ブリグジット(Brexit)とは英国がEUを離脱することの造語です。
EUは欧州連合を指します。
欧州連合は欧州28か国が参加する、経済と政治面でのパートナーシップです。
6月23日(木曜日)に英国は国民投票(レファレンダム)を実施し、英国がEUに残留すべきか、それとも離脱すべきかを直接、国民に問います。
最低投票率の足切りはありません。
また単純に「YES」と「NO」の票を足し上げ、多い方が「勝ち」になります。
このことは、いま仮に6月23日の投票日にイギリス全国民のうち3人しか投票しなかったと仮定し、そのうち2人が離脱を希望したとすれば、他の大部分の英国民が投票所に赴かなかったにもかかわらず、その2人の意向を反映して、英国はEUを離脱しなければならないということを意味します。
なぜこのような細かいことをクダクダ議論するかと言えば、アンケート調査ではEU離脱派とEU残留派は50:50ですが、高齢者には離脱派が多く、若者には残留派が多いということがあるからです。
普通、若者は投票所に行きません。
だから若者が怠けて投票しなければ、離脱が決まってしまうというシナリオも、ありうるのです。
もし英国がEUを離脱すると英国のGDP成長率は0.2パーセンテージ・ポイントほど低くなると試算する向きがあります。
なぜ成長が鈍化するか? といえば、離脱がもたらす混乱や、不確実性の増加、大陸市場へのアクセスがこれまで通り確保できなくなるのでは? という不安などが指摘されています。
ちなみにEU経済圏は11.8兆ドルの規模があり、NAFTA(北米自由貿易協定)やASEANをおさえて、最も規模が大きい自由経済圏を形成しています。しかも域内貿易比率は60%と極めて高く、このマーケットからはじき出されてしまうリスクがあるのです。
もともと欧州連合は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)という生産調整のためのカルテルでした。
なぜ石炭や鉄鋼の生産枠の割り当てを決める団体が、欧州連合にまで発展したのか?
それをきちんと理解しないと、EUというものがわからないし、ひいてはなぜ英国が今、そこから離脱することを検討しているのか? ということもわからなくなってしまいます。
そこでこの部分は、ちょっと言葉を尽くして説明します。
20世紀に入って、ヨーロッパは2度の大戦を経験しています。第一次世界大戦と第二次世界大戦です。
わずか半世紀足らずの間に、2回もヨーロッパ全体がグチャグチャになるような激しい戦争が起きたことで、欧州のひとたちは(なぜ、こんなことになってしまったのだろう?)ということを必死に考えました。
そのひとつの理由は、石炭や鉄鋼の生産能力が、地理的にドイツに集中していたためです。
もともとドイツは欧州大陸のほぼ真ん中に位置していました。しかしドイツは国家の統一が取れておらず、諸侯が割拠していたわけです。
つまりヨーロッパのコアの部分は、脆弱だったということです。ハッキリ言って文化的に見てもその地域はフランスなどの後塵を拝していたと思います。
しかしビスマルクが念願のドイツ統一を成し遂げます。つまり今までは細分化されていたヨーロッパの弱いコアは、一転して強大な国になったのです。しかも産業革命を駆動する石炭や鉄鋼という「新しい資源」をドイツはふんだんに持っていたので、急に「持てる国」の仲間入りをしたのです。
しかし当時の世界は植民地を中心に列強が経済圏を形成していました。英国はインドや香港に展開していたし、オランダ、スペイン、フランス、ベルギーなどのドイツの周辺国は、すでに皆、植民地を持っていて、遅れて来たドイツはそれらの市場からシャットアウトされてしまったわけです。
ドイツの生産力は常にその未発達な国内消費市場に比べてオーバー・キャパシティ(過大設備)であり、「外へ、外へ!」という、市場を求めて侵略的なバイアスがかかりやすい構図になっていたというわけです。
第二次世界大戦終結時、欧州や米国の識者は、ドイツの持つ、このような宿命を良く理解していました。
そこで命題としては:
1.ドイツを復興させるのか?
2.それともそのような危ない傾向を持つドイツが二度と力を持たないようにするのか?
