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いまあなたが自宅で突然死んでしまったとき、誰が心配して様子を見に来てくれるだろうか? そして死後何日で発見してもらえるのだろう? 孤独死で亡くなる人は年間約3万人。2015年のひとり暮らし高齢者は約600万人――もはや孤独死の増加は避けることができない中で、死の社会化を迫られる時代になりつつある。ケアマネジャーとして、研究者として、孤独死を見つめてきた結城康博氏が上梓した『孤独死のリアル』(講談社現代新書)。孤独死のいまについて、お話を伺った。(聞き手・構成/金子昂)
孤独死の増加は避けられない
―― いまどれだけの人が孤独死で亡くなっているのでしょうか?
厚生労働省の研究班でまとめられたものだと、だいたい年間3万人くらいが孤独死で亡くなっているとされています。
孤独死は、全国で統一された定義がありません。だいたいの共通認識としては、まず自宅で亡くなっていること。そして死因は自殺と他殺を除くこと。例えば脳梗塞や心筋梗塞、具合が悪いのに助けが呼べずに餓死してしまったり、お年寄りや心臓に病気のある方がお風呂に使ったまま意識を失って溺死してしまう。そういうケースが多いですね。
亡くなられてから発見されるまでにどれだけの日にちが経ったかも明確には定義されていないんですよね。死後1日で発見されても、1か月後に発見されても孤独死は孤独死とされます。ただし、ターミナルケアとして、介護士や訪問看護師、医師が定期的に訪問している場合は、死期が予測されているので、孤独死とは言いません。
―― 年に3万人という数値は多いとお考えですか?
年間に15万人くらいの方が病気や事故などによって自宅で亡くなっています。つまり自宅で亡くなる方の5人に1人が孤独死なんですよ。自殺者数が年間3万人くらいといわれていますから、孤独死はかなり多いんじゃないんですかね。
今後、超高齢化社会が進むことで、ひとり暮らしのお年寄りはどんどん増えていきます。2015年には、65歳以上のひとり暮らしが600万人くらいになると言われている。平均寿命がのびるということは、ようするにそれだけひとり暮らしをする可能性が高くなる、つまり孤独死の可能性も高まるということなんです。
―― どのくらい増えるのでしょうか?
はっきりとした推計はありませんがUR都市機構のデータによると、同賃貸住宅内では、1999年に200件強あった孤独死が、2009年には700件弱にまで増えているんですね。10年で約3倍です。ここから単純計算すると......。団塊の世代のことを考えたら、もっと増加するかもしれませんね。
おそらくひとり暮らしという家族形態が当たり前になる時代が20、30年後にはやってくるでしょう。孤独死が増加するのは避けることができません。
孤独死に遭遇する可能性
―― 大学教員の前に地方自治体でケアマネジャーなど務められていた結城さんですが、実際に孤独死を発見されたことはあるのでしょうか?
いえ、ぼくはありません。ただ当時の同僚が発見していましたね。相当なトラウマだったみたいでした。自分がしっかりしていれば防げたんじゃないかって。
大学の教員になってからも地方公務員になった教え子が、生活保護を受給している方が亡くなっているのを発見したと言っていました。「先生の言っていた通り蛆虫がわいていました......」とそうとうショックだったようです。
―― 蛆虫ですか......。どういった方が第一発見者になるのでしょう?
