不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平と申します。
妻と小学生のこどもを持つ、一般的な37歳男性です。
「ステージ4のがん」であることを除いては。がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと・・・相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。
それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもを持つがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。
子どももいて、地元には親もいる。仕事やお金......心配は尽きません。そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。
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これまでのコラム
取材記事
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抗がん剤による治療を複数回、入院しながら実施し、通院でもできそうだということで、退院することに。2か月におよぶ入院生活で、体はなまりきっていた。胃も小さくなり、筋力も落ち、もちろん体重も落ちていた。まっさきに取り組んだのは、体力の回復のための散歩だった。とにかく歩こうと。ただ、世間は仕事や学校なので、平日の昼間に歩くときは、近所ではなく、街に出てと、多少は気を遣いながら。
そして、大阪にも帰り、両親や兄弟はもちろん、東京までお見舞いなどに来れなかった地元の友人にも直接会って、近況を伝えた。体重は多少落ちたが、元気だよと。この先どうなるかわからないけど、精いっぱい生きていくよと。何かあったら、妻と子どもをよろしくと。
東京へ帰り、いよいよ職場に復帰するぞ、というタイミングでの肺炎で急きょ再入院。『退院したらやりたいことリスト』を作っていたが、ちょっと急いでやりすぎて疲れが出たのかもしれない。職場復帰の前の週だったので、復帰をまた2週間先に延ばして・・・。ちょっと手こずった感はあったが、なんとかその日を迎えることができた。
職場の同僚のはからいで、復帰前のタイミングでチームメンバーとのランチ会が設けられた。休んでいた2ヶ月半の話に花が咲くけれど、ぼくの病状についても話をしないといけない。今でも覚えている。中華料理。まわるテーブル。ぼくは、テーブルでふざけていた。財布をのせたり、食べかけをのせたり、食べ物を取ろうとしたら回したり。ふざけながら、どう話すか考えていた。うまくまとまらなかったので、まとまらないまま笑顔で話した。
■復帰前、事実を明るく口にした
「まぁ、がんなんです。胆管というところの。治療もあるので、休むこともあります。来週から復帰するので、よろしくお願いします」と。そのほか、細かいことはあまり伝えなかった。みんな同世代なので、がんに対する知識もなく、ポカーンとしていたものの、笑顔で言っているし、目の前にいる男性は元気そうだし、なんか大丈夫そう。と思ってくれたはず。ある同僚からは、麻婆豆腐を口にしたまま、「え、大丈夫なんですよね?」と質問され、「大丈夫!」と答えた。病気の話もほどほどに、その場を後にした。気持ちはすごくラクになった。
復帰初日は、さすがに緊張した。
久しぶりのスーツで、ご近所さんにもスーツ姿を最近は見せてなかったし、周りの目線は気になる。久しぶりの通勤電車。もちろん満員だから、押されたら手術後のお腹の傷は大丈夫かな、気分が悪くなったりしないかな、とか考えたり。会社に着いても、すれ違う同僚が、しばらく見なかった顔なので、「あ、どうも」みたいな感じで、こちらもどう接すればいいのかわからず、「お、おう」みたいなぎこちなさ。
また、この期間にずっと吸っていたタバコをやめたので、タバコミュニケーション(タバコ部屋で繰り広げられる雑談)もなくなり、ちょっとした寂しさもあり。吸わないのにタバコ部屋にいって、話をしたり。タバコをやめた理由を問われ、入院したから、と答えると、どんな病気かと聞かれ、もごもごしてみたり。最初はこんな感じだった。
■「がんになって困ったことはなかった?」友人の問いかけ
当初、自分が「がん」という病気であることを伝えていたのは、同じチームのメンバーと、人事、その他もろもろの関係者のみ。それを知らない人は「ずっと休んでいたけど、大丈夫かな?」「帰るの、早くなったな」「なんか、復帰しても休む日が多いな」と思っただろう。
週に1回の抗がん剤治療で、会社を休まなくてはならないので、すぐに有給がなくなる。毎月のように人事からは、「今月のお休みは無給になりますが、大丈夫ですか?」みたいな確認メールがくるものの、イライラせずに、「大丈夫ですよ」と返す。そんな、気持ち悪くはないが、ちょっとしたすれ違い的なコミュニケーションが、翌年4月にカミングアウトするまで続くことになる。
職場への復帰から数か月。このころは普段の生活に戻り、何気ない日常を取り戻し、治療に耐えうる体力をつけ、仕事を無理なく効率的にできるように。そんなことだけを考えていたこともあり、今の活動をすることなんて、まったく考えていなかった。
きっかけは突然やってくるものである。2015年4月末の職場復帰から、もう普段の生活に戻っていた11月ごろ。あるIT企業に勤める高校時代の友人からLINEがきた。内容は、自分が勤めている会社でビジネスコンテストがあるから出てみないか?というものだった。テーマは、医療やヘルスケア。彼の脳裏にふと、ぼくが浮かんだらしい。
でも、ぼくはビジネスを創ったこともなければ、今のこのタイミングでそんなことを考えたこともなかった。彼はこう続けた。「がんになって、何か困ったことはなかったか」。この問いに対して考えてみたときに、大きく思うところがあった。周りにまったく同じ病気の人がいない。誰にも相談できない。結構、孤独な闘いをしている。でも、絶対にいる同世代のがん患者。どうしているのか。同じように思っているのか。悩んでいるのか。それが今の「キャンサーペアレンツ」のスタートであった。
■挑戦しようと決めた、何かしたいという気持ち
日常を取り戻しつつあったぼくの生活。抗がん剤治療も生活の一部になっていた。副作用ともうまく付き合えるようになりつつあった。ぼくは、ここまで来れたのは良かったと思っていたし、こんな日々がずっと続いていけばいなと思っていたのは事実。ただ、心のどこかで、このままでいいのか?という気持ちもあった。そんな中での友人からの提案で、全くの予想外ではあったが、「よし、挑戦してやろう!」と決めた。友人には、ぼくの気持ちとはうらはらに、LINEでなぜかそっけなく、「まあ、やってもいいけど」と返していた。
(つづく)
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