という全く対立する二つの選択肢が登場したのです。
当時の人々は反射的に(もう戦争は懲り懲りだ。ドイツは二回も戦争を仕掛けたのだから警戒するに越したことはない)という意見の方が強かったと思います。
しかしそこへ新しい条件が加わったのです。
それはソ連が欧州での勢力伸長を、虎視眈々と狙い始めたということです。つまり「赤」、言い直せば共産主義の脅威がむくむくと頭をもたげてきたということです。
もし欧州が荒んだ状態のままであれば、人々の心も荒み、それは共産化を招く……そう考えたアメリカは、一転して大急ぎでドイツを復興させる方策に出ます。それがマーシャル・プランです。
これに基づきアメリカは欧州にお金をどんどん貸し、欧州、とりわけドイツを急ピッチに復興させました。
下は生産力の回復を示したグラフです。
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当時のドイツは全てが灰燼に帰していたので、労働力は廉価でした。
マーシャル・プランの目論み通り、ドイツの輸出はガンガン増えました。
その結果、ドイツの経済成長は他の欧州各国を上回りました。
つまり「赤の脅威」に対する防波堤として、ドイツは力強く復興したのです。
ただしその条件として軍隊はドイツ軍ではなくNATO軍、つまり北大西洋条約機構という軍事協定により、ドイツが勝手に軍隊を動かせないように手枷足枷が加えられました。
同様に、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)は、ドイツが経済的に勝手なコトをしないようにという手枷足枷だったのです。
英国は島国ということもあり、ドイツ復興の軍事的、経済的インパクトは、比較的、受けない立場にありました。従って経済協定にも常に一定の距離を置いてきました。
欧州石炭鉄鋼共同体は、当初の経済協定から、次第に地域経済、政治パートナーシップに発展してゆきます。
特に1990年代初頭からは「シングル・マーケット」、すなわち人、モノ、カネの動きを、あたかも「国内取引」のように自由化するという措置が取られます。言い換えれば、関税が無くなる、通関をしなくて良くなる、入国審査が無くなるということです。
その後、EU19か国は共通通貨ユーロ(€)を使用しはじめますが、英国は途中で脱落してしまい、現在でもポンドを使用しています。
1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、そもそもマーシャル・プランなどが作られた原因であるソ連の脅威が存在しなくなりました。
その後、東西ドイツは統一し、欧州のリーダーシップはだんだんドイツに移っています。
英国としてはEUから色んなルールを押し付けられるのは面白くないし、88億ポンドのメンバー・フィーの負担に比べて、見返りが小さすぎるという不満もあります。さらに国境のコントロールや不法入国の取り締まりがやりにくいということもあります。
なによりも、このまま統合がどんどん進むと、いずれ「欧州合衆国」になってしまうことが英国としてはイヤなのです。
英国はロンドンの金融街、シティを欧州全体の金融センターにすることで「金融立国」の道を歩んできました。
英国の金融サービスは国際競争力が強いです。
英国の金融サービス業は、世界の機関投資家や大企業を相手にした、いわゆるホールセールの分野に強く、高給で人材を惹きつける必要があります。
リーマンショック以降、EUはロンドンの金融街に対しても、いろいろ制約を付けてきており、シティ・オブ・ロンドンでは「このままではニューヨークなどの世界の他の金融センターに人材が流失する」という危機感を持っています。
その一方でEU残留派の意見も無視できません。まずコモン・マーケットに加盟していれば、輸出がしやすいですし、欧州大陸市場へのアクセスは保証されています。
また欧州大陸から英国に流入する移民は、若く、労働意欲が高いです。従って英国企業はそれを歓迎する傾向があります。
もし英国が門戸を閉じてしまうと、英国国内の小さなマーケットを相手に商売しないといけなくなるので、大企業は極めてピリピリしています。最悪の場合、高齢化が進み、日本のようになるという危機感があります。
英国はEU内の学生のあこがれの留学先であり、「知」の面でリードしてきました。EUパスポートがあれば、ケンブリッジ、オックスフォード、LSE、インペリアル・カレッジなどで学んだ後、そのままロンドンで就職するというパターンも全くフリクション・レスでオッケーです。
しかし今後は、そういうわけにも行かなくなるかもしれません。つまり「知」の面でのリードも、脅かされかねないのです。
ロンドンの投資銀行家に払うボーナスにEUがいろいろイチャモン付ける……云々というのは、リーマンショックやギリシャ危機後の、いわば一過性の現象だと思います。
むしろ重要なのは、シティ・オブ・ロンドンが、未来永劫に渡って、欧州で最高の人材の供給を受け続けることが出来るか? ということです。
それが出来なくなれば、幾ら目先のボーナスの設定を英国が自由に行えるようになったとしても、ロンドンはニューヨークに人材を持って行かれる気がします。
(2016年3月13日「Market Hack」より転載)