第一発見者の多くは、ケアマネジャーや自治会の役員、家族や隣人ですね。
遺体が発見されてからは警察や検死官がやってきて、自殺か他殺か判断します。どちらでもないと考えられた場合は、地元の検死医がやってきて、改めて医学的な判断をします。自然死だった場合、孤独死となるわけですね。
次に家族の方への連絡ですよね。ここで遺体を引き取ってくれる方もいれば、「もう関係がない」といった理由で、遺体を引き取らない方もいます。遺品整理業者や便利屋が部屋の後片付けをするとき、いちばん問題になるのは、強い異臭だと言います。遺体からにじみ出る脂の処理も必要です。場合によっては床をはがしたり、壁も貼り換えたりしなくちゃいけません。
ちなみに、引き取り手のない遺骨ですが、取材したある自治体では、社会福祉協議会が10年間木箱に入れて保管することになっています。
―― こびりついた脂......。
遺体は発見が遅くなれば遅くなるほど、それだけ損傷が激しくなります。
遺体にはまず蛆虫がわきます。次に人間の脂が絨毯や床に染みこんでいく。腐臭もどんどん激しくなっていきますね。お風呂の湯船で亡くなられた場合は、水が茶色くなっていたりします。損傷が激しくなると、例えばお葬式のときに、最後のお別れでお顔をみることはできません。
若い世代も孤独死予備軍
―― 死の生々しさを感じる一方で、孤独死となるとどうしても他人事のように感じてしまいます。
若い人の場合はそうかもしれません。でもそれが自分の両親のことを考えてみてください。30代の方なら、両親はおそらく60過ぎだと思います。すでにどちらかは亡くなられている方だっているかもしれませんね。田舎に残した親をどうやって見守るんでしょう。いよいよとなったときに施設に入りたがらないかもしれない。呼び寄せても、住み慣れた地域を離れるのを嫌がるかもしれない。
自分の親を孤独死させてしまったら。発見が遅れて、損傷の激しい遺体を発見してしまったら、どうして施設に入れなかったのか、電話をしなかったのか、後悔することになるんじゃないですかね。
それに自分自身が孤独死する可能性だってあります。突然死はどの世代にも起こりうることですから。
30代後半の男性はいま35%が結婚していないそうです。おそらくシノドスの読者もひとり暮らしをされている方が多いと思います。友達が少なくても、働いている方なら無断欠勤が続くうちに、会社の人が心配して様子を見に来てくれるかもしれません。ただし発見が遅れるケースもあります。発見が遅れれば遅れるほど、遺体の損傷は激しくなっていきます。
遺品整理屋さんからは30代後半のOLさんの遺体を処理したことがあると聞きました。連休中に亡くなったために、遺体の発見が遅れたんですね。連休明けに何日も会社に来ないことを不審に思い様子を伺ったところ死後10日経っていた。いまはセキュリティやプライバシー対策としてオートロックのマンションが基本ですが、実は孤独死対策に関してはデメリットになっている面もあります。
働いているにしても例えば非正規社員やフリーターだとしたら、わざわざ自宅まで来てくれる人は少ないんじゃないでしょうかね。「またバックれたな」と思われて終わりでしょう。
想像してみてください。いま自分がいきなり死んでしまった場合に、誰かが心配して家に訪れてくれますか? また、だいたいどのくらいで来てくれるでしょうか? 夏場なら2、3日ほどで遺体は腐ります。自分の身体に蛆虫が湧いて、腐っていく様子を想像してみれば、孤独死は無関係な問題ではないと思えるのではないでしょうか。来年には600万人以上になると言われる65歳以上の高齢者だけでなく、20代から40代もまた孤独死予備軍と言えるかもしれません。
一人カラオケもいいけれど......
―― 確かに、毎日連絡をとる友達はあまりいないですし、自分が孤独死していてもおかしくないですね。
団塊の世代や65歳以上の高齢者は、かろうじて地域の交流や社縁が残っているので、亡くなられても比較的早期に発見されるでしょう。でも若い世代は結婚しない人も増えていて、ひとり暮らしも多くなっています。私の学生も、卒業後に誰との関係も絶っている人は多いです。いまの学生さんって、一人カラオケとか一人焼肉とか行っているみたいですけど、人とコミュニケーションをとるのが面倒くさいんでしょうね、結局。人間関係を作るのには努力が必要なので。ぼくは一人カラオケの何が楽しんだろうって思うんですが(笑)。
もちろんツイッターとかfacebookとかLINEとかで連絡を取り合っているのだと思いますが、ネット上での友達が音信不通になったときに訪ねてきてくれるかといったら微妙でしょう。「そういえば連絡とってないな」「最近、更新しないな」で終わりだと思うんですよね。
ぜひ若い人たちには、しばらく連絡がとれなくなってしまったときに家を訪ねてきてくれるような人間関係を作って欲しいです。会社員ならいまは社縁があるかもしれないけれど、40年後に会社を辞めていたら、そうした繋がりだって消えているかもしれません。しかもそのときには、死のリスクだって増えているわけですよね。
公衆衛生の視点で考える孤独死対策
―― 「死んだあとのことなんてどうでもいい」という方も多いと思います。するとどうしても孤独死対策に積極的にはなれないような......?
