スマホをスマートに使いこなすのは(特に中年には)難しい

セレブの間で、「スマホ絶ち」が流行っているという記事を見た。そりゃそうだろうな、と思った。そもそも今まで、スマホなどというデジタルガジェットを、四十代、五十代の人がわざわざ買い求めること自体、どこかおかしかったのだ。

セレブの間で、「スマホ絶ち」が流行っているという記事を見た。そりゃそうだろうな、と思った。そもそも今まで、スマホなどというデジタルガジェットを、四十代、五十代の人がわざわざ買い求めること自体、どこかおかしかったのだ。

スマートフォンのインターフェースは、中年には辛い。ガラケーからスマートフォンに乗り換える際の面倒を差し置いても、まず、あの小さなディスプレイに長時間拘束されること自体が、非常にしんどい。若い頃は、目もまだ丈夫で、老眼にもなっていないから、スマートフォンのインターフェースにも痛痒を感じないだろうが、四十代、五十代にもなって、あの小さな画面を覗いてまわるのはいかにも辛い。健康にも悪そうだ。タブレットはともかく、小柄なスマートフォンのディスプレイで延々とSNSを覗き込んでいては、心が荒む以上に、目が痛む。

言い換えるなら、スマートフォンとは、若さを前提とした、若者の、若者による、若者のためのデバイスなのであって、そんなものを四十代、五十代がインターネットのために購入すること自体、どこかおかしいのである。そうした思慮も無く「なんとなく流行っぽかったから」「なんとなく格好いいような気がしたから」と数万円を投じて購入した挙句、身を縮めて小さなディスプレイに指を走らせている中年諸氏は、自省してもいいんじゃないだろうか。あなた達は、自分の身の丈にあったデバイスの選択ができていない。あなた達に必要だったのは、大画面のタブレットと、電話利用に特化したケータイではなかったか。

プライベートの維持と時間の節約という意味でも、四六時中スマートフォンを(あるいはタブレットやPCもそうだが)いじっているというのは、確かに、セレブのやることではあるまい。いや、セレブに限った話ではなく、仕事や家庭やレジャーに忙しい人間にとって、SNSを覗く時間、インターネットから情報を収集する時間は、できれば減らして、もっと実生活にダイレクトに影響する活動にあてたいもののはず。SNSやネットの情報は必要不可欠としても、その利用にはメリハリが必要で、のべつまくなしにダラダラ使っていては、コストがベネフィットを上回ってしまう。

そのうえ、昨今は「プライベート情報の流出問題」が浮上しているのだから、インターネットをダラダラ使い続けるインセンティブはますますもって乏しい。必要時に、必要なだけインターネットを使うのがセレブ的・社会人的には正解であって、いつでもどこでもインターネットをガチャつかせて悦に入るのは、おそらく不正解なのである。

もちろんこれは、学生さんにも言えるだろう。学生さんは若いので、スマホを四六時中チェックしていても疲労を感じないかもしれない。だが、そのスマホでSNSを覗き込んで「twitterのお気に入り」や「いいね!」チェックに吸収させている片手間は、本当に"効率的"だろうか?その時間を、例えば、書籍を数ページ読み進めるために用いたほうが、数年後の自分自身を豊かにできるのではないか?

■ネットは暮らしに必要だが、ネットの悪癖は必要ではない

私は、SNSなりインターネットなりが「不要だ」と言いたいわけではない。セレブだって学生だって、SNSは必要だろうし、ネットと繋がらない生活は、今日日はちょっと考えられない。

だけど、インターネットにダラダラと接続すること・まとめ読みすれば10分で済むはずのSNSを小分けに合計30分もダラ見すること・自分の身体に即さないデバイスで身体をいじめることは、やはりどこか馬鹿げている。流行に流されて身につけてしまった悪癖は、さっさと改めるべきだ。

ほかにも、モバイルインターネット化に伴う悪癖はいろいろある。

数千円~数万円のネット決済を、いい加減な場所で、不調なメンタルコンディションのもとで行っていないだろうか。せっかくの旅行先、せっかくのライブ会場で、眼前に広がる生の風景をおざなりにして、一生懸命にSNSに書き込みをしていないだろうか。どこの誰とも知れぬ相手の、内容的にもしようもないreplyに、血道をあげて時間と精神エネルギーを費やしていないだろうか。

そういうのは、ろくなもんじゃない。

やめたほうがいい。

■ネットユースを圧縮すると、生活が快適になる

私自身、長らくネットジャンキーを続けてきたけれども、拙著『「いいね!」時代の繋がり』を書き上げた頃から、自分自身のネットユースには無駄が多すぎると自覚しはじめ、ネットユースを抜本的に見直してみた。

インターネット接続を制限する日を設けてから、精神衛生も生産性もかなり改善した。多少、ネットの文物を見落としてしまう頻度は増えてしまったが、そのぶん、自分の時間を大切にする時間、書籍に触れる時間、自分自身が文章を書く時間は増えた。しばらくインターネットを離れていた時期は特にそうだったと思う。

対照的に、制限をもうけずダラダラネットをやる日はというと、疲れやすく、生産性も悪くなる。そして、「俺はこんな生活を毎日続けていたのか」と愕然とする。ネットジャンキーで良かったこともたくさんあるが、効率というものをもっと考えるべきだった。

「ネットユースを圧縮すると、生活が豊かに、快適になる。」

そのような発想のもと、手許にあるスマートフォンを、タブレットを、PCを見直してみよう――そうした文明の利器を、ちゃんとスマートに使いこなしているだろうか?デバイスや流行の奴隷になってはいないだろうか?スマートフォンをスマートに使いこなすのは、本当は難しいことなのかもしれない。

(※この記事は、2013年11月27日の「シロクマの屑籠」より転載しました)

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