フランスのGilets Jaunes(黄色い蛍光ベスト)運動を考える

マクロン大統領は本当に金持ちのための大統領か【異端的論考33】
ABDUL ABEISSA via Getty Images

年明け最初の5日土曜日もGiletsJaunes運動の第8回のラリーがパリを筆頭に大都市で行われた。年末の強い動員呼びかけの割には、シャンゼリゼで3500人、全国で25000人と、その街頭参加規模は、初回の10分の1とは大きく減少している。しかし、過激さは変わらず、今回は、政府庁舎に建設機械を使って侵入と破壊を行い、政府のスポークスパーソンのグリヴォー氏が自身の事務所から避難する騒ぎを起こしている。この連載の中で論じるが、構造的に考えて、この運動は収束が見えない。むしろ、ロンドンやブリュッセルにも飛び火している。

今回は、とかく金持ちの味方、強固な新自由主義者、庶民を理解しないエリートなどと言われるマクロン大統領についての印象を中立化してみたい。

マクロン大統領は、パリのLOUIS-LEーGRAND(ルイ・偉大王高校)と並ぶ名門リセであるLycée Henri-Ⅳ(アンリ4世高校)から、パリ第十大学(ナンテラ大学)で哲学を学び、パリ政治学院(フランス屈指のエリート養成社会科学系グランゼコール)を修了し、2004年にフランス政官界に絶大な影響力をもつ国立行政学院(ENA:後期博士課程に相当する超エリート教育機関)を卒業した。

卒業後に財政監察官という上級国家公務員として働いたのち、公務員を辞して、パリに本拠を置くロスチャイルドグループの傘下の投資銀行であるロスチャイルド&Cie銀行(Rothschild & Cie Banque)に転職し、成功を収め、その後、政界入りし、オランド大統領の側近からヴァルス内閣の経済・産業・デジタル大臣を務め、2017年に第25代大統領に就任している。

この経歴は、戦後の臨時政府を率いたド・ゴール将軍の側近から、同じロスチャイルドグループに転出し、第19代大統領となったポンピドゥ氏の軌跡と重なる。ポンピドゥ氏がパリ高等師範学校で学位取得後にアンリ4世高校で教鞭をとっていたのは奇遇である。

この学歴と職歴を見れば、マクロン大統領は、マスコミで言われるように、確かにピカピカでバリバリのフランス社会のエリートである。自分の生活以外を考える余裕のないGilets jaunes運動に加わる人たちからすれば、マクロン大統領は自分たちの味方ではなく、金持ちの味方というのもわからなくはない。しかし、彼の経歴をもう少し詳しくみてみると、その像は少し違ってみえる。

マクロン大統領は、パリ第十大学に進学する前に、哲学を志し、パリ高等師範学校(École Normale Supérieure:一学年300人程度という少数精鋭で主に大学教員と研究者を育成するフランス最高峰のグランゼコール。ベルグソン、サルトル、フーコー、デリダ、ピケティなどを輩出)を二回受験して失敗している。これは、マクロン大統領個人にとっては、とても大きな挫折であったと思う。その意味で、マクロン大統領は挫折をしらない人物ではない。むしろ大きな挫折を味わった人物であると言えよう。

次に、マクロン氏は冷徹な新自由主義者であるかだが、まず、彼が哲学(大学ではヘーゲルを研究)を志していることから単純に野心のある市場原理主義のビジネスマシンと断定はできない。事実、マクロン大統領は、ミッテラン政権を支えた参謀とも言える現存する知の巨人の一人であるジャック・アタリ氏(読者は、彼の名前を日経などのインタビュー記事で良く見かけるのではないか)の高い知遇をえている。これは、マクロン大統領の教養度の高さを示すであろう。

しかし、読者の中には、アタリ氏も同じ新自由主義者であろうという指摘をする方もあろう。それでは、アタリ氏に加えて、マクロン大統領は大学在籍時に、あのポール・リクール(フランスが生んだ世界的知の巨人の一人)の著作の編集助手を務めているのはどうであろうか。東大文学部の端くれの筆者からすると想像を絶するレベルの知識、鋭い批判的視点、深い思索力をもたなければ、リクールの編集助手は到底務まらないであろうと思う。

リクールは俗な言い方をすれば、高い教養の清華のような人物であり、リクールに評価され、学んだ人間が、教養と思慮のない薄っぺらな新自由主義者と同列とはにわかに信じがたい。即ち、マクロン大統領は、金持ちの味方である以前に、日本で昨今流行りの教養の、それも、とても高い教養の持ち主なのである。少なくとも、教養と思慮のレベルは、安倍総理とは比べようもなく高いであろう。

最後に、現在の配偶者であるBrigtte氏との恋愛の話である。イエズス会系の高校で学んでいた時に24歳上離れた当時既婚の彼女と恋愛関係となり、恋愛自由で進歩的なフランスであっても、これは街の支配的な人々に大きなショックをあたえ、社会的な問題となった。

そこで、両親は無理に、マクロン大統領を出生地であるアミアンの高校からパリのリセに三年次に転校させている。しかし、マクロン大統領はあきらめず、成人したら結婚すると言う初志を貫徹している。これは、強い社会の風当たりをはねのけての結婚である。それもキャリアと両立させている。すさまじく強い意志と実行力である。ガラスの心臓で、すぐ折れるピカピカのエリート君ではないのである。波風を立てない、責任を取らない、口先だけの日本の疑似エリート達とはだいぶ違う。

この意味では、マクロン大統領は、旧習の破壊者でもある。このくらいでなければ困難に直面した国を変えることはできないであろう。マクロン氏もそう思って、時間との闘いの中で、現実的に必要な負の再分配という痛みを多くの国民が分かち合う(日本を見ればわかる様に、多くの国民が痛みを伴わないで抜本的改革ができるなら苦労しない。そうしない結果は、皆で沈んでいくことである)形で、抜本的改革を行い、国力を回復させようと意図しているのであると思う。

これで、マクロン大統領は金持ちの味方のエリート新自由主義者であるというステレオタイプなイメージを、読者諸兄に少しは中立化して頂けたであろうか。

次回は、Gilets jaunes運動が非難するマクロン大統領の政策は間違いかについて論考したい。

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