自民党の中で集団的自衛権の議論が始まった。
その中には憲法解釈の変更という論点も含まれる。
これまで憲法解釈はどうやって変えられてきたのだろうか。
これまでに憲法解釈が変更されたと内閣法制局が認めているケースがひとつある。
憲法第66条第2項に規定する「文民」と自衛隊との関係に関する見解だ。
質問主意書に対する答弁書で内閣はこう述べている。
『憲法の解釈・運用の変更』に当たり得るものを挙げれば、憲法第66条第2項に規定する『文民』と自衛官との関係に関する見解がある。
すなわち、同項は、『内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない』と定めているが、ここにいう『文民』については、その言葉の意味からすれば『武人』に対する語であって、『国の武力組織に職業上の地位を有しない者』を指すものと解されるところ、自衛隊が警察予備隊の後身である保安隊を改めて設けられたものであり、それまで、警察予備隊及び保安隊は警察機能を担う組織であって国の武力組織には当たらず、その隊員は文民に当たると解してきたこと、現行憲法の下において認められる自衛隊は旧陸海軍の組織とは性格を異にすることなどから、当初は、自衛官は文民に当たると解してきた。
その後、自衛隊制度がある程度定着した状況の下で、憲法で認められる範囲内にあるものとはいえ、自衛隊も国の武力組織である以上、自衛官がその地位を有したままで国務大臣になるというのは、国政がいわゆる武断政治に陥ることを防ぐという憲法の精神からみて、好ましくないのではないかとの考え方に立って、昭和40年に、自衛官は文民に当たらないという見解を示したものである。
(内閣衆質159第114号 平成16年6月18日)
その昭和40年5月31日の衆議院予算委員会をみてみよう。
石橋政嗣委員 それから、この防衛庁長官の問題で一つただしておきたいと思うことがあるわけです。
それは、防衛庁長官が文民であるということが一つシビリアンコントロールの柱として常にあげられるわけなんです。ところが、現在の日本国憲法は軍備放棄をいたしておりますから、軍事条項というのは全然ありません。だから、シビリアンコントロールについても憲法にその根拠を求めることは不可能なんであります。
しいてあげる方がこの憲法六十六条の文民条項というのをあげるのですが、ここで問題になるのは、制服の諸君がこの文民条項に該当するかどうかということですよ。排除されるのかどうかということです。
この点については政府の中でも妙な議論があるようでございますので、念を押しておきたいと思うのですけれども、将来内閣総理大臣の考え方によってはユニホームの諸君でも防衛庁長官になり得るのかということです。
この点いかがお考えになりますか。
佐藤栄作内閣総理大臣 これはたいへん大事な問題ですし、ことに法制局でいろいろ検討しておりますから、間違わないように長官から説明させます。
高辻正巳政府委員(内閣法制局長官) 文民の解釈は、率直に申し上げまして、憲法制定当時から、政府のみならず学者の面におきましてもかなり問題になったところでございます。
石橋先生御承知のとおりに、これは第九十回帝国議会で審議している際に、当時の貴族院でやっております場合に、アメリカのほうから、もっと詳しく言えば極東委員会でございますが、そこから要求がありまして、実は貴族院の段階で入った。
当時、シビリアンでなければならないという、このシビリアンを何と訳すべきか、実はそのときから問題があったわけでございます。詳しいことは別としまして、さてそれでは解釈をどうするかということにつきましては、多くの学者は、旧職業軍人の経歴を有しない者というのがほとんど圧倒的な考え方でございます。
政府のほうはどう言っておったかと申しますと、これも御承知のとおりに、旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者、そういうようなふうに言っておりました。
これにつきましては、憲法制定当時に実は国の中に武力組織というものがなかったわけで、これを意義あるものとしてつかまえようとしますれば、どうしてもそういう解釈にならざるを得なかった。
そういう解釈から言いまして、いままで---いままでと申しますか、憲法制定当時からのそういう解釈の流れから申しまして、自衛官は文民なりという解釈にならざるを得なかったのであります。
これは、憲法制定当時の日本における状況から申しまして、そう解することについていわれがあったと私は思いますけれども、さてしからば、いまひるがえって考えてみます場合に、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という趣旨は、やはり国政が武断政治におちいることのないようにという趣旨がその規定の根源に流れていることはもう申すまでもないと思います。
したがって、その後自衛隊というものができまして、これまた憲法上の制約はございますが、やはりそれもまた武力組織であるという以上は、やはり憲法の趣旨をより以上徹して、文民というものは武力組織の中に職業上の地位を占めておらない者というふうに解するほうが、これは憲法の趣旨に一そう適合するんじゃないかという考えが当然出てまいります。
結論的に申しまして、いままでくどくどと申し上げましたが、文民の解釈についてのいままでの考え方というものは、これは憲法が制定されました当時からの諸種の状況で了解されると思いますが、これにはいわれがなかったわけではないと思いますけれども、平和に徹すると総理がよくおっしゃいますそういう精神は日本国憲法の精神そのものでございますが、そのことから考えました場合に、自衛官はやはり制服のままで国務大臣になるというのは、これは憲法の精神から言うと好ましくないんではないか。
さらに徹して言えば、自衛官は文民にあらずと解すべきだというふうに考えるわけでございます。
この点は、実は法制局の見解として、佐藤内閣になってからでございますが、その検討をいたしまして、防衛庁その他とも十分の打ち合わせを遂げまして、そういう解釈に徹すべきであろうというのがただいまの私どもの結論でございます。
石橋委員 この条項一つとってみても、現行憲法というものが一切の軍備というものを否定しておるということが明らかなんですよ。
だから、法制局長官がおっしゃるような解釈しか出てこないわけなんです。
ただ、いまの解釈によりますと、従来の法制局の見解よりも一歩前進しておりますね。この点変わっております。
というのは、この文民条項によって排除されるものは軍国的色彩の強い旧職業軍人に限る、いままでの法制局の見解はここでとどまっておった。
ところが、いまの高辻さんの答弁によりますと、やはり憲法の精神から言って、自衛官がそのままで防衛庁長官になる、国務大臣になるということは、これは排除されるべきだ、こういう一歩進んだ見解を述べておられますので、これはやはり総理大臣の追認が必要だと思います。どうぞお願いします。
佐藤内閣総理大臣 私も、法制局長官のただいま答弁したとおりだと、かように考えております。
憲法解釈の変更は、この一点だけだというのは「内閣法制局」の解釈であるが、この時は内閣法制局長官が答弁し、総理がそれを追認するという形で行われた。
ただし、憲法解釈はこれしかないというのは、内閣法制局の主張であるということには気を付けなければならない。
(2014年4月2日「ごまめの歯ぎしり」より転載)