先日の8月27日、イギリス南東部の町ハーロウで、ポーランド系移民2人が現地人6人の少年から暴行を受け、うち一人が殺害され、一人は腹部などを強く負傷し重傷となった(1)。
このニュースを聞いて驚くのは、加害者である少年が15歳から16歳といった非常に若い年齢であるということだけでなく、彼らがすでに非常に人種主義的であるという事実である。
確かに、このような人種主義に根差した暴力事件に関するニュースは枚挙にいとまがないが、私にとってこの問題は非常に身近な事柄である。というのも、ヨーロッパ最大の先進国の一つであるドイツにおいて、このような問題は日増しに現実味を帯びてくるからである。
それもそのはず、現在、国民の5人に1人が「移民」の背景を持つとされるドイツにおいて、移民に対する暴行殺人事件は全く他人ごとではない。
1. シリア・イラク系難民
特に最近では、シリア・イラク系難民らがドイツのどの町にも溢れかえっている。われわれ外国人がビザを取得するために訪れるAusländerbehördeと呼ばれる市の外国人局には、彼らを含めた移住希望者が滞在許可の申請を行なうために行列を作っている。
彼らが現れるのは、外国人局だけではない。外を歩いているとすれ違うだけでなく、食料品店やスーパー、デパートや家電量販店、商店街、カフェ、レストラン、街の広場、公園、レジャー施設など、現在ドイツで生活するには、街の至る所で彼らと接触しないわけにはいかないのである。
私が川岸のベンチで腰かけていた時に、難民として入国したと思われるシリア系男性が、中古と思われる自転車を引きながら、嬉しそうにフルーツが入った袋をもって、スーパーのレシートに加え滞在許可書まで私に見せてくれたことが思い起こされる。おそらく、現在ドイツで外国人がこういう経験をするのは特に珍しくない。
問題は、彼らがドイツ語も英語もまともに使うことができないという点にある。中には、ドイツ語を既にある程度修得している者もいるが、彼らの多くはアラビア語あるいはクルド語しか話せないか、強いアクセントの付いた片言の英語でコミュニケーションを取ろうとする。「難民」という深刻な政治的背景を抱えかつコミュニケーションもまともに取れないとなると、彼らを理解するのはより一層困難である。
しかし、より一層深刻なのは、彼らの宗教的バックグラウンドである。われわれのようなイスラムの外部の人間にとって、これを理解するのはそう簡単ではない。疑いなく、この事実が彼らを社会に溶け込ませるという課題をより困難にしている。
さらに問題なのは、彼らの中には、精神的な問題を抱えている者も多いということである。彼らの多くは、家族を現地に残してきており、離れ離れに生活しているという(これに関して、現段階では確たるデータはないが、どの町でもこちらで見かけるシリア・イラク系難民は成人男性がほとんどである)。このことから、精神的に不安定になり、うつ病になるものも存在するという。政治的難民であるという事実に加え、言葉や人種の他に宗教的な相違点を抱え、なお且つ精神的問題も抱えているとなると、事態はより一層深刻である。
けれども、西側の代表国であるドイツは、すでにこれと似たような問題を抱えてきたということを忘れてはならない。この意味で、確かにこの国は、ある程度それに対する免疫力があるといってよい。それは、ドイツにおけるトルコ系移民の存在である。
2. ドイツにおけるトルコ系移民
1950年代に高度成長を迎えた旧西ドイツは、労働力不足解消の手を外国人労働力に求めた(2)。1950年代半ばからイタリア、スペインなどの西ヨーロッパ諸国に加え、ギリシャ、ユーゴスラビアなどのヨーロッパ諸国とも「外国人労働者募集協定」を結ぶことになった。労働力の救いの手は、トルコにも求められることになる。これにより、多くのトルコ人が働き口を求めドイツに入国することになった。
