新潟の魚沼地区に2年暮らして「コシヒカリ」を知らずに帰国していく外国人留学生たち

「知らないな。新幹線の名前か?」との返答。

私が住む新潟県南魚沼市は人口5万人で「コシヒカリ」と「八海山」くらいしか連想できないかもしれないが、実は全国でも有数の国際都市の顔も持つ。山と田んぼに囲まれた片田舎に、50か国以上から350人の留学生が通う「国際大学」がある。5万人の町に50か国以上の人が暮らす自治体が他にあるだろうか?世界でもかなり珍しいのではないか。授業はすべて英語の大学院大学で、アジアやアフリカ出身のエリートたちが経営学や国際開発学を学ぶ。私の家からは車で5分ほどの距離にあり、週に2回バスケをしに行くうち、何人か友人ができた。(バスケのメンバーも、モンゴル人、モロッコ人、マダガスカル人、アメリカ人、セネガル人、ラオス人、ブルンジ人など多様だ)

その内の一人、アフリカのマダガスカル出身のジョエルと先日ご飯を食べていたら、「故郷に帰る時はどんなお土産を持っていくの?やっぱりコシヒカリか?」と尋ねたら、ジョエルから信じられない返事が返ってきた。「コシヒカリ??何だそれは?」。ジョエルの南魚沼滞在歴は2年になろうとしていた。にもかかわらず「コシヒカリ」を知らない?大学の周りには、店もレストランもない代わりに、無数の田んぼがある。

私は、これが彼だけの例外的なケースだと信じたかった。私はフェイスブックで、フィリピンからの留学生で同じく来日してから2年近くになるジョシュアに「突然だけど、『コシヒカリ』って聞いたことある?」と尋ねた。そしたら、すぐに返信が来て、「知らないな。新幹線の名前か?」との返答。「それは『ひかり』だ!『コシ』はついてない!」と私は少しムキになった。

彼らは今年6月帰国予定で、この会話がなければ、コシヒカリを知らずに帰国することになっていたかもしれないし、これまで国際大学を卒業した4000人以上の中の相当数が同じ境遇だとしたら、とても悲しくなった。私は海外で17年暮らし、一昨年日本に戻ってから、日本の「国際交流」政策にいくつもの疑問を抱いていたが、これで疑念がさらに深まった。

国際大学にはアフリカの赤道ギニアという国の出身者が3人いる。同国出身の日本在住者は全体で6人。つまり、この国へ届く日本の情報の大半は南魚沼から発信されるということだ。同じく、ジョエルは、日本に滞在するマダガスカル人約100人のうちの1人で、大学には他に6人いる。言い換えれば、国際大学こそ、こういったアフリカ諸国と日本との懸け橋的存在であり、南魚沼市、いや新潟県全体の国際交流プログラムの拠点になりうるのだ。ジョエルの卒業式にマダガスカルから親せきが訪れれば、新潟とマダガスカルのパイプはさらに太くなる。しかしジョエルが「コシヒカリ」さえ知らずに祖国へ戻れば、新潟の良さなど知ってもらえるのは難しい。

それでは、行政の施策をのぞいてみよう。新潟県の国際交流事業費22億円のうち、「国際大学」の名前が出てくるのは一か所だけ。県職員を一名、同大学の英語講座に派遣するというものだ(150万円)。15億円が空港整備などのインフラ事業に充てられ、後は、外国から国際交流員を招聘することや語学研修やら姉妹都市との交流事業に使われ、すでに県内に住んでいる外国人との交流や支援に回されるお金は少ない。

国際大学があるにも関わらず、南魚沼市には、そもそも「国際交流係」という部署さえ存在しない。県のホームページによると、市の唯一の国際交流事業は中学生20人を米国へ一週間派遣するというもので予算800万円がかけられている。派遣された生徒の一人は私の知り合いで、来年から米国へ1年留学する予定というが、国際大学に足を踏み入れたのは人生で2回だけだという。わざわざアメリカまで行かなくても、これだけ近くに異国の世界があるのに、とてももったいない。

