伊藤春香(はあちゅう)さんの、『女子の賢者タイムは時間差でやってくる』という投稿が、とても面白かったので紹介させていただきたいと思います。
僕は以前、はあちゅうさんの『女の子が一カ月に使う美容費について』というエントリーに対して、「女子に美容費がかかっているからといって、なぜ男がおごらなければいけないのか」という内容の反論記事をダイヤモンドオンラインで書いたことがあります。
さらに、はあちゅうさんはソーシャル焼き肉マッチングサービス「肉会」なるものを主催しているし、なんだかキラキラしているので"こじらせ男子"を自称する僕としては「ちょっと苦手だなー」くらいに思っていました。
しかし、今回の投稿は非常に興味深く読みました。さすがは女子の恋愛を見つめ続けてきたはあちゅうさんだけあって、洞察眼が並ではありません。『毒吐きはあちゅうのアラサー恋愛入門』という連載の名に恥じず、切れ味がバツグンの内容となっています。
では、さっそく内容を見ていきましょう。『女子の賢者タイムは〜』では、
女子は、初めて誰かとエッチをした時、
例え自分もその場は楽しんでいたとしても
事後に「男の人に大切なものを捧げた」心境になっています。
「なんで?」なんて言われたって理由なんてない。
本能的にそう思うのです。
と語られています。また、
一般的に、女子は男子に
請われて請われて請われまくった結果
体の関係を持ったと思いたい生き物。
(中略)
だから、食事の割り勘はオッケーでも
ラブホテルやコンドーム代は男子に出してもらいたい、
という女子も多いのです。
さらに、
タクシー代なんか自腹させた日には、
女子は千円札を数えながら、
「こんなにお金をかけてまで会う価値のある男だっけ?」
と思い始めます。
なのだそうです。
これだけ見ると、自由恋愛の性行為に対し、お金による対価を要求しているかのようにも思えます。しかし、本文をしっかり読むとそうでないことがわかる。
実は、この記事の中でこうしたお金に関する記述は、男性が「『うち泊る?』って聞く」ことや、「別れる前に次のアポを取る」ことや、「彼女が家に着くまで寝ないで『ちゃんと帰れた?』って電話する」ことや、「『今日は本当にありがとう』って感謝メールを送る」ことなどと、並列なものとして表現されているんです。
つまり、ここで求められているお金は、「貨幣」ではないわけです。お金という名の「承認」です。お金を払ってもらうことによって、「私は大切な存在なんだ」という承認を得ようとしているんですね。
『男の僕も「こじらせ」とか一度言ってみたかったので、ひとこと言わせてもらいますが......』というエントリーにも書きましたが、僕は女性におごるのが苦手です。お金が惜しいからではなく、ほとんど自分と収入が変わらないはすの女性に対し、僕がおごる必然性があるのだとしたら、「男性である」という事実の一点のみに尽きると思ってしまうからです。
つまり、女性の前で「男性」になることが気恥ずかしいのですね。
しかし、はあちゅうさんの記事を読んでハッとさせられたのは、そもそもこの「男性」になるという行為自体が大切なコミュニケーションなんだいう事実にほかなりません。おごり、おごられで交換されているのは貨幣ではなく、承認そのものだと言うことができるでしょう。
最近は世間でも、「男だから」「女だから」という古い規範へのこだわりが、だいぶ薄れてきています。しかし、だからこそ「男がおごるべき」という古い規範を持ち出す行為そのものが、男女間の機微を表すコミュニケーションとして成立するのです。
いや、おごるという行為のすべてが性的なアピールである、という話しではありませんよ。ただ、いつもはあちゅうさんの記事を読んだ後に感じていた不条理さが、なんとなく自分の中で消化できたというだけの話しです。
恋愛は論理的な思考だけで割り切れるものではありません。あえて「男性」という非論理的な、自明性のない態度を女性に晒すことによって伝えられるメッセージが世の中にはあるんだ、ということを学ばせていただきました。
まあ、僕はそんなのまっぴらごめんですが。
(2014年4月5日「Yahoo!個人」より転載)