現在では、主にトルコ系移民が経営する「ケバブ料理店」(われわれ日本人がよく知る「パンに肉と野菜が詰められた料理」である代表的ケバブ料理は、ドイツ語でDönerと呼ばれ、これを売るのは主に彼らの専売である)は、ドイツではどこでも街の至るところに存在する。私もここをよく利用する一人であるが、実際に彼らとある程度関わりを持つとよくわかるのだが、彼らのほとんどは自国の文化をドイツに持ち込んで、それに対して特に何の疑問も持たず、まるで自国にいる感覚で生活しているという印象を強く与える。
ここでこれを特に批判しているわけではないのだが、問題は、彼らの人種的・宗教的背景にある。
英少年らによるポーランド系移民殺害事件に関して、彼らの見た目には、現地人と大きな違いはなく、その点でハンディキャップを負うことは少ないといってよい。われわれ東洋人から見れば、まさにステレオタイプの西洋人であることに全く変わりはない(スラブ系という点を考慮してもである)。言語に対するハンディキャップはあるものの、宗教的バックグラウンドや生活様式などに関して彼らの間にそれほど大きな違いはない。
けれども、トルコ系に関していえば、この点はかなり異なると思って間違いない。浅黒い肌に男性は髭を立派に蓄えたものや女性にはブルカを付ける者もいる。彼らは、男性優位の社会規範を基に、常に家族と生活を共にする。すなわち、この点で、外見だけでなくイスラムという宗教的背景も彼らに対する特別な印象を抱く大きな存在である。彼らの中には宗教的に非常に厳格なものも多数おり、ヨーロッパ系住民が推測できる範囲を超えたタブーも多く存在する。
すなわち、「違い」という点に関していえば、人種・言語・宗教・生活様式など、非常に様々な点で、一般的とされるゲルマン系のドイツ人住民とトルコ系移民との間には目に見える相違点が存在する。問題は、アングロ・サクソン系あるいはゲルマン系とスラブ東欧系との間でさえ、著しい違いを意識する者が少なくないのにもかかわらず、前者とトルコ系およびアラビア系との間の違いとなれば、事態はより鮮明化し深刻化する(あるいはすでにしている)のではないかということである。
3. 二種類のスティグマ―トルコ人と極右ドイツ人
以上のような背景を持つトルコ系住民が、ドイツでどのような扱いを受けているのかを知るのは難しいことではない。実際、彼らのほとんどは、自国の文化に関係する料理店で働くか、あるいは基礎教育終了後Hauptschuleと呼ばれる職業人養成専門学校を経て職人になるかという二つの道のうち一つを迫られる―なお、彼らの中には、ドイツ国籍を持たず、まともに働いていない人間も多く存在する(3)。
彼らの多くは、社会の底辺を支えつつ、イスラムという宗教的背景を持った「トルコ人」という社会的レッテルを貼られ、何世代にもわたってそのスティグマを抱えながら生きて行かねばならない(この感情は、世代を経るほどより強くなると考えてよい)。
現状では、彼らにおいて、余程のことがない限り、アビトゥアと呼ばれる高校卒業資格を取得し大学へ入学して、その後学位を習得し、さらにドイツ社会のキャリアを駆け上がっていくということは難しい。というのも、この社会では、未だ彼らに対する社会的理解が十分ではないのである。この点では、彼らに対するスティグマが彼らの社会的地位向上を阻んでいるといってよい。
特に指摘するまでもなく、学校生活や社会生活において、トルコ人に対する陰湿ないじめやいやがらせも多く存在する。それ以外にも、彼らに対する社会的排斥の動きは後を絶たない。例えば、1992年に発生したメルンおよび1993年ゾーリンゲンでの極右によるトルコ系住民放火殺人事件。2000年から7年間に渡って「国家社会主義地下組織(NSU)」というネオナチ団体がトルコ系移民ら10人を殺害した凶悪事件。昨年2015年のトレグリッツでの難民入居施設放火殺傷事件。
これらの事件は、すべてドイツにおけるトルコ系住民らに対する嫌悪感(Ausländerfeindlichkeit)が社会に顕在化したものである。この点で、これらを単に特別な極右集団による反社会的行為と見做してしまうのは正しくない。
