第一次安倍政権の際私は参議院にいましたが、あのとき国民投票法案が上程されました。自民党は憲法改正に関する国民投票法案を出してきましたが、民主党が対案として出したのは、重要な国政問題に関する国民投票も含む、幅広の国民投票法案でした。
なぜこの法案を提出したかと言いますと、いま政党内部が分裂して決められない問題が多く存在しているからです。
TPPなどはその典型で、自民党でも民主党でも、党内に全く反対意見をもつ議員がいます。
原発問題などもそうで、民主党内でも東京電力の労働組合の立場に立つ議員もいて、「二〇三〇年原発ゼロ」とはなかなか決めきれなかったわけです。
このように、政党が意見集約できず決めきれない国政問題は、今後ますます増えていくことになるでしょう。そうなった場合に、最終的に国民が判断する仕組みが必要になってきます。
議員が決めきれず最終的に国民投票を行うとはいえ、国政の場で十分な議論を行わなければなりません。
国会ではアカデミズムの場から専門家――3・11以降、専門家の権威も地に墜ちてしまいましたが――も招き、議論を重ねたうえでA、B、Cの三案くらいを用意します。もちろんこの過程は、国民の皆さんにしっかり見ていただきます。
用意した案については、専門家のみなさんによるわかりやすい解説を用意し、十分な検討機関を設けたうえで国民投票を行うというのが私たちのアイデアでした。
こうした法案を、第一次安倍内閣の時点で私たちは出していたにもかかわらず、そういった議論をすっとばして、先ほど申し上げた意見公聴会のようないい加減なやり方を採用してしまった。
政権与党となって余裕がなくなったことの結果だとは思いますが、これは積み重ねを無視する「御破算主義」そのものです。
ということで、国民投票を行うために、議会が立法するという憲法を改正する必要がある。
これはある意味議会政治の限界を認めることですが、止めようもない直接民主主義への流れに沿った憲法改正は必要だと思っています。
《「市民が主役」の原点へ―民主党"新生"のために》 より抜粋