あなたは、シリアの、シリア難民の、今を知っていますか?

あなたは興味がありますか?

あなたは知っていますか?

シリアで内戦が続いている事を

あなたは知っていますか?

内戦が始まってどれだけの年月が流れたのか。

あなたは知っていますか?

この内戦でどれだけの人が亡くなったのか。

あなたは知っていますか?

この内戦でどれだけの人が故郷を追われたのか。

あなたは知っていますか?

彼らが今何をしているか。

あなたは興味がありますか?

彼らの今に。

在英NGO「シリア人権監視団」によると、2011年3月にアサド大統領への抗議活動が始まって以来7年間での死者数は全体で36万4792人民間人の死者数は11万687人。その内子供は2万人以上。女性は1万3000人ほどだ。

さらに「UNHCR」によると、シリア難民の数は561万8955人だ。                 561万8955人の難民がいれば、561万8955通りの人生がある。或る者はヨーロッパで、或る者はトルコで、ヨルダンで第2の人生を始め、或る者は難民キャンプで暮らしている。

今回は私のある友人の話をしたい。彼の名前はアブラシード。シリアのラタキア出身。彼は大学で情報工学を学ぶごく普通の大学生だった。彼にとってシリアは平和な国だった。         休日になると女の子とデートに行き、親に隠れてシーシャ(水タバコ)を吸うといったように、日本の大学生と変わらない生活をしていた。彼の人生が一変したのは2011年。チュニジアのジャスミン革命を皮切りに、アラブの春と呼ばれる民主化と自由を求める大規模な反政府運動が北アフリカ・中東地域でおこった。アラブの春は、彼の住むシリアでも吹き荒れた。

AOL

(アブラシード 2018年筆者撮影)

シリアの各地で政府へ対してデモが行われた。彼はそれに対して全く興味を持っていなかった。しかし、デモに参加していた彼の従兄弟や友人に誘われ、参加することになった。特に政治的思想もない彼にとって、友人に誘われたので仕方なく参加するという程度のものだった。軽い気持ちで下した決断が彼の人生を一変させ彼から全てを奪うことになった

その日、彼は友人達と共にデモが行われている町の中心部へ向かった。デモの内容は、先日デモを行っている市民へ軍が発砲した件に対しての抗議や、民主化を求めるものだった。             デモの列に加わり大声で民主化を叫んでいると、突然、銃声が響き渡った。デモを弾圧するために軍隊が市民へ向けて発砲したのだ。人々が四方八方に走り出した。彼は訳も分からずその場に立ち尽くしていた。すると友人に「軍隊が撃ってきた。逃げるぞ」と言われた。友人に腕を引っ張られた。そして走り出した。次の瞬間、悲鳴と共に前を走る友人が視界から消えた友人は流れ弾に当たり倒れこんでいた夥しいほどの血が胸から流れていた。彼は友人をその場から担ぎ出し、無我夢中で逃げた。やっとのことで安全な場所に辿り着いた。友人に声を掛けたが返事はなかった友人は息を引き取っていた。友人の死により、彼の周囲の人は政府への怒りや復讐を誓っていた。そんな中、彼はあの頃の平和なシリアに戻る事を願っていた。しかし、その願いは叶わなかった。度重なるデモへの弾圧により、彼の従兄弟や多くの友人が命を落とした。                                      シリアでのアラブの春は、平和的なデモから内戦へと姿を変えていった。丁度その頃、彼は結婚し子供ができた。娘のためにも安全な場所へと考え、トルコへ逃れ難民となった

家族を養うためにも何か仕事をしなければと考え、仕事を探したが見つからなかった。稀に仕事が見つかっても、危険な労働や低賃金の仕事ばかりだった。彼は、生まれたばかりの娘のためにそれらに従事した。その後知人の紹介で、シリア人が運営するイスラム教の学校で料理人の職を得た。そして、その学校の取材に来た私と出会い、彼の部屋に寝床を与えられルームメイトになった。

彼はとても明るく、親元を離れて生活する生徒たちの兄貴的存在だった。そんな彼だが、夜中に娘の写真を見ながら泣いていた事があった。彼は家族を養うために、家族の住む町から単身この学校で住み込みで働いている。ギリギリ家族が生活できるかできないかくらいの給料しか貰っていない。しかし、ここではこれくらいしか仕事がないのだ。生まれたばかりの娘とは1ヵ月すら一緒に生活したことがない。難民という現状が彼と家族を引き裂いている。先日彼から連絡が来た、「未だに家族と一緒に暮らす事ができない。まだ何も終わっていないんだ。でもみんな俺たちの事を覚えていない。」と。

シリアで内戦が始まってから7年が経った。しかし、未だに内戦は終わらない。そして、仕事がなく生活に困窮している難民の方がたくさんいる。学校に行くことができずに働いている子供もいる。

なぜシリア内戦が終わらないのか、いくつかの要因を挙げて専門的に考察されている方がいらっしゃるしかし私は、この内戦が終わらない原因はもっと単純で、しかし根深いものだと考えている。それは我々の無関心だ。我々の無関心がこの内戦を7年間も続かせている。私は、戦争や内戦を終わらせる手段として、国際世論の形成が大きな効果を生み出すと考えている。

国際社会からの監視が強い時は、国際社会に配慮し政府は国際法を遵守するが、国際社会からの監視が弱まれば弱まるほど、国際法に違反する行いが増える。シリアでは、民間人や医療施設、学校などへの攻撃や化学兵器の使用など数多くの国際法違反が行われている。

ルワンダ内戦の際、ルワンダで大虐殺が行われている事を、報道を通し国際社会は知っていた。しかし、国際社会はそれを止めるための積極的な行動を起こさなかった。国連でさえも。この国際社会とは、一国家の事を言っているのではない。我々一個人のことだ。

ルワンダ内戦を描いた映画「ホテル・ルワンダ」の中でとても印象的な言葉がある。

「虐殺が映ったこの映像を全世界に流しても、世界の人々は怖いねと言ってディナーの手を少し止めるだけだ」 ホテル・ルワンダ 

この言葉は、虐殺の証拠映像を撮った外国人記者に対し、ルワンダ人の主人公が「あの映像を流せば、世界は私たちを助けてくれる。」希望を抱いたところ、その外国人記者が彼に返した言葉だ

この7年間で幾度となくシリアの惨状を見たり読んだりしてきたはずだ。しかし、その度に「怖いねと言ってディナーの手を少し止めるだけ」だったのではないか私達の無関心の積み重ねが、シリアの今なのではないか。この記事を読んでもあなたは「可哀想ね」と呟くだけかもしれない。しかし、そんな事もう辞めにしよう。我々はルワンダ内戦と同じ過ちを繰り返すべきではない。

国際社会の一員として、彼らと同じ1人の人間として、1分でも1秒でも早くシリア内戦が終結し、難民の方が故郷に帰れるように声を上げなければならない。そして、行動していかなければならない。

筆者:日下部智海

ホームページ:http://www.tomomitravel.site/

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