空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ 第2回

空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ、原因と対処法をお伝えします。

前回のコラム 空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへに続き原因と対処法をお伝えします。

まわりの人たちにも(私のため)空気を読んで行動して欲しいと期待するが、願いが叶わない

「自分にできるのだから、あの人にもできるはず」

そういう思いを抱くことは、よくあることです。

では、その逆はどうでしょうか?

私たちは相手ができることについて、「自分はできない、スゴイ!!」と素直に評価するほどには、自分ができること、特徴や長所を「どうだ!スゴイだろう、ほかの人にはできないよ!」とは、ジョークにすること以外では思わないものです。

日本人らしさ(謙遜、謙虚)を発揮しているとも言えるでしょうか。

「空気を読んで行動することができる人」とは、そんなにはいません。

空気を読めるということは、1つの能力です。

能力、長所、特徴... こういったことは、その人の魅力や評価につながるものでもあります。では、改めて「空気を読んで行動できる」とはどんな能力なのでしょうか?

客観的な観察力がある (周囲の人の能力や状況、進行している事態や計画など...)

予想する、展開を読む力がある

経験の応用ができる(あのときの状況に似ているから、こんなことが起きそうだ)

上記の3つにより、リスクを想定し、対応、管理することが得意(これまでもそういう経験をしている)「言ってるそばからそんなことして...」「きっとこうなると思ったんだよね...」

このようになるでしょうか。

「広くまわりを見渡し、未来の可能性を考え、機会を捉えて発言行動するチカラがある」

格好よくまとめるとこんなフレーズになるのではないかと思います。

こうやってみると、なかなか有能で仕事ができそうなイメージですね。

その一方で、悪い面が強くでると以下のようになるでしょうか。

観察力を発揮しすぎると、余計なお世話とか、お節介と取られる。

いくつもリスクを挙げていくと、否定的、ネガティブ思考と取られることもありそうです。

さて、あなたはどうでしょうか?

際立つ能力、長所、特徴とは、抑えつけるとか、しまいこんで隠しておくことが難しいものです。

たとえば、かつての体育の授業の時間を思い出してください。

「走ること」は得意不得意がハッキリと誰の目にも分かる、公平で残酷な競技です。

残念なことかもしれませんが、走ることが苦手な人が息を切らして必死でだした50m走のタイムでは、トップはおろか、上位にランクインすることはできないでしょう。「得意な人が軽く流して走った」50m走のタイムにさえ、届かないはずです。

それくらい得意なこと、長所とは強力なものです。

このような能力は、自然に発揮されてしまうものです。ということは、空気を読むことが得意な人は「習慣的に相手のことや場の雰囲気を読んでいる」といえます。

それが長所で得意なことですから、その気がなくても発揮してしまうものです。

ですから空気を読むことは当たり前で、それが自然なことになっています。

すると繰り返し空気を読む経験を積むことになり、当然のことですが、繰り返し反復練習することは上達しますよね。

だからあなたは「空気を読むこと」が得意だし、得意だから空気を読んでしまう。

さらにあなたが能力を発揮すると、相手が言葉で明確に要求し、依頼をする前にやってしまうことができます。

先回りして心配し、思いやることで対策を考え、提案し、実行や対応ができる。

こうしたことが上手くいったら、みんなに一目置かれますよね。

一目置かれる、認められることがあったら、だれでも嬉しいものです。

あなたの能力に、報酬が与えられているといえます。

すると当然のことですが「空気を読むこと」はあなたにとって意味のあること、利益のあること、気持ちのいいことですから、さらに繰り返されていきます。

こうした強化のループができている人には、まず勝てません。

あなたがまわりの人に、「私にできるのだから、みんなもできるはずだ」と期待してみても、同レベルの能力をみんなが獲得して、バランスがとれるという未来は難しいでしょう。

得意なこと、長所とは、人それぞれに違ったものなのです。

あなたが自分の能力に気づかずに謙遜していると、それが長所で特別ということに気づきにくくなります。

「100mを10秒で走れ」と要求することがバカげた要求だということは、誰にでもわかることです。

それは特別だということが、誰にでもわかりますから。

では空気を読むということは、どうなのでしょうか?

「せめてもう少し(私とおなじように)やってくれたら...」

「なんでわからないかなぁ(俺はわかることなんだけど...)」

空気を読み過ぎて辛いならば、それは「高いレベルで空気を読んでいる」から、ということでもあります。

誰もが高いレベルで備えているものではないのです。

空気を読むことを高いレベルでできる人が望むほどには、みんながやろうと思ってもできることではないようです。

無理な要求やできないことを期待するということ...

まわりに空気を読むように求めるということは、ガッカリしたり、腹が立ったたり、貧乏くじを引いているように感じる原因をつくっているといえるでしょう。

これだけ助けてあげているのに、自分は助けてもらえない...

忙しいにもかかわらず無理しても、報われない...

満たされない期待、要求から生まれるもの...

「損」とは、感じたくない気持ちです。

いつも関わり合う相手や仲間に、疑いや悪意のようなものを感じたくはありません。

そこで悪意のようなものを感じる替わりに、「もう少しやってもらえたら」などと期待をしても、相手が持っていない能力は発揮されず、自分が「助かった」と感じることがない...

つまるところ自覚のない長所があるので、空気を読んでまわりを助けることができる。

それは特別なチカラや能力ではなく、自分にとっては普通で当たり前のことだと思っている。

だから、「相手にも自分とおなじくらい空気を読んで行動して欲しい」という要求に気づかないうちになってしまう。

そして相手に無い能力は発揮されず、あなたの期待に応えてくれる人はいない...

