ラベンダーはがん啓発キャンペーンに象徴される色だ。現在23歳の私にとって、がんに対するイメージは「将来的に自分にも関係してくるのかもしれない」そんな感覚だった。
しかし、2月4日の「世界がんデー」に合わせて開催されたイベント「Lavender Ring Day 2018」で、そのイメージは大きく変わることとなった。
理由は登壇者のひとり、吉川佑人さんの経験を伺ったことだ。吉川さんは現在30歳の会社員。23歳のときに胃がんを宣告され、胃を全摘出した。
告知を受けて「死ぬかも」と思った約7年前、手術、リハビリ、再就職を経て「この経験を社会に活かしていきたい」と思うに至った経緯について話を聞いた。
■主治医の「治る病気ですよ」という一言に励まされた
吉川さんが体に異変を感じ始めたのは、新卒で企業に入社した3ヶ月目。「喉に食べ物がつまるようになって、痛みはなく辛くもないので放っておいていました。だんだん胃が痛くなるようになっても、新卒で環境の変化もあったので、気にしていませんでした」
会社での研修期間を終えて、現場に入るまえに一応検査しておこうと吉川さんは地元の病院へ。CTと胃カメラによる検査をした直後、医者から「大きい病院に行ってください」と言われた。
「胃がん」と告知を受けたのは、その大きな病院でのこと。ステージ2だった。「主治医が冷静に伝えてくれたので、以外とこんな感じなんだと自分も冷静に受け止めていました。」
すぐに親と会社に電話。がんであること、通院が必要なことを伝え、会社は休職することとなった。「さすがに、家に帰って部屋にひとりになったときは『死ぬのかも』と思いました」
主治医から言われた『治る病気ですよ』という一言を思い出し「ダラダラしていても治るものも治らない」と思い、早く手術ができる病院を探して入院した。
「月に3回の胃カメラ検査が辛く、本当にやりたくなかった」という吉川さん。胃の上部にできていたがんは進行が深く、全摘出することとなった。
■うどん1本を100回以上噛んで、満腹
胃の摘出手術のあと、再発を予防するための抗がん剤投与をするかどうか選択を迫られた。「抗がん剤によって仕事も辞めなきゃいけないし、映画やドラマで描かれているようにゲーゲーするのかと思うと悩みました」
それでも抗がん剤を投与することにした理由について、吉川さんは「やった上で再発した場合は、それはしょうがないと思えますが、やらずに再発した場合の後悔の方が大きいなと思ったからです」
抗がん剤の副作用は辛かったが、髪も抜けず、点滴での投与ではなく錠剤の薬で想像とは違ったという。
しかし、「3〜4週目から体のだるさや、口内炎、爪の色素沈着などが始まりました。でも、辛いときは飲まなくて良いと医師に言われていたため、途中で飲むのを止めることもできました」
胃を摘出しているため、手術後は何も食べることができず、体重は41kgまで減った。その後少しずつ食べられるようになったとはいえ「うどん1本を100回以上噛んで飲み込んで、それで満腹でした」
食べたものは直接腸に送られるため、特によく噛んで消化する必要がある。「食道も一部切除しているのもあって、食べ物が喉に詰まってしまったり、めまいなどのダンピング症候群になることもありました」
「以前と同じくらい食べられるようになったなと思うのはここ1〜2年」という吉川さん。手術後の冬から始めたジョギングを継続していたおかげで、食べられる量は増えてきているという。
「やっぱり美味しいものを食べたい」と話す吉川さん。好きな食べ物は肉と野菜だ。
ジョギングから始めたリハビリは、今ではフルマラソンを走れるまでになった。5年間の経過観察のあと、検査をしてもがんの再発はなく、去年の夏頃、医学的に完治となった。
■「一緒に食事」がなさそうな本屋でアルバイト
がんになってから1年半が経った頃、療養期間を終えた吉川さんは本屋でアルバイトをはじめた。
同僚にはがんのことは伝えなかった。「本屋ならあまり一緒に食事に行くということがなさそうだと思ったのと、やっぱりがんのことを伝えたら正社員になれないんじゃないかと思ったんです」
結局、本屋では正社員になれなさそうだと思ったこと、術後3年目の検査の結果が良かったことから、そろそろ自立しようと転職活動を始めた。
まずは自力で転職活動をしていたが、新卒1年目で退職している理由を「一身上の都合」と書いていた吉川さん。転職活動は思うようにいかなかった。
