新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について (5)

新国立競技場の建設コンペををめぐる議論について、なのですが事態は最悪の方向に進んでいますね。

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新国立競技場の建設コンペををめぐる議論について、なのですが

事態は最悪の方向に進んでいますね。

「新国立競技場」暗礁、改築費巡り国・都が対立

五輪 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

森喜朗元首相が25日、「とんでもない話。見積もりより高くなるなら、設計屋をやめさせてもいい」

(毎日新聞)

新国立競技場「工費が膨大」...デザインは生かす :

五輪 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ザハの新国立競技場案について、

総工費の試算が3000億円に達するとして、

周辺施設を中心に規模を縮小する方針を明らかにした。

そうなんですが、そんなこと絶対不可能。

ザハが言うことを聞くわけがない!

ところが、、なんです。

設計者のザハ・ハディドは設計変更に意欲的に取り組むことを表明した。

ワシントンポスト記事(10月24日付)。

Japan scaling down planned main stadium...

http://t.co/ktnQnhIMq1(リンク切れ)

ええーっ!ザハが変更を了承?!

ザハなのに!ザハが予算に合わせて変更する?

森喜朗の言うこと聞く?

槇さんの指摘を守る?

ないない、絶対ないですよ。

それじゃザハじゃないじゃん!ザハは暴れる、泣く、怒る、じゃん。

生まれつきの女王様じゃんか!

ザハはいつだって妥協しないんだよ。

だから「脱構築」なんじゃん!森喜朗の言うこと聞いて建てる方向にいったら

「脱構築」じゃないじゃん、、、、それじゃ本当に「イカ構築」じゃん。

そんなのザハじゃねえよ。ザハはさあ、、

三振かホームランだろうがよ、、外野フェンスのない球場で。

ダメだよ、、当てにいったら、、、篠塚じゃないんだから、、田代だろう。

設計変更させられるなら、ヤラナイ!って言い出すと思ったがなあ。

今回、ザハが暴れきることで、オリンピックに向けて日本がどのように対応するのか、今回のオープン国際コンペ?募集から審査過程から決定過程まで、

そして、審査員はじめ選んだ連中に本当にザハの建築をヤル覚悟があるのか。

はたまた、日本のゼネコンがどこまで真剣に考えているのか。

一般大衆向けに公共建築選定建設のプロセスがワイドショーネタになって、

初めて、というか、日本国民が建築物や街並みや環境や公共投資の本質的意味や、建築家とか建築作品とかいったものの価値基準や、建築業界の裏側や、

いろんなことが、密室から表ざたになって、

ネタとしてみんなの話題になるんじゃんか。

ザハよ。妥協するな!

己のデザインでは工事費3000億でも足りないくらい俺たち国民にぶちかませ!

日本国民全員に己の建築の100年単位での社会的価値を説いてみせよ!

俺らをぐうの音も出ないくらい己のデザイン力のみで説得仕切る本気を出せ!

そうしてくれれば、初めて全力で拒否れるんだよ!

ザハ、、本当に、、イカ娘になってしまったのかも、、、

ザハが変更を了承してでも建てたいとぬかしたみたいで本当に悲しくなりました。

プリツッカー賞取ったんだからもう思い残すことないくらいに行っちまえザハさん

前回、国立競技場の設計者のことがまったく語られない不思議を説きましたが、

一方、今回の新国立競技場コンペ騒ぎで、

誰も、審査員でさへもザハの良さとは何か、、を説明しないんですよね。

今回、私がもっとも怒っていることの一つに、誰もきちんとザハをほめない。

特に選んだやつらが。

「未来に向かう新しい競技場、、」とか通りいっぺんのことしか言わない。

誰が設計したって「未来に向かう新しい競技場」に決まってんじゃんか。

それじゃ、ザハに失礼極まりなし。

磯崎新さん!ザハを褒めてあげてくださいよ、で説明してあげて!みんなに。

じゃあないとなぜこの案なのかまったくわからないまま選ばれて、

まったく理解できないまま予算が削られて、

もしかしたらザハであってザハでないもの、曲面や曲線のポリゴン数が減ったもの、かの上海万博日本館のようなものができちまいますよ。

そこまでの覚悟もなく国民の金で3000億も使わせねえ。

選んだやつらにも作るやつらにも本当にバチがあたりますよ。

ということで私なりにザハとは何か、脱構築とはなにか、何がいいのか、

そこらあたりを書いてみたいと思います。

脱構築といわれてもなんのことやですよね。

構築ってつくりあげることだから、そこから脱するって作り上げないこと?