これが「まわりの人たちにも(私のため、みんなのために)空気を読んで行動して欲しいと期待するが、願いが叶わない」という構造なのです。

あなたが役割を放棄すると世界に何が起こるのだろうか

空気を読み過ぎてつらいあなたの解決とは、どのようなものでしょうか?考えてみましょう。

まず構造的な問題を整理すると、次のようになるのでした。

  • 空気を読むということは、主体性がなく「やらされ感」がある
  • 自分が損をしていると感じる
  • まわりの人たちにも(私のために)空気を読んで行動して欲しいと期待するが、願いが叶わない

ということは、単純に裏返せば解決かもしれませんね。

  • 空気を読んで行動することに、主体性、自分の決断や判断を導く
  • 損から得に変える、または受け入れられる程度の傾きに修正する
  • 空気を読んで行動して欲しいという願いが叶う

もしかすると、空気を読むことを一切すべてやめる、ということも解決と思えるかもしれませんね。

ですが、これって可能な対策でしょうか?

これができるならば「読み過ぎてつらい」という悩みは生まれませんが、そもそもそれが可能ならば、本文、このテーマは成立しませんよね。

そして思い返して欲しいのですが、多かれ少なかれ、あなたが「空気を読んで行動できる人」だということが、まわりの人たちに評価されているのではありませんか?

観察力、予想や展開を読む力、過去の経験をいまに活かす力...

こうしたチカラが失われてしまうことは、仮に可能だとしても良いことではないのではありませんか?

まず前提として「空気を読むことを完全に辞めることはできない」

ということを、はじめにハッキリとさせておきました。

やらされることをあなたが引き受けないとすると、世界に何が起きるのだろうか?

完全に辞められないとすると、ほかのやり方で解決を目指すことになりますね。

そこで1つ調べたいことがあります。

それは、「あなたが空気を読んでも行動しないとすると、世界に何が起こるのか?」ということです。

おそらくこれは、とても難しいことではないかなぁ、と思います。

いつもやっている習慣的行動を中断する、辞めるということは抵抗があります。

たとえばこれはどうでしょうか?

「明日の食事は3食とも、お米を食べてはいけません」

「明日は1日中、コーヒーを飲まずに過ごしてください」

きっと「いやいやそれはちょっと待って...」、「メシを食うなというのと同じだよ!」、「うっかり飲んじゃいそう」など、抵抗を感じる人も多いのではないでしょうか?

空気を読むことが得意な人にとっては、いつも自然にしている習慣である「空気を読むこと」を中断するということは、おなじように大変なことだと思います。

明日から長所を出すな、というのは難しいですよね。

ですからこのような抵抗や不安を少なくするためにも、とても小さなケースで始めることがおススメです。

その方がリスクも少なくすみます。

そして1日中全てのことについて実験する必要はありません。

そんなことをしたら性格も変わってしまうし、とても疲れそうです。

まわりにも心配されてしまうでしょうし、条件が変わり過ぎて実験にならなくなってしまいます。

1日1回程度でもう、十分です。

コーヒー飲みたいのかな?

休憩したいのかな?

(重いものを)持ってほしいのかな?

この程度の軽くて、安全なケースで十分でしょう。

そのように空気を読んだなら、いったんそこでストップです。

明確に言葉で伝えられるようなことがない限り、我慢します。

あなたが声をかけたり、手を出してはいけません。

その結果、どんなことが起こるのでしょうか?

あなたが思った通りのことが起こるとか、思った通りのことを頼んでくることもあるでしょう。

何も起こらないこともあるでしょう。

あなたの気持ちが落ち着かず、モヤモヤすることもあるでしょう。

ついつい手を出したくなってしまうような場面もあるはずです。

でも、そこは実験ですから結果がでるまで「待って」みましょう。

重要な出来事や深刻な状況で実験をするのでなければ、やり過ごしても問題はないケースのはずです。

問題があるとしても、あなたの気持ちの中だけでしょう。

なぜならば安全なケースや、日常のちょっとしたことを選んで実験しているはずですから...

* 注意 *

そんなのじゃ物足りない、仕事の場面で実験したいと思う人もいるでしょう。

その場合には、必ず時間的な余裕などのセーフティラインを設定しましょう。

「気づいていたのにやらなかった」

その結果、トラブルが発生した場合、あなたが不利になったり、後悔で自分を責めたりしてしまうことになりかねません。

それでは余計に苦しんでしまいます。

コーヒーが飲みたそうだな、でも我慢... その結果???

  • コーヒーを頼まれる(正確な予想が証明されました)
  • コーヒーを頼まれる(正確な予想が証明されました )
  • 何も起こらない(残念ながら予想が外れ)
  • 何も起こらない(残念ながら予想が外れ)
  • 本人が自分で淹れる、または別の人が淹れる(予想そのものは当たっているが、必ずしもあなたが淹れてあげる必要はないのではないか)
  • 話しかけてくる(コーヒーが重要ではなく、コーヒーをきっかけとしたあなたとの会話が大事なのかもしれません)

こうした実験をしてみると、あなたの中にさまざまな気づきや学びが生まれることでしょう。

正解か不正解か?

あなたがしないと別の人がするのかどうか?

相手がハッキリと言葉にして依頼してくるのかどうか?

幸か不幸か、あなたが空気を読んでしている行動が、じつはあまり必要とされていないことも、あるかもしれません。

意外な人が、自分の次に空気が読める人だったりすることもあるでしょう。

過剰にフォローしないことで、成長する人だっているかもしれません。

やはりあなたが重要な役割であることが、ハッキリとすることもあるでしょうか。

こうした新しい情報で、負担が減ることがありそうならば、気が楽になることもあるはずです。

予想が正確だったと証明されたら、迷いなく自信を持ってできることもあるように思います。

(2016年07月24日「ボトルボイス」より転載)