今年も参加してきました。
毎年おこなわれているストックホルム大学と東京大学の国際比較教育学部のジョイントセミナーが今週ありました。僕は去年もプレゼンをしたのですが、今年もやってみることにしました。テーマは、 Education for sustainable developmentで、僕の発表したかった論文はあまり関連がないかなと思ったので一応論文を2つ提出したら、2つとも発表することになってしまったのですw。
それに加えオープニングセミナーでストックホルム大学の学生としてこちらの留学生活についても、話すことになってしまったので 合計2日間で3つプレゼンをしました。もちろん全て英語です。
いい練習になりましたw
東京大学から来た学生は、 大学院生も博士課程の学生も一緒くたになっている感じでした。 ほとんどの人が今回のこのプログラムで初めて会ったようででお互いに自己紹介をしたりしていました。
ぼくが発表したのは大学の僕の所属しているプログラムのEducation and Development というコースで提出した、若者参画の再解釈についての論文と、 スウェーデンの学校の政治的中立性に関する論文でした。
どちらも日本の現在の18歳選挙権の引き下げに伴う若者参加の重要性の議論に照らし合わせて書いたものだったので、 少しは楽しんでいただけたかと思います。
セミナー終了後は、何名かの学生と東京大学の北村先生らと、スーデルマルムのKvarenというパブで飲みました。 北村先生の話がめちゃくちゃ面白かったですw
今の日本の「若者向け選挙キャンペーン」が失敗する理由
ぼくがプレゼンで主張したかったのは、これ。
若者参加の再解釈の論文ではスウェーデンの余暇活動政策の歴史的変遷において若者参加に関する議論がどのように発展し、若者の参加への認識が変わっていたのかを書きました。それをフーコーなどのポスト構造主義者のポストモダンにおける「権力」との議論と絡み合わせました。
ここでは、「若者に大人が影響力を与えようとする姿勢」には権力関係の不平等性があることを指摘し、スウェーデンの1950年代のChild Care Committeeの議論で問われた「そもそも大人が若者に影響を与えることは可能なのか?」という本質的な質問を境に、スウェーデンの若者参加のトレンドが変わったことを報告しました。この質問が本質的なのは、大人が保持していた圧倒的な権力を「解放」したという点です。
スウェーデンの若者政策は「若者の影響力を保証すること」を目標としています。1985年以降は、国連の影響なども受け、若者参加の議論も加速しましたが、それ以前に上述した「転換点」があったことが今日の若者政策の基礎を作っているようにぼくは思います。
日本では現在、18歳選挙権への引き下げに伴い若者をどのように「参加させていくか」という議論になりがちです。結局それは、大きな権力をもった大人がそうじゃない若者へ一方向的に「歩み寄る」という姿勢であって、アンバランスな権力関係を前提にしています。
ですので、そもそも今の若者たちへ「選挙行こうよ!」とアプローチすることがダメなんだと思ったほうがいいということです。選挙ポスターでアイドルを使ったりしていますが、「人気アイドルを使えば、若者も興味をひくだろう」という思いがひしひしと伝わってきますね。
この点、田村淳さんが選挙ドットコムのが提案した「選挙に行きたくなるセリフコンテスト、若者向けネット番組の制作、投票済み用紙でお笑いイベントが無料になる選挙割」などの企画にビシッと言っています。
「ただ間口を広げて、『おいでおいで』ってやっても、結局意識高い人しか来ないんですよ。だってそこに興味ない人から見たら、間口が広かろうが狭かろうが関係ないじゃないですか。それで、意識高い人だけでまた世界を作っちゃって、本当に無関心な層が置いてけぼりになるでしょ。
特に今、18歳選挙権の施行が近づいているから、若者に"優しく"することで選挙に来てもらおうって思ってる政治家なんかもたくさんいると思うんですけど、歩み寄りすぎるのはよくないのかなと。選挙ドットコムさんの企画は全部歩み寄り系ですよね。歩み寄るにしても、もっと本当に無関心な人たちでも接点を感じられるような情報発信をした方がいいと思う」
これに近いことをぼくは言おうとしたということです。おそらく、選挙キャンペーンをやろうとしている政党や、団体の企画立案の過程で、様々な層の若者を巻き込んでいいけば、やろうとしていることが間違っていることに気づくでしょう。田村淳さんも「若者」だったからこう指摘することができたのです。
もうひとつのスウェーデンの学校における政治的中立性に関する論文は、以下の記事でまとめていますので、どうぞ!