「あ、ちょうどあのあたりです、元の家。盛り土の中ですね」生まれ育った家や経営していたダイビングショップのあった土地は、不自然に形成された盛り土に沈んでいました。
水中写真家の佐藤長明さん(47)。ハフィントンポスト日本版では震災後、佐藤さんが撮影した宮城県南三陸町の海中の変化を取り上げてきました。20年以上にわたって南三陸の豊かな海を見続けてきた佐藤さんの目に映ったのは変わり果てた故郷の海でした。
しかし、そこにはなかなか進まない地上の復興とは異なり、確かな命の復活も確認できたのです。「水深10mくらいだと太陽光も入るので、海藻が増えました。生物が住みやすい環境が整う過程で、海藻が育つことは必要です」
ところが、その後南三陸の海に予期せぬことが起きました。震災4年後に潜ると、海藻があった岩場をウニが覆いつくしていたのです。
「津波の影響で漁も減少し、天敵のいなくなったウニが再生した海藻をねこそぎ食べてしまったようです。5年たった今も、ウニの食害によって磯焼けした状況が続いています」
現在は北海道函館市に移って、ダイビングショップを続けている佐藤さんを、さらに不安にさせているのが、南三陸の復興状況です。「なんか異様ですよね。以前の南三陸町には戻れないのかなと。工事で出た大量の土砂が川から海に流れ出て海底を覆ってきている。生態系にも影響が出ないか心配です」
(写真上=志津川中学校のある高台に設置されているパネル。南三陸町の震災前の風景をいまに残している)
(写真下=山を切り崩した土で盛り土を作り続ける南三陸町。佐藤さんの店跡も海岸沿いの盛り土に埋もれた)
佐藤さんはいつの日か故郷に戻りたいと考えていますが、一方でダイビング客が求める景色、環境、食といった観光ニーズにこたえることができるのか、現在進んでいる復興工事に疑問を感じています。「こんな異様な盛り土工事に多額の予算がつぎ込まれています。もちろん現状を良いと考えている人もいますが、これでは将来戻れないのではと考える町民も少なからずいます。戻らなければ一万人を切るかもしれない住民のために、いったいどれだけの税金をかけるのか。問題は「災害復旧事業」にあると思います」
被災した施設を直すための「災害復旧事業」は、国が費用の97%を負担します。当初2015年度までに申請をしないと使えなくなり、そのタイミングを逃すと、通常の公共事業となり、県が半分を負担しなければならないというので、その結果、丁寧に地権者の意向を調査する時間がないまま事業を申請した結果、防潮堤の問題も含め、首を傾げるような事業に巨額の予算が投入されているのです。
佐藤さんのお話を聞いていて思い起こしたのが、以前取材をした奥尻島の島民の言葉でした。
2013年に私は北海道南西沖地震から20年を迎えた奥尻島を取材したのですが、奥尻島の人々は複雑な思いで東北の被災地の復興を見ていました。津波で甚大な被害を受けた奥尻島では震災のあと数年間、災害復旧工事でバブルに湧き、その結果、巨大なコンクリートの防潮堤が今も島を取り囲んでいるのです。
「コンクリートの景色の奥尻には、昔のように奥尻の自然を愛してくれた観光客も来なくなった。巨大な防潮堤の影響か、牡蠣の養殖も昔のようにできない。若者は島を離れ、島の経済は悲惨なことになっている。数十年後に本当に必要なのか、じっくりと考えて、復旧事業を進めてほしい」
お話を伺った漁師の方の「東北の方は、奥尻島から学んで欲しい」という言葉。将来どのような街づくりを描くのか。今一度立ち止まり、地元の方の思いと向き合い、地域ごとに将来本当に必要か否かを慎重に検討して復興の在り方を再考することはできないのでしょうか。