「がんについて隠すと、何もアピールできることがなくなって、聞かれてもはぐらかすことになり、面接がうまくいきませんでした」
その後、同じような境遇の人たちがどのように仕事を見つけているのか気になり、若年性がん患者の患者会を探し入会した。
「そこで出会った甲状腺癌の友達が、就職活動でがんについて『この部分は隠したけど、ここは伝えたよ』と言っていたり、みんな強かにやっているのを見て、自分なりに頑張ってみようと思うようになりました」
その後、フルマラソンを完走した経歴や、本屋で頑張ったことをどう伝えたら自分が元気だとアピールできるか考えた。履歴書に「大病を患ったが完治している」と書いてみて、面接でがんについて話すようになった。
現在正社員としてはたらいているIT企業では、がんを伝えた上で採用された。「いまの会社では普通の人と同じように働いています。がんのことは人事と周囲の一部の人にだけ伝えています。」
会社の飲み会では「お酒が飲めない」という人で通している。「飲み会は、そもそもみんなあまり食べないので、食べなくてもなんとかなります」
大変なのはお昼ご飯の時だという。「昼は辛いです。いつもお弁当を作って持って行っているんですけど、『持参なんです』と言って断ると、一緒に食べられなくてちょっと嫌な顔をされたこともあります。一緒に食事行けなくて『やる気がない人』って思われていないかなと気にはなりますよね。」
■もしがんになった時に、受け止められる心持ちが大切
吉川さんは、なぜ自分の経験をこうして伝えるようになったのか。
「"拾った命"みたいな考えが自分の中にあって、こういう場に出てがんのことを話すようになりました」
「例えば、もし他の国に生まれていたら治療を受けられず死んでいたかもしれないし、こんな自分を必死に助けてくれる良い主治医とチームに出会えたのもたまたまだと思っています。」
「治療を始めて最初の方は、自分の食事を取ることで精一杯でした。でも、その後は直接的に医者に恩返しをしたいと思うようになりました。今は、この経験を聞いて元気をもらってくれる人がいたり、誰かのきっかけになれたら良いなと思って、一回命を救われているので、何か社会に対して伝えたいと思うようになりました。せっかく治った人生どうするかと思ったときに、世のために使いたいと思ったんです。」
最後に、当時23歳のご自身を振り返って、今の23歳の人に伝えるとしたら何かを伺った。
「絶対に病気にならないような暮らしをした方が良いとは言わないし、そうならないように生きた人生は面白くないと思うんです。でも、もしがんになったときには、それを受け止められる度量や心持ちというか、考え方はあった方が良いと思います。これはがんだけではなく、ほかの病気になったときや、何か辛いことがあったときにも活かすことができると思います」
■がんとLGBTに共通すること
吉川さんへのインタビューを通じて、吉川さんの胃がんが発覚した時と同じ23歳の私が、もしがんを告知されたらということを少し想像してみた。
イベントでは、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)に関するワークショップも行われたが、私自身がんに対する思い込みに改めて気付かされることが多かった。
また、私は普段LGBTに関する情報をメインに発信しているが、がんとLGBTは全く異なれど、社会のアンコンシャスバイアスによって生じる困難には共通点があるように感じた。
例えば、吉川さんの転職活動の話を聞いて、がんを患っていることや、ゲイであることは、一見就職活動に関係がないように見えるが、その属性に紐づく経験や考えを話せないことは、自分という存在について十分に伝えられず、企業とのミスマッチにつながると感じた。
また、職場のお昼ご飯を一緒に食べられないことで生じるコミュニケーション上の懸念は、プライベートについて明かせず、徐々に職場や学校といった自分のコミュニティから距離が生まれてしまうLGBTの困り事のひとつにも共通する。
思い込みで判断せず情報を得ること、直接会って話すこと、こういった行動や、がん啓発を象徴するラベンダー、LGBTや性の多様性を象徴するレインボーを使った啓発などの積み重ねで、社会の意識は少しずつ変わっていくのかもしれない。