大会前からの予想通りファイナルまで上り詰めたドイツ。決勝では、リオネル・メッシを冠する南米の強豪アルゼンチンを下して優勝した。実に24年ぶりの快挙である。ドイツの強さの秘密は「移民」にあるのでは?とは、よく言われることであるが、その真偽のほどは置いておこう。ここでは『ドイツ国歌』を通して、現在のドイツ代表を俯瞰してみる。
The German National Anthem
◆「団結と正義と自由」の元に...
今大会ほど、国歌斉唱が話題になったワールドカップは、かつてなかったように思える。そのきっかけになった「ブラジルの国歌斉唱」や「チリの国歌斉唱」については、ハフィントンポストでもコラムに書いているので、参照していただきたい。今回取り上げるのは、「ドイツ国歌」である。
2012年の欧州選手権で、ドイツ国歌を巡って、ちょっとした騒動が起きた。ドイツ代表には、メスト・エジルというトルコ系の選手がいる。高いボールコントロール技術と、広い視野を持つトップ下の選手だ。そのエジルが、国歌斉唱時に歌わなかったとして、物議を醸したのである。
大衆紙ビルトは、「われわれは十分に愛国的か」との見出しの記事を掲載。ヘッセン州知事は「国歌を歌うのはエチケット。こんな議論をしなければならないこと自体が腹立たしい」と批判した。 また、往年の名選手のフランツ・ベッケンバウアー氏は、「闘志はキックオフ前からかき立てなければならない」と指摘。「代表監督時代は選手に国歌を歌うよう義務付け、1990年のワールドカップ(W杯)を制した」と語った。
エジルの言葉を借りれば、「その時はコーランの一節を念じていた」のだそうだ。国際化の時代を迎え、国歌斉唱もその影響を受けつつある。
Germany National Anthem Fifa World Cup 2010 Quarter-finals
現在のドイツ国歌は、『ドイツの歌(Deutschlandlied)』という。この歌が統合ドイツの国歌として正式採用されたのは、わずか20年ほど前のことだ。ただし、原曲が作られたのは200年以上も前、1797年のことである。作曲者は、あのヨーゼフ・ハイドン。あまたある国歌の中でも、これほどの大物作曲家を擁しているのは、ドイツとオーストリアくらいだろう。ちなみに、オーストリア国歌はモーツアルト作曲とされている。
もっとも、ハイドンはドイツ国歌としてこの歌を作ったのではない。神聖ローマ皇帝フランツ2世の誕生日に捧げたものだ。そのため、当時は皇帝を讃える歌詞が付けられていた。「神よフランツ皇帝を守りたまえ、我らの良き皇帝フランツを」といった具合だ。曲はオーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の国歌として受け継がれていった。現在のドイツ国歌のメロディーは、元々オーストリア国歌だったことになる。
『ドイツの歌』
団結と 正義と 自由を
父なる国 ドイツへ
これに向かいて 我ら励まん
兄弟のごとく
心一つに手を採り合いて
団結と 正義と 自由こそは 幸せの証
幸福の輝きの元 栄えあれ
栄えよドイツ 父なる国よ
Franz Joseph Haydn
◆祖国統一への思い
現在の歌詞は、ハイドンが作曲してから半世紀経った、1841年に作られた。作詞者は、ホフマン・フォン・ファラースレーベン。詩人であり、大学教授でもあった人物だ。当時、ドイツは中小の領邦国家に分裂しており、ドイツ統一への機運が高まっていた。
詩は3番まであり、現在はその中の3番のみが採用されている。聴きどころの一つ目は、冒頭の「団結と正義と自由(アイニッヒカイト ウント レヒト ウント フライハイト)」だ。「団結(Einigkeit)」は「統一」と訳すべきかもしれない。分裂状態にあったドイツの統一を願った詩と解釈できる。このフレーズは、曲中に二回登場する。この歌のテーマと言っていい。歌詞のベースには、祖国統一への思いが流れているのだ。
二つ目の聴きどころは、曲の最初と最後に出てくる「父なる国(ファーターラント)」だろうか。日本では国のことを母親になぞらえて「母国」と呼ぶが、ドイツでは父親に喩える。そう言えば、ライン川もドイツ人は父親になぞらえて、「父なるライン(ファーターライン)」と呼ぶ。
ちなみに、ドイツ語には「Mutterland(母なる国)」という言葉もある。ただしこの場合は、ちょっとニュアンスが異なってくる。植民地に対しての宗主国を指す。ファーターラント=祖国、ムッターラント=本国といった感覚だろうか。団結を訴える力強い歌詞と、流麗なメロディーとの対比が見事な名曲だ。
◆歌われない1番2番には
この曲が、初めてドイツ国歌として正式に採用されたのは、1922年のことである。ワイマール共和国の時代だ。その後ナチスドイツの時代になっても、国歌は使い続けられた。現在では1番、2番の歌詞が使われることはない。
それでは、1番、2番にはいったい何が書いてあったのか?