でもそれなら非構築とか反構築とかって言いそうだし、、

この「脱構築」というのは、哲学用語です。

つい最近の現代思想で一時期もっともカッコいいんじゃないか、、とブーム

にもなった、フランスのジャック・デリダという思想家が言い出しました。

思想的にどこまですごかったかは、なかなか推し量りがたいのですが、

ネーミングセンスというかコピーライティングの才能は凄い人ですよね。

まず、本人のお名前がすごいですもん。

ジャックときてデ・リ・ダ、ですから。

かっこいい名前要素のJ音にD音とR音がはいっていますよね。

同時代のミッシェル・フーコーには、ないですもんD音やG音やJ音が

この哲学的説明はちょっと後回しにして、まずふつうの構築。

建築の構築、建築の根本的な部分いっときましょう。

案外、これ大学の建築学科の授業でもまったく抜け落ちているんです。

だから、課題で下手するとふつうの構築の前に「脱構築」とかの本読んじゃう

生徒もいます。危険だからまず構築から入ろう。

さらに実務レベルになるとやれ許認可がどうだ、カタログがどうだ、工期がどうだ

で設計事務所の所長さんも話すヒマなしだしなので誰もこんな話しません。

ざっくりいきますが

建築っていうのはそのもともと始まりはやはり、裸のサルである人間にとっての

シェルターであるわけですよ。

寒さ暑さ雨露をしのぎたい、雨に濡れるのが体温も奪われ一番危険ですから。

ですから、

建築というのはまず「中に入れるようになっている空間」を生み出すモノです。

そういった意味では横穴式の洞窟は厳密には建築ではないでしょうね。

偶然生み出された自然の造形に住んでいる状況ですから巣に近いでしょう。

(自力で崖を掘り進んだ場合には、建築的な効果も生まれてきますが、、)

そのために、覆いをつくります。

その覆いは雨がかからないようにしたい、だからどうしても傾斜させたくなる。

で、その屋根の下に出来た空間がひとまずの建築です。

これは以前ご紹介した「始原の小屋」として象徴的に描かれています。

日本でも竪穴式住居といわれるものもそうですね。

そして、次に床を地面から浮かせたくなる。

虫が来るから、雨水が流れ込むから、湿気るから、です。

ということで建築の基本形が出来上がります。

これで何千年かやってきました。

雨に濡れないようにした後は、それぞれの風土次第です。

風が吹き込まないようにとかは寒い国ではそうでしょうけど

暑い国では重要なテーマではない、もっと風を入れたい。

我が国などは、建築計画において非常にキツイ環境下でありまして

夏は熱帯と同様の高温多湿、冬は亜寒帯なみの極寒豪雪

その間は延々と長雨、台風といったように不安定、

それが季節感でもありますが、

で、ここ100年でこうなった。やっとこさ、こうなれた。

防水技術と治水の技術によって初めてなりたっているんです。

モダニズム以降の建築物は。

正直、日本の国の通津浦々までこうなったのは、

たかだか40年くらいなんじゃないですかね。

で、こうしてできた構築物の前提の上に建築のデザインがあるわけです。

正味の話

まあ、これがざっくり建築の肝です。

こっから、建築家の人たちが語る建築の話します。

ちょっとイカレて聞こえるかもしれませんが、

普通の人が語る建築の話と建築家の人が語る建築の話は、

案外どころかけっこう違うんですよ。

つづきます。

あっ、あとこの新国立競技場の応募要項も入手しましたので、

そこからもいろいろ読めてきました。

(2013年10月28日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

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