それらは、間違いなく彼らに対するスティグマに深く起因する事件である。すなわち、彼らは単に社会的嫌悪の対象となっているだけでなく、社会的フラストレーションのはけ口(スケープゴート)になっているということである。これによって、彼らは心に深い傷を負うことになる。
上のような視点から見れば、このような社会的差別行為に起因する「心の傷」が形になって表れたものが無差別殺人あるいはテロリズムであると考える事もできる。
例えば、ミュンヘンで今年7月に起こったイラン系ドイツ人少年による銃乱射無差別殺傷事件は記憶に新しい。独FAZ紙の調査報告によれば、犯人である移民二世の18歳の少年は、アーリア系優生思想を信奉し、主にトルコ系住民を狙ったとされており、いじめられた経験を持つという。興味深いのは、彼が移民二世の非常に若い少年であったにもかかわらず、すでに非常に人種主義的な極右思想を信奉していたということであろう。何という皮肉であろうか。
けれども、スティグマに関する問題の本質は、ドイツ系住民側にも間違いなく存在する。上に見たように、真っ当な社会的レールから完全に滑り落ちた人間たちの行く末が極右政治運動と考えられるならば、それは、社会から落第の烙印を押されたことに起因する彼らの自己愛の傷つきが憤りとなって、社会に暴力として表れてきたと考えることは十分可能である。この点では、彼らの置かれた変えようのない無慈悲な社会的立ち位置こそが問題なのである。
このような背景を基に考えてみれば、なぜ彼らが人生の早い段階でひどく人種主義的になり、移民・外国人排斥運動や暴力行為に走るのかを良く理解できるであろう。すなわち、彼らにおいては、自分たちの存在価値を上のような「差別」や「暴力」という形においてのみ表現することが許される。彼らのやりようのない彼ら自身に対する悲観的な感情および深い心の傷は、誰にも癒されることなく「狂気」に化ける。重要なことであるが、この点では、それは特に極右に限ったことではない。
要するに、差別行為を行なう彼ら自体が差別の対象なのである。つまり、被害者が加害者となるのである。この点で、間違いなく、それは負の連鎖であるといってよい。必ずしも図式通りにはいかないが、
「極右がトルコ人を攻撃し、トルコ人はドイツ人を攻撃する。なお、攻撃されたドイツ人は、その傷つきからくる憤怒を外国人排斥に向ける」
と単純化することもできるのではないか。このような視点から見れば、シリア・イラク難民らのこの国での立ち位置を予測するのは容易い。
説明するまでもなく、この度の英少年らによる東欧系移民暴行殺人事件は、上に見たドイツの例とその質を同じくしている。それは、彼らがともに若い年齢でありながらも非常に人種主義的であるという事実から明らかである。
なお、このような問題は、われわれ日本人にとっても、非常に身近である。その代表的なものが「在日」の存在である。いうまでもなく、ヘイトスピーチはその尤もたる例である。自己の社会への反省と称して、わが国のこの問題に関して、われわれ日本人が本稿で取り上げている暴行殺人事件を通して上のような視点から考えてみることは、非常に意味のあることではないだろうか。
ドイツにおいて、外国人移民受け入れに起因する問題は、時間を掛けて社会に深く根を下ろしながら実際に形となって表れてきた。文化的に大きく異なる中東世界から100万人規模で大量の難民を受け入れてきたこの国において、間違いなく最重要課題の一つとなる移民政策は今後どのような形を経るのであろうか。
(1) 以下の記事を参照(http://mainichi.jp/articles/20160901/k00/00e/030/247000c)。
(2) 例えば、本件に関して、以下の文献を参照のこと。中谷毅「ドイツにおけるトルコ系移民の統合―ドイツ人のイスラム像との関連で」(『愛知学院大学宗教法制研究所紀要』2010年)。
(3) 同上書を参照のこと。