国際大学の学生を巻き込んでできるプロジェクトは色々考えられる。地元の小中学校で学生を招いた特別授業や料理教室、地域住民を招いた大陸別対抗運動会、小学生対象の英語サマーキャンプ、、。高校生なら、大学内のコンビニやカフェテリアでバイトすれば、お金をもらいながら英語が学べる。

日本語を話せる学生は少ないにも関わらず、通訳サポートは完全ボランティア任せだ。先日はモンゴル人の友人が魚沼基幹病院で足の手術を受けるからと通訳を頼まれた。赤ちゃんの4か月や1歳検診のスケジュール表には、英語で「外国人の方は日本語と英語がわかる方を連れて来て下さい」とある。この片田舎で、平日の昼間に検診で話される専門用語を同時通訳できる人を探すのは容易ではない。国際大学の学生が英語で南魚沼市のウェブサイトから情報を得ようとしても、グーグルのオンライン翻訳を使用しているため、文法ミスとあいまいな表現が多く、とても50か国の出身者が滞在している市のウェブサイトとは思えない。

あまり知られていないが、日本政府の奨学金で来ている外国人留学生の多くは車の運転が禁じられており、国際大学の学生の多くが国費留学生のため、運転ができない。魚沼地域の観光スポットのほとんどは車がなければ行けないところで、学生たちはそれらの多くを見ずに帰国してしまう。地元紙、新潟日報の紙面では、どうすれば外国人観光客を新潟へもっと来てもらえるか頻繁に議論されているが、新潟県がまずすべきことは、国に国費留学生に車の運転を許可するよう要請すべきだ。彼らは新潟にとって大事な親善大使であり、風光明媚な新潟の地をたくさん訪れ、SNSを通して祖国の友人や家族たちへ新潟の魅力を発信してほしい。

もちろん、国際大学の学生と地元の人との交流プログラムがないわけじゃない。全国津々浦々にある国際交流や多文化共生関連の団体がそうであるように、学生、主婦や年金生活者らで作るボランティア団体が、素晴らしい活動をされている。しかし、ボランティアのため、介護や育児、仕事が優先され、フルタイムで長期的に関われる人は少ない。

海外から招聘され、地方自治体で働く国際交流員も任期が5年以内と定められ、継続性を保つのは難しい。中には日本滞在歴ゼロでいきなり国際交流員として派遣される方もおり、日本の文化や習慣を一から学ばなくてはならない。日本と海外、両方で長年過ごし、さまざまな国籍の人と一緒に働いたことがある人を、国際交流のプロとして地方で長期に関わってもらうことはできないだろうか?そういう人材は日本に多くいるのだが、日本政府は、そういう人材を率先して、地方ではなく海外へ送り出している。「国連で働く日本人を増やそう」をモットーに、外務省が年間数十億円かけて、35歳以下のバイリンガル青年たちを数十名選抜し、世界各地の国連機関に送り込む「JPO制度」というものがある。私もこの制度でジュネーブの国連機関に派遣されたが、今、こういう地方の現状を見ると、国連の職員数を増やすことよりも、バイリンガル青年の有効な活用方法があるような気がしてならない。

日本政府がJPO制度を拡大したことなどで、国連で働く日本人は近年増加傾向にあるが、果たして読者の中に「国連の邦人職員が増えて得したよ」と言える人はどれくらいいるだろうか?同じ税金を使うなら、こういった人材を海外に出すより、地方の国際交流を担ってもらったほうが、市民が得することが多いのではないか。外国人実習生の労災死の増加外国人の4割がアパート入居を断わられ、そして近年増加しているヘイトスピーチ。これらの現象の背景に、本来、在日外国人の定住支援は継続性と専門性が必要にもかかわらず、この大事な業務の多くを私たちがボランティア任せにしてきたことにあるのではないか。

私が出会った日本人の国連職員の中には「親の介護もあるし、子どももいるし、そろそろ日本に帰りたい。でも、適当な就職先がない」と嘆く人が多かった。こういった人たちを地方自治体に派遣し、地域の国際交流を担ってもらったらどうだろう。これ以上、コシヒカリを知らずに帰国していく留学生を出さないためにも。

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