これまでまったく表に出て来ることのなかった「都市研(としけん)」の続きです。
第1回有識者会議の3月から第2回の7月までの4ヶ月間にJSCと9回も打ち合わせしていた!
ザハさんですら、全然直接対話がなかった!とのヒヤリングもあるようですから、新国立競技場の施設計画についてそこまで打ち合わせしてた組織はいません。
いわばJSCや文科省の施設計画におけるご意見番というか懐刀として動いていたようなわけですが、
戦国時代でいえば、武将の陰に隠れて様々な作戦を具申する、そんなイメージが浮かんでくるポジションですよね。
武田信玄にとっての山本勘助、
徳川家康における本田正信、
三好長慶における松永久秀、
といった方々のイメージが去来するわけですが、、、
ありました。
第一回有識者会議の時点で既にここまでの計画をあらかじめ立てていたようです。
これをしょっぱなから会議で配布したみたいです。
注目すべきは断面計画
はなっから70メートル!敷地全体に広がる規模!
誰の指示か、それとも都市研からの提案か、
そこのところは不明なのですが、コンペにするんだかどうだかも決まっていない時点でこのポンチ絵が各委員の新国立競技場の規模の感覚を狂わせ、かつ拘束してしまいました。
これを第一回有識者会議でサラっとなにげなく通してしまっているために、コンペをどうするか?においても延々この根っ子の部分が顧みられることがなかったというわけです。
じゃあ、都市研さんは最初の種だけ撒いて、お役御免だったのかというと、どうやらそうではない。
コンペの審査にも関わっておられる。
これは!
新国立競技場計画の入り口にも出口にも都市研が見張っておる!
「前門の虎、後門の狼」ならぬ
「前門のとしけん、後門にもとしけん」
です。
(2015年9月30日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)