ええ、「死んだら終わりだ」という考え方の人もいるでしょうね。でも発見が遅れれば遅れるほど遺体の損傷はどんどん激しくなっていきます。すると実は「どうでもいい」とは言えなくなってくるんですね
孤独死対策には福祉的視点と公衆衛生的視点があると思います。孤独死対策の多くは福祉的視点でとられています。つまり苦しんでいる人がいたら助けてあげよう。命を救ってあげようという点に重きが置かれている。それってあまり盛り上がらないんですよ。志のある人しか関わりませんから。
国や自治体の孤独死対策の輪が広がっていかなかったのは福祉的視点ばかりだったからだと私は思っています。孤独死なんて関係ないと思っている人の方が多い。若い人はなおさらです。自分がすぐ死ぬとも思わないし、身近な人の死もなかなか想像できない。
でも公衆衛生的な視点だと話は別です。2、3日以上たってから遺体が発見されたら、これなら孤独死に関心がない人でも、困ってる人に興味がなくても、他人が死んでも構わないと思っている人でも、自分に迷惑がかからないようにするという利己的な考え方で対策がとれる。注目も高くなって、社会も動いていくと思うんですよね。
福祉的な、ヒューマニズムに満ちた対策よりは、冷淡かもしれないけれど、公衆衛生上の問題として孤独死を考えたほうが、もっと身近に考えられるようになるでしょうし、結果的に、救える命も増えていくんじゃないでしょうかね。
死を社会化する
―― お話を伺っていると、結城さんは、孤独死を防ぐことよりも孤独死された遺体をできるだけ早く発見することに重点を置かれているように思います。
もちろん、救える命を救うことは大切です。それでもどうしても孤独死は起きてしまいます。
よりよい人間関係を構築しても最後は一人です。病院にもなかなか入れません。国は在宅介護を推進していますから。それに最期を自宅で迎えたいと考えている人を無理やり施設に入れるわけにもいきません。一人で生きていくことも当然の権利です。だから一人カラオケや一人焼肉をしてはいけないなんてことはない(笑)。
ただし、そういう生活を送るのならば、自分の遺体が2、3日以内に発見されるような関係を構築することが義務だと思います。誰もが社会のなかで生きているんですから「死んだあとのことは知らないよ」は自分勝手です。人知れず自分の死体が腐っていったら、周りに迷惑をかけることになりますから。
命が終わるまでが死だと思いがちですけど、お墓に入るまでが死なんだと思います。昔は遺体を灰にしてお墓にいれるまでを家族や地域がやってくれたからよかったんですけど、そうした関係が希薄になっているいま、死を社会が受け止めなければいけない時代になっている、いわば社会化しなくてはいけないのだと思います。
公的サービスあっての自助・互助
―― いまはどのような対策をとられているのでしょうか?
政府は自助と互助に期待しているようですが、これは低迷していくものだと思っています。
政府のいう自助は、簡単にいえば自己責任ですよね。自分のことは自分でする。先ほどからお話している人間関係の構築はそれにあたるのかもしれません。ただ、自分だけではそれができない人もいます。例えば、認知症患者が300万人もいると言われている中で、認知症の方に「自助してください」「自己責任です」といって片づけるわけにはいかないでしょう。
一方の互助ですが、地域の自治会も孤独死対策として、見回りを行う動きは広まりつつあります。でも、このような見守り活動にはボランティアとしての限界もあるし、自治会の高齢化という問題もあります。
自助や互助というのは、十分な公的サービスを前提に、行うものだと思います。社会保障や福祉といった公的サービスを減らして、「あとは自助・互助で頑張ってね」は対策としてズレている。まずは役所が責任を負う体制を整えること。そのためには職員を増やさないといけないと思いますが、すべて公務員がやるとなるとお金がかかってしまうので、地方自治体や地域の企業もあわせて、孤立している人を見守ることのできるシステムを考えることが重要になってくるでしょう。これが公的サービスの基本だと思います。そこから自助・互助が始まるものだと思いますね。
孤独死対策に消極的な人も射程に入れる
―― いま注目している孤独死対策にはどのようなものがありますか?
