはライト、あっけらかんだなあと思いますね。
ー現代らしい感じですね。
この頃はいわゆるセックスワーカーに関する考え方がすごく変わってきている気がしますね。僕らの親の世代ことを思い出してみると、水商売の人達のことを少なからず見下していたような部分があると思うんです。でも今、彼らを見下すような発言はあまり聴かなくなったし、若い世代の人達ほど、職業人としてある種のリスペクトを持っているように見える。
それと同じような構図が、若い世代の間で、セックスワーカーといわれる人達にも拡がってきているように思えます。それが悪いかどうかは別としてね。少なくとも法律上は禁じているわけだけど、倫理面では変化しているように感じます。
ー時代背景もあるんでしょうか。
そうですね。昭和レトロに魅かれている人が多いのも、不況が要因として大きいんじゃないかなと。現代にもかっこいいものとか洗練されているものはたくさんあるんですけど、無駄のない洗練ですよね。昭和のラブホテルなんか、室内にメリーゴーラウンドなんかあったりして、ある種、無駄の塊です。でもそうした無駄を実現できたのは、社会に勢いがあったからこそじゃないかなって。
ー今はあんまりそういうものはないですよね。
例えば、今は品質の高いものが安く買えるようになりましたけど、それって裏を返せば不況の表れなんじゃないかなって。過去の勢いがあった時代への憧れというか。実態とはかけ離れているんだけど、遊郭も豪華絢爛なイメージがあって、勢いのあったものへの憧れみたいなものがあるんじゃないでしょうか。
100年以上にわたり、江戸風鈴を作り続ける篠原風鈴本舗とカストリ書房がコラボして作った風鈴。遊女が使っていた煙草や櫛簪の他、蝙蝠や蜘蛛がモチーフに使われている。
性の世界が人の生き様にまで広がる
ーおすすめの本を教えてください。
まずはこの一冊。『遊廓 紅燈の街区』です。
ー全てご自身で撮影されているんですね。
そうです。一般的には普通の民家になっているので、撮影許可を頂いて、中をできるだけ撮るようにしました。
ーインターネットで公開されているものって、だいたい外から撮影しているものですよね。中を撮影されているから、人の息遣いが感じられますね。
そうですね。外から撮るだけの視点って冷たいなと感じていて、結局はアンタッチャブルなものとして扱ってしまっているのかなと。それが悪いことだとは思わないけれども、正面からお願いした方が素直なのかなと感じますね。
あとは『全国女性街ガイド』。売春防止法が公布される1年前の昭和33年に作られたものです。赤線時代ですね。だから売春防止法ができる直前の全国の状況を知る上で貴重な書籍です。全国350ヶ所を取材した唯一無二のものなんですが、当時は性風俗情報としてしか見られなかったでしょうね。
ー赤線が生き生きとしていた時代を知ることができる資料ですね。
この方は本を出した後消息不明になっていて、そこもミステリアスだなと感じて魅かれました。ずっと絶版だったんですが、復刻させました。
この本の著者の「渡辺寛」っていう人がどういう人なのか気になったので、ずっと探してたんですね。一昨年、やっと住所が分かって、ご自宅を訪ねたらご本人は既にお亡くなりになっていたんですが、息子さんと娘さんが対応して下さいました。ご家族にインタビューをして作ったのがこちらの本。『赤線全集』です。
当時の雑誌などに寄稿されていた渡辺寛さんの原稿を探し出して、集成を作りました。消息不明といいましたが、実際には出版業界からいなくなっていただけで、偉くなっていたそうです。
ーすごいですね。
おもしろい生き方をした人だと思いますね。幼い頃に関東大震災で家を失って、工場で働いて家族を養うなどご苦労されていた方みたいです。苦労していたけれども、そういうことはなにも言わない方だったそうですね。今を楽しむような感じの人だと言ってました。そういうところは憧れますね。
ー赤線から、人の生き様にまで。広がりますね。
性や赤線って、調べて行くとすごく深いところに辿りついてしまうというか、例えば当時の労働問題、建築史までたどりついてしまうこともあります。性や赤線を切り口にすれば、いろんな方向に進むことができておもしろいですね。
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(この記事は、"ハートに火をつける"Webメディア「70seeds」から転載しました)