シリア難民と聞くと、ドイツやイギリス、フランスなどのEU諸国に定住する難民の方々を想像するが、実際には、ヨルダンやレバノンそしてトルコなどの周辺国が、先ほど述べた国よりも多くのシリア難民を受け入れている。しかし、そのことはあまり報道されておらず、現地の情報を手に入れることができない。
そこで、今回私は、現状がどのようになっているのかを自分の目で確かめるために、シリアとの国境の町キリスを訪れた。
キリスは、トルコ南東部の大都市であり美食の町として有名なガジアンティプから、乗合バスで40分ほどの所に位置している。
キリスの中心部
キリスは、シリア内戦の激戦地アレッポに近く、シリアへ出入国するための検問所があり、多くのシリア人が戦火から逃れるために、この検問所を通り、トルコそして欧州へと逃れていった全ての始まりの場所である。
キリスは平和が危機に面している。
ダーイッシュ(この記事内ではいわゆるイスラム国ISのことを、アラビア語での呼び方であるダーイッシュとして表記しています。)によって度々シリア領内からロケット弾が撃ち込まれ、子供を含む多くの一般市民が犠牲になっている。
国境線付近を歩いていると、時々シリア領内から爆発音のような音が聞こえてくる。しかし、人々は慣れているようで、ほとんど気にしていない様子が印象的であった。
遠くに見える山々はシリア領内にある
この町には多くのシリア人が住んでいる。
2011年頃からこの小さな町に何十万というシリア人が訪れ、その中にダーイッシュも多く紛れ込んでおり、誰が普通の難民で、誰がダーイッシュか、区別することができずシリア難民へ対し,不信感を抱く住民が多くいた。
トルコ人とシリア人の間に交流はあまりないらしく、4年この町に住んでいるシリア人の男性も1人もトルコ人の友人がおらず、全くトルコ語は話すことができないと言っていた。
シリア人の住む地区ではアラビア語をあちこちで見ることができた
あるシリア人の男性に話を伺った。
彼は2011年にアレッポからこの町に逃れてきた。彼は流暢な英語を話すことができるが、ここでは仕事がないらしく、毎日シリア人の友人が営むお店に仲間数人で集まり、話をして1日が過ぎていくと。この生活を5年続けているらしい。
なぜこの町から離れ、イスタンブールや欧州へと渡らないのかと聞いてみた。
彼によると、「アレッポからこの町まで約60㎞を歩いてやっとのことで、トルコにきた。都会に行けば職があるだろう。しかし、イスタンブールはあまりにも遠すぎる。金もないから飛行機に乗ることもできないし、バスで数日かけて行くのも無理だ。イズミルからボートでギリシャに渡ることができるが、とても高額でそして危険すぎる。それならシリアにいつでも帰ることのできるこの町に住んだほうがマシだ。」と。
更に彼は、「シリア人の中にはこの町で、密入国案内人になる人もいる。彼らに、20ドル払えばお前もシリアに行けるぞ。今、政府は国境に壁を建設しているが、あんなの意味がない。密入国ルートは無数にある」と。
1番彼の言葉で衝撃を受けたのは、「ヨーロッパに行けたのは金持ちだけだ」という言葉だ。欧州に住んでいる全ての難民がそうではないと思うが、難民の中にも格差が生まれているのは事実である。
皆さんとても親切で優しかった。
私がこの町で1番問題だと思ったことは、シリア難民の子供が教育を受けることができないということだ。
町を歩いていると、物を売り歩く子供や、店番をしている子供をたくさん見た。
なぜ彼らは働いているのかというと、少しでも家計の足しにするために働いている子もいるが、1番の理由は学校のキャパシティーが圧倒的に不足しているからだ。
この小さな町に突然多くの難民が訪れ、そして住み着いた。トルコ政府は、シリア難民へ生活の支援をしているが、トルコも多くの問題を抱え政局が安定せず、新たな学校建設まで手が回らないらしい。
2011年に避難してきた子は、5年教育を受けていない。この5年間で7歳の子は12歳に、12歳の子は17歳にと、成長している、教育を受けないままで。多くの子供は読み書きができない。
しかし、時間は待ってくれない。一刻も早く教育の支援をしなければならない。
シリア内戦が終結したとしても、終結後のシリアを担う世代が教育を受けていないのでは、シリアの復興、そして発展はほど遠い。
私は、1945年に焼け野原となった日本が、現在世界でも有数の経済大国になることができたのは、教育の力が大きいと思う。
内戦後、シリアも日本のように復興するために教育面での支援が欠かせないと思う。
現在、最も必要とされている支援は教育であると感じた国境線の町であった。
左は、自転車の修理屋で働く子供 右は、一緒にストリートサッカーをした子供達
最後に、退避勧告の出ている地域に行き、多くの方にご心配をおかけしたことをここにお詫びいたします。
今後も、外務省の指示や現地の情報に耳を傾け、最善の注意を払い行動していきたいと思います。
そして、警察にダーイッシュと間違われ拘束された際に、解放するために尽力してくれたトルコ人の友人たちにこの場を借りてお礼申し上げます。