旧東独・ドレスデン市の北部に、「ドイツ軍事史博物館」の武骨な建物がある。2013年3月にこの場所を訪れた私は、博物館の前に奇妙な物体を見つけた。
ドイツ連邦軍の「レオパルド」1型戦車が、主砲からアンテナ、キャタピラに至るまで、様々な色を使ったウールの布で覆われているのだ。まるで戦車が毛糸で編んだセーターを着ているかのようだ。ウールの布の中には、聖母マリアとキリストや、オリーブの葉を口にくわえた鳩(平和のシンボル)の絵をモチーフとして織り込んだものもある。
これは、8歳から85歳までのドレスデン市民ら80人が、去年9月から5ヶ月間かけて編んだもの。彼らはウールによって戦車を包み込むことで、戦争に反対する意思を表明している。
ドレスデンは、1945年2月の連合軍の大空襲で灰燼に帰し、約2万5000人の死者を出したことでも知られる。町のシンボルだった聖母教会も破壊され、社会主義時代には瓦礫の山のままだった。教会が創建当時の姿のままに再建されたのは、ドイツ統一から15年経った、2005年のことである。
米国の作家クルト・ボネガートは、第二次世界大戦末期にドイツ軍の捕虜となり、ドレスデンの収容所に拘留されている時に、この大空襲を体験。この時の経験を基に、名作「スローター・ハウス5」を執筆した。
つまりドレスデンは、今なお戦争の記憶を捨て去ることができない町なのである。
さらに、このオブジェを作った人々は、「なぜ70年前のドイツ社会はナチスによる独裁を許したのか? 将来こうした兵器が使われる前に、国際的な対立を解決するにはどうしたらいいのか? 過去から何を学ぶことができるのか?」と問いかけている。
当初ドレスデン市民たちは、博物館の庭に展示されていたソ連製のT34型戦車を包み込むことを考えていた。T34型戦車は、ソ連軍が東欧をナチスから解放する際に使用したが、東独の反政府デモやプラハの春を鎮圧する際にも使われた。
つまりナチスからの解放と、自由の抑圧を象徴する兵器なのである。
プロジェクトを始めた女性たちは、このような矛盾を抱えたT34こそ、ウールで包むのにふさわしいと考えた。しかし一部の市民が「東独を支配していたソ連の戦車は、見るのもおぞましい」として参加を拒否したほか、ロシアに好意を抱く市民の中には「解放者であるソ連軍を愚弄する行為だ」と抗議する者もいた。
このため市民たちは、連邦軍に頼み込んで、ドイツ製の古い「レオパルド」戦車を貸してもらった。もちろん連邦軍の内部には、「戦争に反対するプロジェクトに、なぜ戦車を貸し出さなくてはならないのだ」という批判もあった。一部の将兵たちの反対にもかかわらず、軍の上層部は戦車の貸与にゴーサインを出した。
軍隊が、戦争に反対するプロジェクトのために戦車を貸して、協力するとは意外である。日本の自衛隊だったら、反戦プロジェクトのために戦車を貸し出すだろうか?
ドイツ人は議論好きで、反対意見を尊重する。軍が左派に属する市民のプロジェクトを支援した裏には、「寛容さ」を示し、「今日の連邦軍は民主社会の一部である」とアピールするという目的があるように思われる。
保険毎日新聞連載コラムに加筆の上転載
(文と写真・ミュンヘン在住 熊谷 徹)
筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de