以下のような記事がありました。
スポーツグラフィック誌 Number Webです。
新国立競技場の迷走はチャンスだ!「聖地」に相応しい設備と思想を。
松原孝臣 = 文
一部抜粋いたしますが、ぜひこの松原記者の勇気あるご意見を全文お読みください。
この新国立競技場計画について問題点を指摘したり取材したり報道したり、についてはこれまで様々なメディア関係の皆さんとお話し合いしてきました。
しかし!やはり!国家的プロジェクトに物申すには勇気がいる。
皆さん、これまで実直に真面目に職務をまっとうしてきた人達ばかり、であればこそ、なおさら今回の計画のいい加減さ、杜撰さ、泥縄、間違いに早くから気がついている。
ところが、優秀な人間であればあるほど、どうしても社内でも、組織でも一歩も二歩も早い。
つまりは、周りがいまだについてきていない。
そういった段階で意見するのは、なかば博打。
一か八か、報道に踏み切るには勇気が必要なんです。
ましてや、人の意見をコピペして、匿名の元に隠れてネットで茶化したり揶揄したりするのとは違う、記名アリ、意見者は特定。
己のスタンスの明示。
しかしながら、
そういった葛藤を経て出された己の意見は撃つ!多くの人々を。
松原孝臣さんの入魂の記事です。
引用ここから
しかし、新国立競技場のもともとの計画案は、「新たなスポーツの聖地」になるためには微妙なところがあった。
オリンピック後の運営において、音楽コンサートなどのイベント活用も重視されてきたのだ。開閉できる屋根はそのために重要だったし、音響などの設備も、スポーツ以外の利用に配慮したプランになっていた。
確かに、集客力のあるスポーツの大会は決して多くないし、多角的な運用ができるのはのちのちの運営にメリットがあるだろう。
一方で、例えば陸上大会を開くにはサブトラックが必須だが、その設置は計画に含まれていなかった。オリンピックの際は仮設トラックを設置する予定だが、それではオリンピック後は陸上大会に使用することができない。新たな聖地として長期間位置づけられるスタジアムとしては、不足している点が多かったのだ。
本当に知恵を出し切ったのか、やり尽したのか。
そして現在、計画は再び変更を余儀なくされた。これを逆にチャンスと捉え、新国立競技場を新たなスポーツの聖地にするには何が大切なのか、あらためて考え、新たな計画へ向けて訴える機会でもある。
現状はスケジュール最優先で妥協を図り、後退を続けているように見える。取り壊された国立競技場をはじめ、周囲に位置する代々木体育館の存在は、今日までスポーツ界にとって大きな意味を持ってきたはずだ。オリンピックの先を見据えたとき、つまり未来を考えたとき、どのようなスタジアムが必要なのか、そうした視点が失われている気がしてならない。
抜粋ここまで
ついに!スポーツ界から真っ当な正しいご意見が出た!といってもいいでしょう。
テーマは「新たなスポーツの聖地」です。
「聖地」とは何か
元々は、宗教用語ですね。The Holy Land
宗教の重要拠点、総本山、創始者にまつわる聖なる地を指します。
それが転じて、特定の文化や事業における重要な場所を表現する言葉になりました。
たとえば、高校野球の聖地、オタクの聖地、ラグビーの聖地、俳句の聖地、等々。
はじまりの場所、大事な場所という意味です。
この国立競技場が立地する場所の歴史は以前やりましたよね。
東京の森①聖地だからこそ緑の空間が残った
東京の森②神宮の森は献木でできている
東京の森③聖徳記念絵画館とは
東京の森④競技場の話
東京の森⑤表参道のケヤキと建築
東京の森⑥日本の都市が空襲された理由
東京の森⑦だからこそ主張し続けよう
東京の森⑧みんなの森
松原さんは記事の中で、「~現状はスケジュール最優先で妥協を図り、後退を続けているよう~」とおしゃっていますが、違います。
現状はスケジュール優先で妥協しているのではなく、これまでの新国立競技場計画が、妄想計画であることをJSCはじめ文部科学省や有識者会議含め関係者が、とうにそのことに気付いていたくせに、認めず、隠し、ごまかし続けたため、内閣から舛添知事からも怒られただけなのです。
しかし、そのことで1年は無駄にした。
ならその1年を取り戻せばいいんです。
なぜなら、もっとも進行に支障をきたしているのが計画案自身なのだから。
捨てれば早くなる。妄想を
正気に戻る。
では!
十分時間的に余裕のある計画にしていくためにはどうすればいいのか!
俺はただの反対屋じゃないよ。
まず、現時点を再確認しましょう。
今、敷地は上部構造が取り去られた状態
元の国立競技場はもうない。
国立競技場ちゃんは死んだ。
設計図はない
みんなの心配はある。
ここからスタートです。
今あるものは、解体中の敷地だけです。
この上からの敷地状況を見ますと、べたっと広がる敷地に赤土が露出しているだけ、そう見えますよね。
しかしながら、現地を歩いてみるとわかるのですが、結構起伏があるんです。
ちょうどゆるゆると坂道になっている。
その段差はといいますと
10m弱ありますね。
3階建てくらいの段差が。
建築計画には基本がありまして、なるべく敷地条件を活かす。
ということです。
今でこそ工事重機の発達でなんでもかんでもバリバリ進められるように見えますが、手仕事時代と同様です。
敷地条件に無理をして手をつけないことです。
つまりは、
今後、工事を迅速に進めていくとしたら、この敷地の段差を活かせ、ということになる。
この段差を活かした計画がかつて存在していたのです。
東京の森④競技場の話
で紹介しましたよね。
初代の国立競技場です。
敷地を掘りぬいて造られた競技場です。
これがまず合理的な計画のベースになるんではないでしょうか
つまり、初代国立競技場、国立競技場1964、そして建設不可能となった幻の妄想建築・新国立競技場に続き
再度、初代が帰ってくる。
帰ってきた国立競技場、真・国立競技場です。
この考え方をベースに据えるといろいろとメリットが出そうなんです。
メリットだけじゃない。
死んじまった国立競技場ちゃんでしたが、
初代が、新しいかたちで復元される。
再生、リインカーネーション
これぞ聖地にふさわしい建築なんではないでしょうか
蘇る国立競技場、真・国立競技場です。
今のグダグダを打破するひとつの可能性として、次回から具体的な検討に入ってみたいと思います。
まず、敷地を削ってみます。
下部スタンドになる部分
なんか!
いいぞ、これ
8につづく
(2015年5月24日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)