小田原市の福祉事務所職員が「保護なめんな」と書かれたお揃いのジャンパーを作り、生活保護世帯の訪問をしていた問題。
全国の法律家、研究者、NPO関係者らでつくる生活保護問題対策全国会議が小田原市長に提出した「公開質問状」では、ジャンパーに書かれた内容は「『利用者のウェル・ビーイング を支援する』というソーシャルワーク共通の価値観にも真っ向から反するもの」であると批判しています。
他地域の福祉事務所で働いている公務員の皆さんは、この問題をどのように考えているのかを知りたく、6人の方(現役5人、元職員1人)にコメントを寄せてもらいました。
前半の3人のご意見はこちらをご覧ください。
背景には構造的な問題がある。
4人目の方は、東京都内の福祉事務所で働くベテラン職員で、保護係長も務めたことのある人です。
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大変残念な事件です。
自治体職員といえども、全員が福祉に詳しい訳ではありません。社会福祉法では、福祉事務所職員(ケースワーカー等)は社会福祉主事の任用資格が必要としています。
しかしながら、保護担当職員の4分の1は任用資格が無いというのが現実です。さらに、国家資格であり、専門家ともいえる社会福祉士は50人にひとりしかいません。
生活保護の仕事には専門性が求められ、他の法律や制度にも精通していることが必要です。なにより社会福祉や貧困問題についての正確な理解も必要です。それなのに、充実した研修も受けられず、正確な法の理解を欠いたまま仕事をさせられている自治体があります。
さらに、受け持ち世帯数が標準の80世帯どころか、100世帯以上を担当している職員も多く、仕事に追われ余裕が全く無いのが実情です。あってはならないのですが、そのストレスを利用者にぶつける者も出てきます。
全国各地で利用者を劣った人間として扱う「劣等処遇」や、「水際作戦」などの違法な運用が後を絶たないのは、このような構造的な問題があるからです。専門性ある職員配置にするなど、改善を求める声をさらに上げたいと考えています。(了)
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公務員であることさえ忘れなければ
5人目の方は、都内の別の福祉事務所で長年勤め、すでに定年退職されている元職員です。この方もケースワーカーの専門性が欠けていることを問題にされています。
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ケースワーカーである前に公務員であることさえ忘れなければ、ジャンパーがあったとしても、それを着て家庭訪問などしないだろう。これは人権感覚の問題である。個人というより組織の問題と捉えるべきだと思う。
このような事態が起きるたび、いつも思うのは、なぜ、ケースワーカーの専門性を問題にしないのか、ということだ。福祉の「業界」では社会福祉士、精神保健福祉士、ケアマネなどの資格要件が必要とされているのに、利用者の生活全般を支援するケースワーカーは公務員でありさえすればいい、という程度でしか考えられていない。そもそもそこがおかしい。
生活保護が発足した戦後間もない時期には、経済給付さえすれば、自ずと自立する環境があったのかもしれない。しかし、ここ10年近く、利用者は増加を続け、十分な支援ができないばかりでなく、ケースワーカーにとっても心身ともに相当な負担になっている。その結果、福祉事務所は行きたくない職場の筆頭格になった。大卒の新人を配置しなければ組織が成り立たない所もある。
ではどうすればいいのか。微かな希望かもしれないが、当面できることとして、ケースワーカーの専門職採用(人件費は事務職と同じ)や福祉職の経験者採用、そして志のある職員を配置すること。利用者ひとりひとりに合った自立支援を共有し合う風土をつくること。
専門性だけでは解決できない問題もある。ケースワーカーの負担軽減のため、国が80世帯(標準数)としている担当世帯数を減らし、業務の大半を占める事務処理(各種調査、収入認定等)を簡素化し、支援業務に振り向けること等が必要だ。そのためには、生活保護の国庫負担(現在75%)を増やし、自治体の負担を軽減するなど、ケースワーカーを増員できるような環境を作ることが欠かせない。さらに、生活保護の手前のセーフテイネット(年金、住宅等)を強化することも必要だと思う。(了)
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現場に広がる「監視・管理」の雰囲気
最後の方は、都内の福祉事務所で働く現役ケースワーカー、ペンネーム「なべ」さんです。2013年の生活保護法「改正」後に職場の雰囲気が変わった、ということを指摘されています。
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「これは、他人事ではないな」、記事を目にした時に正直に思った感想である。
たまたま、私は、比較的規模の大きい自治体の、それもゆる~い雰囲気の福祉事務所で働いているのでこの「事件」と無関係でいられたのだと思う。
小田原市の福祉事務所で働いていたら、あのひどく悪趣味なジャンパーの着用を拒否できていたどうかは自信がない。
ゴリゴリの活動家ならともかく、「良心的」で秩序に従順な公務員がこうした作風の職場に身を置いていたら、はたして「自分たちは被害者で、悪いのは受給者だ!」といった倒錯した同調圧力に抗することができたどうか、はなはだ心許ない。
福祉事務所の作風を変えていくには、自分たちの人権意識を問い直すことはもちろんだが、外からの批判を受け入れていく開かれた姿勢が必要になってくるはずだ。
考えさせられたのは、人権意識は自然に存在しないという事実である。厚労省を頂点とする生活保護行政の中だけでものを考えていくと、あっというまに人権意識は擦り切れてしまうと思う。
とりわけ、生活保護法「改正」の後は、福祉事務所の現場に援助ではなく監視・管理の雰囲気が強く覆っているように感じている。こうした流れに抗うためにも、ひとりひとりが自分の人権意識を問い直し育んでいく必要があると思う。それは、圧倒的な力関係の中で自分たちの言動が受給者へどのように受け止められるかを想像したり、そのことを同僚のケースワーカーと意識的に話し合ってみることから始まるのだと思う。
私たちは、ひとを監視するのではなく、よりよく生きるための援助をする仕事に従事していることを思い返す必要がある。そのためにも、職場に閉じこもらず外に開いていく姿勢が必要だ。
それにしても、現行での生活保護の運用の仕組みはそろそろ限界を迎えつつあるのではないか?そのことも考えさせる「事件」だと思った。(了)
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現場の心ある職員たちと共に声をあげていきます
今回、急なお願いにもかかわらず、東京と大阪の6人の職員の方(現役5人、元職員1人)からコメントをいただくことができました。ありがとうございました。
普段から、生活保護行政のあり方を厳しく批判している私の依頼に応えてくださった方々なので、皆さん、それぞれ職場では少数派として肩身の狭い思いをされている人が多いのではないかと推察します。
しかし、「監視・管理」の雰囲気が広がる各福祉事務所において、同調圧力に屈せず、本来あるべき福祉行政のあり方を追求している人たちがいる、ということは大きな希望です。
1月24日(火)には、生活保護問題対策全国会議として、小田原市の担当者との話し合いを行ないますが、小田原市役所の職員の中からも改善に向けた自主的な動きが出てくることを期待したいと思っています。
福祉事務所職員による人権侵害は小田原市だけではなく、全国各地の生活保護行政に共通する根深い「構造的な問題」として存在しています。
職員・元職員の方々が指摘されている「ケースワーカーの専門性(資格要件や研修)」、「職員配置」、「生活保護バッシングや法改悪」、「不正受給対策のあり方」等の問題について、内部の心ある人々とともに、引き続き、声をあげていきたいと考えています。
(2017年1月22日「稲葉剛公式サイト」より転載)