シリア難民インタビュー前編までのあらすじ
ヨーロッパではここ数年多くの移民が流入し、様々な議論が起こっています。特にシリア内戦のため、その多くをシリア難民が占めています。
しかし、遠く離れた日本では、その現状を把握するのは容易ではありません。事実、日本で難民認定されたシリア人はこれまでわずかに6人です。
本稿ではウィーン近郊に住むクルド系シリア人イスマイルとのインタビューを通じて、難民の生の声、そしてライフ・ストーリーの一遍を描き出します。
前編では、戦争を逃れ、ヨルダン、スウェーデン、オーストリアと移住した生々しい過程を紹介しました。後編では日本滞在の思い出から、現在の活動や思想、日本人へのメッセージを語ってもらいました。
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イスマイル・ヤシンの紹介
1961年シリア生まれ。宗教学・イスラム学を専攻したインテリ系難民。小松製作所の現地通訳を勤め、来日したこともある親日家。オーストリア外務大臣とも面談し、オーストリア放送協会のラジオ・インタビューも受けたイスマイルの経験した過去、現在、そして将来をより多くの人に知ってもらえればと思います。
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遠い日本への親しみと近そうで遠いシリアへの思い
話は変わりますが、あなたは会った瞬間から親日派でした。シリアに進出していたコマツで働いたとか。そのあたりの事情を教えてください。
1984年に、通訳として働きました。ダマスクスやアレッポといった都市に13の事務所があったので、よく出張しました。
コマツには5人の日本人駐在員がいました。彼らとパーティーをしたりもして、非常に仲良くなりました。
一度日本に滞在したこともある。そのとき何が印象に残っていますか?
2002年に宗教法人大本に招待されて文化交流に行きました。行く前に日本のことを勉強しましたよ。人口や地理のことから、侍や天皇、真珠湾や広島・長崎や富士山のことまで。
行ってみて、日本の近代化と技術に非常に驚きました。京都と亀岡では街に出ましたが、高校生の制服、食事、組織、システム、文化など全てを見ました。
また、日本人の知識のあるおもてなしと尊敬の態度が印象に残っています。建築にも驚きました。我々が泊まったホテルは木造でしたが、釘を使ってないんですよ。
たった三日の滞在でしたが、まるで三年いるように楽しみました。
そういう話を聞くと私も妙にうれしくなりますね。ところで、面白いモットーをお持ちですね。「無知は人類の最大の敵である」というのがあなたの名刺に書いてあります。どんなメッセージがこめられているんですか?
シリア内戦のことでもありますが、それだけではありません。ヨーロッパの人々に対してでもあります。
彼らの中には他人のことを気にかけない人がいます。他人にのことを学ぼうとしない人がいます。シリアには文明や文化がないと思っている人がいます。知識がないのに偏見をもって判断するのです。
ヨーロッパでもあなたの講演を聞きにくる人もいますよね。若い学生、特にウィーンでは教養があり、オープンな人も多いと思いますが。
そういうポジティブな面もあります。だからシリア人としてシリアの講演を行っているのです。若い人々に広めたいと思いますね。
しかし、現在チェコ、ハンガリー、ドイツ、オーストリアでも右翼が台頭しています。
ポピュリスト政党は移民が国のお金やサービス、仕事を盗んでいると叫んでいますが、彼らは自らの首を絞めているのです。アメリカやドイツでは移民は社会の重要な一員です。
ヨーロッパにとりあえず定住する決意をしたといっても、シリアのことを忘れることは決してないでしょう。ちなみに、シリアにはどんなものを残してきましたか?
私有の不動産です。先述しましたが、ダマスクスにあるアパート、郊外に設立した研究所、空港のそばの農家です。
今どうなっているのでしょう?
色々なものが略奪されましたよ。研究所からはコンピュータやカメラなどの機器が、農家ではプールの濾過機などです。40年に渡って集めた本の半分も盗まれました。日本でもらった本もあります。
どうしてそんな細かい部分までわかるのですか?
残っている友人が写真を送ってくれました。また、農家は難民のいち家族に開放したので、現在彼らが6、7人住んでいます。
この件のつてもあって、オーストリアの知り合いからバーデンの家を無料で借りることができたのです。
なるほど。しかし今後内戦がどうなるかわからないと、いろいろ心配ですよね。さて、オーストリアの話に戻りますが、こちらではクルド系ではないシリア人と会ったりしますか?
はい。非常に親密な関係です。私はイスラム学の専門家ですので、一番のメンタリティーはアラブで、次がクルドです。
ちなみに私の妻はクルド人ではありません。だから、シリアの異なる民族とも対等に接します。
毎月多民族からなる在墺シリア人とシリアに関して議論もします。来週講演がありますし、シリア人がオーストリアで社会統合できるように手助けしたりしています。
それが少し驚きなのですが、問題はないのでしょうか?シリアの民族分断が内戦の一因にもなっています。
当然ありますよ。シリアの問題をオーストリアに持ってくる人もいます。それが現実です。
人それぞれ歴史がありますから、同じ境遇だとは言っても単純ではない。難民といっても一括りにはできませんね。長いインタビューもいよいよ終わりに近づきました。最後に、日本の読者に何か伝えたいことはありますか?
シリアにとって日本は特別な地位にあります。誇張ではありません。すべてのシリア人の家には日本の製品があるのです。
日本人には他人について知ってもらいたいです。シリアは地理的には遠いですが、グローバルには近い。人類の責任として、シリア人の援助を求めます。
日本にシリア難民がいるかは知りませんが、シリア内戦のような事態は誰にでも起こりえます。また、日本に招かれれば、喜んでシリアに関する講演をしたいと思います。文化交流が私の仕事ですから。
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全世界の難民の54%をシリア、アフガニスタン、ソマリアが占めており、シリア難民は最多の490万人にのぼる。
オーストリアの難民認定者数は約7万2千人(2015年末)。過去5年間のシリア人による庇護申請数はドイツが45万件、オーストリアは4万2000件である。対して、先日日本政府が決定したシリア人難民の受入れ数は300人ということである。
また、日本の国連難民高等弁務官事務所への拠出金(2016年)は一人当たり1ドル(約1億6500万ドル)で、ドイツ(4ドル)、アメリカ(5ドル)、ノルウェー(24ドル)とは大きな開きがある。
お別れ
こうしてインタビューは終わった。帰り際に10分待ってくれたら一緒に帰るという。なにかあるのかなと思ったが、とりあえず承知した。私のためにテレビをつけてくれると、彼はすぐに奥の部屋に消えていった。
私には10分待っている間に検討がついた。顔を出した途端に聞いてみた。
「祈っていたのですか?」「あなたとの義務を果たした後は、神への義務を果たさなければいけない」。笑顔で答えが返ってきた。
外に出ると相変わらず寒く、小雨はまだやみそうになかった。別れは十字路で。
またプライベートで会いましょうと誘うと、快諾してくれたが、いつになるかわからないと言う。今週から時間があまりないらしい。
そう、彼は明日から新しい仕事が始まるのだ。まだ不安だらけの長い旅路の途中だが、闇に消える彼の後ろ姿を見ながら幸運を祈った。
イスマイルは話し上手なので、インタビューは時間をオーバーして2時間半にも及んだ。それでも別れた直後にもっといろいろ聞いておけばよかったと思えてきた。読者の皆さんもきっとそうに違いない。
家路につく私の胸には彼の「無知は人類の最大の敵である」という言葉がこだましていた。