1914年から18年まで続いた第1次世界大戦の開戦から28日で100年。ヨーロッパを中心に多くの人が命を落とした戦争です。イギリスでは「The Great War(大戦争)」という呼び名もあるほど、世界のかたちを変えた衝撃的な出来事でした。授業で歴史を習っていない小学生でもわかるよう、ざっくり解説します。
参戦した国の関係、ざっくり表すと・・・(作・ふじわらのりこ)
■今もわからぬ「なぜ起きた?」
第1次世界大戦は、日本であまり関心が持たれない戦争です。もっとも、死者は少なくとも1500万人、使われた戦費は800億ドル以上。研究する学習院大学学長の井上寿一さんによると「欧州ではきのうのできごとのように話す人がいる」ほど、重きが置かれます。
開戦のきっかけは1914年6月28日に起きた、セルビアの青年によるオーストリア皇太子夫妻の暗殺です。暗殺が起きた地名から「サラエボ事件」とよばれます。(事件が起きた現場には今、博物館が建っています)
1カ月後、オーストリアがセルビアに宣戦布告すると周りの国々が次々と参戦。ロシア、フランス、イギリスなど連合国と、ドイツ、オーストリアなど同盟国にわかれて戦いました。最後はアメリカの助けもあり、連合国が勝利します。
当時、国の重要人物が殺される事件はめずらしくなかったのに、なぜこれほどまでの大戦争になったのか、100年経ってもこれと言える答えが見つかりません。
■「総力戦」で4年におよぶ
「長くとも数カ月で終わる」と予想された戦争は4年以上続きました。それまで人類が経験したことのなかった「総力戦」になったのが主な原因です。それまではプロの軍人による戦いだった戦争が、全国民をまきこむ戦いに変わりました。
戦場に行った男性に代わって電車の運転や工場労働を担うなど、女性が社会に進出。自国をもり上げ、敵国の戦意をくじく「プロパガンダ」が始まり、戦費をつのるポスターでは「子どもを守ろう」と呼びかけました。
戦車や飛行機、潜水艦などの新兵器が戦場に登場。今なお続く戦争のかたちがかたまりました。
■日本も大きく変えた
日本はイギリスと結ぶ同盟を理由に8月、ドイツに宣戦布告しました。ドイツの植民地だった中国の青島に攻めこみ、地中海に海軍を派遣。戦勝国に名を連ねました。
井上さんは「様々な点で、日本を大きく変えた戦争だった」と考えています。
一つは戦後、世界の平和を保つ役割をしたことです。戦争が二度と起きないよう設けられた国際連盟に常任理事国として参加。国境や民族の関係がからむ難しい問題に携わりました。中でも1931年からアジア系として初めて常設国際司法裁判所の所長を務めた安達峰一郎は35年、オランダで国葬に。人種差別が激しかった当時としては異例のことです。
大国と認められたいという思いから、軍でなく政党が中心の政治制度など、欧米の国々が備え始めた民主的な仕組みを国内に取り入れました。政友会と民政党による2大政党制も実現します。
一方、アジアの国と仲良くできないという課題も残りました。特に中国には日本の支配を強める「21ケ条の要求」をつきつけ、反発をよびました。これは、今の日中関係にもつながります。
ヨーロッパの総力戦を目の当たりにした軍は、将来の戦争にそなえ、いざという時に国の力を注ぎこむ準備を始めます。この姿勢が第2次世界大戦の悲劇を生みました。
「次の大戦を起こさないために、100年前の経験から学ぶべきことがたくさんある」と井上さんは話します。
【ここだけはおさえたい第1次世界大戦の年表】
1914年6月28日 サラエボ事件が起きる
7月28日 開戦、戦場に戦車や飛行機が登場し、毒ガス攻撃も行われる
17年 ロシア革命によりソヴィエト政権が樹立、休戦を呼びかける
18年 ドイツで革命が起こり、戦争が終わる
19年 フランスの首都パリで講和会議。ベルサイユ条約が結ばれる
20年 国際連盟が発足
※記事は朝日小学生新聞7月28日付に掲載しました。(詳しくはこちら)