問題表現があったであろう事は想像できる。しかし、「ナチス賛美の詩だ」とか、「ナチス政権が作詞した」だとか、事実と違う認識を持った人が多い。そこで「どのへんがマズかったのか?」を、少しだけ検証してみたい。では問題の1番から。
1
ドイツ ドイツ 世界に冠たるドイツ
すべての同胞が 団結して 国を保ち続けよう
マース川から メーメル川まで
エッチェ川から ベルト海峡まで
ドイツ ドイツ 世界に冠たるドイツ
ちなみに、マース川は今のオランダ、メーメル川は今のリトアニア、エッチェ川は今のイタリア、ベルト海峡は今のデンマークにある。北海からバルト海に及ぶヨーロッパ北部全域を、ほぼ覆っている。これではあちこちから文句が出ても無理はない。 次に2番だが、これは別の意味で問題がある。
2
ドイツの女性 ドイツの誠実
ドイツのワイン ドイツの歌
その伝統を 保ち続けよう
古き良き名声は われらに 品性をもたらす 命あるかぎり
ああ ドイツの女性 ドイツの誠実
ドイツのワイン ドイツの歌
こんな国歌は聞いたことがない。個人的には、こういうのもアリなんじゃないかと思うのだが、一方で、こんな声も聞こえてきそうだ。「それを言うならフランスの女性!フランスのワイン!だろう」「いや、チリの女性!チリワインだ!」「いやいや、イタリアを忘れてもらっては困る」等々。議論百出すること間違いない。
◆選手の国際化と国歌
というわけで、第二次世界大戦後、西ドイツが国家として成立する際、3番のみを採用することが決まった。その理由は「1番は外国を刺激する。2番は内容がない」ということだったそうだ。
もっとも、西ドイツが『ドイツの歌』を国歌とするまでに、数年を要している。ナチスドイツの惨禍が冷めやらぬ時代、国歌を引き継ぐのに抵抗感があったようだ。新しい国歌を作ったり、当時の流行歌を用いたり、ベートーベンの第九を代用したこともあった。そうした試行錯誤の末、1952年に『ドイツの歌』は西ドイツの国歌に決まった。
その後1991年に、東西ドイツは統合を果たす。そして、『ドイツの歌』は正式に統合ドイツの国歌となり、現在に至っている。
冒頭に述べたように、近年ドイツ代表も国際化が進み、ドイツ以外に出自を持つ選手が増えてきた。エジルはトルコ系、ケディラはチュニジア系、ボアテンクはガーナ系、クローゼはポーランド系といった具合だ。近年のドイツ代表の躍進を支えているのが、こういった選手であるのは間違いない。
世界中で国際化が進む中、国家斉唱を巡る議論は、今後も出てくるだろう。歌う選手、歌わない選手、そもそも国歌を知らない選手、知っていても歌わない選手、練習して歌えるようになる選手等々。一人ひとりの抱える背景によって、斉唱の姿も微妙に異なるのだろう。
「団結と正義と自由」が、国家斉唱の中でいかに実現されるのか、興味を持って見守りたい。
(2014年7月13日「フットボールチャンネル」から転載)※『フットボールde国歌大合唱!』(東邦出版)より一部抜粋
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◆『フットボールde国歌大合唱!』(東邦出版)いとうやまね著
スタジアム中にこだまする国歌斉唱。ネイマールが思わず涙するブラジル国歌、伊達男たちが情熱的に歌い上げるイタリア国歌、歌詞がないのに客席はハミングのスペイン国歌......。国歌にまつわる歴史やエピソードを満載。ワールドカップ、欧州選手権、オリンピックをはじめとする国際試合の必読書。
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◆いとうやまね
ライターユニット(いとうみほ+山根誠司)。著書には、『フットボールde国歌大合唱!』『サッカー誰かに話したいちょっといい話』(東邦出版)、『プロフットボーラーの家族の肖像』(カンゼン)、『蹴りたい言葉~サッカーファンに捧げる101人の名言』(電波実験社)、他がある。サッカー専門誌、フィギュアスケート専門誌のコラムニストとして、またサッカー専門TV 番組、海外サッカー実況中継のリサーチャーとしても活動。スポーツ以外の執筆も多数。