「ステージ4のがん」と告知された日

頭が真っ白になったのを覚えている。すべての感情がなくなった感覚。五感が機能しなくなったかのよう――。

はじめまして、不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平と申します。本題に入る前に、すこし自己紹介をさせてください。

妻と小学生の子どもを持つ、一般的な36歳男性です。

「ステージ4のがん」であることを除いては。がんだと宣告されたとき、一番におぼえたのは孤独感でした。仲間がいない。相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもを持つがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。

子どももいて、地元には親もいる。仕事やお金......心配は尽きません。そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

↓8月に取材を頂いた記事はコチラ↓

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サッカーが大好きでした。小中高大とずっとサッカー部に所属し、高校と大学ではキャプテンに選ばれるくらい、サッカーにすべてを捧げていた頃。陽の当たる前のサッカーというスポーツが、みるみるうちに人気スポーツになるのを目の当たりにしました。

就活時、小さなチームのほうが自分のがんばりが見てもらえて、大きな役割を与えてもらえるチャンスもあると考え、これから伸びそうなベンチャー企業に入ろうと決めていた(親は反対だった・・・)。このように、サッカーとの出会いが、生活や思想、選択基準を変え、ぼくの人生をつくり、今に至るまでの財産になっています。

■入社14年、結婚7年。仕事も家庭も順調だった

2000年に設立されたばかりの、社員50名ほど(当時)の会社に入社したのが2002年。あの頃は知名度の低い会社でしたが、不思議と不安感はなく、「やってやるぞ!」という気持ちで満ち溢れていた。

勤務場所は、面接したビルとは違う、お世辞にもキレイとはいえない雑居ビル。全員が銀色のカギを持ち、ドアノブにカギを差し込んで出入りする。トイレは水洗ではなく、いわゆるボットン。そして、ラクガキだらけ。夜も終電まで、いや、帰れないこともしばしば(もちろん今はそんなことは全くないが)。

想像を超える環境に、心が折れそうになり、泣いたこともあった。でも、なにくそ根性で、歯を食いしばり、なんとか結果を出すことに集中し、1年目の最後の四半期で社長賞を(社内で最も活躍した人に贈られる賞)いただいたことも。中堅社員になった今まで、たくさんの経験を積ませてもらった。

そんなこんなで、働き詰めの毎日で現在に至る。

家族のことにもすこし触れておく。妻との出会いは、仕事にも少し余裕の出てきた社会人3年目の頃。先輩に誘われるがまま参加した、表向きは知人の紹介という名の「合コン」だった。

案の定、仕事で大遅刻し、到着したときには、女性陣が帰り支度の最中。慌てて全員の電話番号を聞いたところで、そのままサヨナラ。その後の男性陣の二次会で、無理やり無作為に電話をさせられてつながったのが、今の妻というわけで。これも縁だったとしか言えない。

大阪から東京への転勤を経て、僕の28歳の誕生日に結婚し、翌年には娘を授かった。

お互い実家が関西にあるため、子育てでは苦労しながら、近所の方の協力を受けてなんとかやってきた。すこしずつ手が離れてきて、今や小学校2年生。あれよあれよという間に、もうお姉ちゃんになった。

■手術はできない――闘病生活の始まり

仕事も家庭も充実し、まさにこれから、というときのこと。2014年夏頃から体調を崩しはじめ、体重が落ち、2015年のはじめに「黄疸(おうだん)」という症状が出たことがきっかけで、急きょ検査入院。さまざまな検査を通じて告知された病名は「胆管がん」だった。

頭が真っ白になったのを覚えている。すべての感情がなくなった感覚。放心状態。理解できない。何も考えられない。五感が機能しなくなったかのよう――。

医師の話が終わり、ぼくが最初に取った行動は、母親への電話。大事ではないとタカをくくっていたこともあり、入院することも言っていなかったし、平日昼間に電話があったことで、驚いていた。

入院していることを話すところまでは普通に話せたものの、病名を伝えた後で、言葉が出なくなり、止めていた感情が急に溢れ出し、階段に座りこみ、肩を揺らして涙を流した。嗚咽で声が出ない。

数分の沈黙。電話の向こうでも、泣いている様子が伝わってきた。この電話で初めて、ぼく自身「自分ががんである」と理解できたのではないかと思う。声を絞り出し「また電話する」と電話を切った。

その後、すぐに手術をしましょうと提案されて、開腹をしたものの、米粒ほどの転移が腹膜やリンパ節に見つかり、「手術は不可能」とされた。ステージは4段階でもっとも進んだ「4」の胆管がんで、そこから闘病生活が始まることになる。

(つづく)

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