日馬富士による暴行事件を受けて、日本相撲協会が、その場にいたにも関わらず暴行を止めなかったとして、白鵬と鶴竜だけに処分を下したことが理解できない。
現場にいた力士は彼らだけではない。被害者の貴ノ岩の他、照ノ富士と石浦もいたと報告書には記載されている。
なぜ、照ノ富士と石浦には何の処分も下されないのか?日馬富士は彼らよりも身分が上だから、犯罪を犯したとしても、止められなかったのは仕方ないとでも言いたいのだろうか?もしそうだとしたら、その考え方こそ、暴力を増長させうるものであり、報告書の「相撲界全体の意識を変革するよう努めるべきだ」という提言とは真逆の結果を招きかねない。
「暴力を止められるのは加害者より身分が上の人だけ」というメッセージを社会に放つのだとしたら、相撲協会が変革したいという「指導のためであれば暴力も容認されるという意識」を本当に変革できるだろうか?
スポーツ界での「指導」のほとんどが、その場に居合わせる人間のなかで一番身分が上の「監督」や「親方」や「コーチ」から下されるわけだから、もし彼らが暴力を振るった場合、止めることができるのは、下の身分の人しかいない。
つまり、本当に暴力を根絶したいのなら、「上からの命令は絶対」という不条理極まりない考え方自体を改める必要があるのではないか?だからこそ、相撲協会は、照ノ富士と石浦にも処分を下すことで、「身分に関係なく、暴力を目撃したら声を出すように」というメッセージを出すべきではないか。
2007年に私の故郷、新潟出身力士が稽古中に命を落とした事件も似ている。親方の指示で集団暴行にあい、力士が亡くなったにも関わらず、遺族が要請した解剖結果が数日後に出るまで、力士が所属していた部屋は事件を報告しなかった。部屋にいた力士全員、稽古中に後輩が亡くなったことを知っていた可能性が高かったにも関わらず、それについて詳細な調査は実施されなかった。
もし、知っていて声を上げなかったのだとしたら、部屋全体が処分を受けるべきなのに、処分を受けたのは、暴行を加えた親方と兄弟子3人だけだった。「力士が親方のすることについて声を上げられないのは仕方ない」という意識が作用したとしか思えず、これでは暴力が根絶されるとは到底思えなかった。あれから10年。根底の部分で相撲協会の体質に変化があるようには思えない。
暴力根絶を目指すなら、身分や肩書に関係なく、暴力はいけないと言える社会を目指すべきではなか。相撲協会に今回の決定について再考してもらいたい。