最近だと、大阪府寝屋川市のサービスが注目されましたね。ひとり暮らしの方のカギを本人同意のもとに社協が預かって、なにかあったらご自宅に踏み込めるようにする。本書でも紹介しましたが、例え24時間灯りが付きっぱなしだとか、新聞が郵便受けに溜まっているなど不審な点があっても、市役所の職員などが家の中に入るには面倒な手続きが必要なんですね。この取り組みは画期的だと思います。ただし、これはあくまで本人同意のもとのため、もともと気にかけている人にしか見守りの目は行きわたらないという問題もありますね。
あるいはこの本でも紹介しているように、新聞配達やヤクルトと連携したサービスもあります。お弁当の訪問販売もいいですよね。自治体が弁当屋さんに週に一日分だけ弁当代を出して、ひとり暮らしのお年寄りの家に、必ず手渡しで弁当を届けてもらう。地域の経済もまわりますし、お年寄りは食事を作るのも大変ですから助かるでしょう。
しかもこのサービスなら、孤独死対策に積極的でない人にも、しっかりと見守りの目が行くようになっている。孤独死予備軍にあたる人たちは、孤独死対策に消極的なんですよね。やっぱり人間関係をうまく構築できていなかったり歳をとってから引っ越してしまった場合、「助けて」とは言いにくいんですよ。財源の問題だったり、個人情報の問題だったり、いろいろ面倒な問題はたくさんあるんですが、いまアイディアは出てきているんです。
―― 孤独死問題が注目されてきているからなのでしょうか?
そうですね。孤独死の研究を初めて7、8年経っていますが、孤独死の話をして「そんなことがあるんですね!」と驚かれることは減ってきました。65歳以上の孤独死が顕在化してきて、多くの人が孤独死のイメージをもてるようになっている。その分、マスコミはあんまり報道しなくなっているんですけど。
心配なのはいまの若い世代です。一人カラオケもいいんですけど、まず自分一人では生きていけないこと、そして死ねないことを実感して欲しいですね。60、70代になってから対策をとるのでは手遅れです。誰だって孤独死する可能性はあります。歳をとればとるほど、その可能性は高くなっていくでしょう。自分の死をいかに社会の中で組み込んでいくのか、を考えなくてはいけない。そのためにも本書を手に取っていただきたいと思います。
著者/訳者:結城 康博
出版社:講談社( 2014-05-16 )
定価:¥ 821
Amazon価格:¥ 821
新書 ( 224 ページ )
ISBN-10 : 4062882647
ISBN-13 : 9784062882644
社会保障論 / 社会福祉学
淑徳大学総合福祉学部教授。淑徳大学社会福祉学部社会福祉学科卒業。法政大学大学院修士課程修了(経済学修士)。法政大学大学院博士課程修了(政治学博士)。社会福祉士・介護福祉士・ケアマネジャー。地域包括支援センター及び民間居宅介護支援事業所勤務経験をもつ。専門は、社会保障論、社会福祉学。著書に『日本の介護システム-政策決定過程と現場ニーズの分析(岩波書店2011年)』『国民健康保険(岩波ブックレットNo.787)』(岩波書店、2010年)、『介護入門―親の老後にいくらかかるか?』(ちくま新書、2010年)、『介護の値段―老後を生き抜くコスト』(毎日新聞社、2009年)、『介護―現場からの検証』(岩波新書、2008年)など多数。
(2014年6月6日「SYNODOS」より転載)
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