世界中を震撼させた、イスラム過激派によるフランスの新聞社「シャルリー・エブド」襲撃事件。無慈悲で凄惨な手口により、12人もの命を奪った蛮行は決して許されるものではなく、深い悲しみと強烈な怒りを感じています。
多くのメディアはこの事件を「表現の自由」への攻撃として、シャルリー・エブドが掲載してきた風刺画をセンセーショナルに報道しました。ハフィントンポスト日本版もまた事件発生時から、事件の引き金になったと思われるムハンマドの風刺画を掲載してきました。「私はシャルリー」という言葉は「報道の自由」を象徴する表現として、大規模なデモ行進とともにフランスのみならず世界各地の人々が掲げ、テロに屈しない決意を表明しています。
しかし、一方で襲撃事件後に発行された「シャルリー・エブド」の一面に掲載されたムハンマドの風刺画をめぐっては、イギリスで掲載をしなかった新聞社が「臆病者!」といった読者の反応で炎上したり 、ジャーナリストらの国際団体「プレス・エンブレム・キャンペーン」(本部:ジュネーブ)がシャルリー・エブド最新号の発行に先立つ13日、掲載に反対する声明を出すなど、ここにきてさまざまな議論を呼んでいます。各国メディアがその掲載について対応に苦慮し、それぞれに見解を打ち出すようになりました。
実は先般、ハフィントンポストのアメリカ本国からも、この「私はシャルリー」の意思を共有して発信するべく、世界各国のハフィントンポストが同時刻に、一斉にムハンマドの風刺画をスプラッシュとして掲載しよう、という提案がありました。スプラッシュというのは、ハフィントンポストのフロントページでトップに置かれる大きな写真のことです。
これについて、ハフィントンポスト日本版編集部では「表現の自由において、テロには屈しない」という趣旨には賛成するものの、果たしてムハンマドの風刺画をスプラッシュに置くべきかで議論となりました。ニュースとしてシャルリー・エブドの掲載してきた風刺画を掲載することと、我々の決意表明とともに、スプラッシュでムハンマドの風刺画を掲載するということは違うと感じたのです。
イスラム教では偶像崇拝が禁止され、ムハンマドの肖像を描くことがタブーとされています。表現の自由を暴力で封じ込めようとする過激派の行為への怒りが高まり、イスラムと社会の分断が進むことこそ、過激派の思うつぼではないのか。過激派と無関係の、多くのイスラム教徒でさえも嫌悪を抱き侮辱と感じるムハンマドの風刺画を、自分たちの声明文とともに掲載することはふさわしくないのではないか、というのがハフィントンポスト日本版の出した結論でした。
アメリカ編集部は私たちの意見を理解し、掲載は各国の編集に任されました。結果、掲載を希望した9ヵ国・地域が、「私はシャルリー」と言って涙を流すムハンマドの風刺画をスプラッシュにしました。スプラッシュにしなかったのは日本版、イギリス版、インド版、マグレブ版です。画の掲載をしない(日本版はスプラッシュではなくニュースでこの画を掲載)というのもまた表現の自由とし、世界各国で対応が異なるというのも、またハフィントンポストらしい判断だと感じています。
ムハンマドの風刺画掲載については、今回、ご説明したハフィントンポスト日本版の判断にもご意見があると思います。みなさまからも忌憚のないご意見をいただき、議論の場をつくっていくことができたらと考えています。