「ホモ」と言ったらダメ? 世田谷区議の上川あやさんに聞く、差別を法律で禁止すること

差別というものは、ひとりひとりの無意識の蓄積によって、知らず知らずのうちに社会に蔓延してしまう。

望んで誰かを「差別」したいと思っている人は多くはないだろう。それでも差別というものは、ひとりひとりの無意識の蓄積によって、知らず知らずのうちに社会に蔓延してしまう。

そんな「差別」を法律で禁止するという考え方がある。ある人は「差別は良くないと思っている。だけど、例えば『ホモ』って言ったらいきなり法律で罰せられるのは怖い」と言った。

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「差別」も「禁止」も、ズッシリと重々しく感じる言葉だ。そして、そのイメージだけが先行するとなんとなく「怖い」という感情につながってしまうだろう。

「差別」とは何か、そして法律で「禁止」するとはどういうことなのか。今年4月にLGBTや外国人に対する差別を禁止する条例が施行された、東京都世田谷区の区議会議員、上川あやさんに話を伺った。

世田谷区議会議員の上川あやさん。男性として生まれ、現在は女性として生活するMtFトランスジェンダーでもある。2003年に世田谷区議に無所属で初当選、現在は4期目。
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世田谷区議会議員の上川あやさん。男性として生まれ、現在は女性として生活するMtFトランスジェンダーでもある。2003年に世田谷区議に無所属で初当選、現在は4期目。

約5割が外国人であることを理由に入居を断られた

差別とは「ある特定の個人や集団、属性により取り扱いに差をつけ、不利益を与えること」と上川さんは説明する。1979年に国連総会で採択された女性差別撤廃条約を参考にすると、差別とは、ある属性によって区別し排除や制限をすることとも言える。

こうした属性による"取り扱いの差"や"排除"は、世田谷区でも起きていることが調査で明らかになった。

「世田谷区では、過去5年間に家を探した外国人のうち、52.4%もの人が『外国人であること』を理由に入居を断られていました」。

また、NPO法人虹色ダイバーシティの調査によると、トランスジェンダーの方が「性別を記載しない履歴書で採用され、採用後にカミングアウトした際『うちでは受け入れられない』と採用を撤回された」という声もある。

他方で、内閣府の調査では、29.1%の人が、性的指向を理由に就職・職場で不利な扱いを受けるという問題が発生していると感じていることがわかった。

そんな中、世田谷区が性的マイノリティ当事者を対象に2016年に行った調査では、51.3%の人が「法律や条令でLGBTに対する差別を禁じてほしい」と回答している。

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差別は禁止、しかし罰則規定はなし

今年3月に成立した条例で、世田谷区は性別等(「性別等」の定義には性的指向、性自認を含む)、国籍、民族による差別を禁止した。

第7条にはこう書かれている。

「何人も、性別等の違い又は国籍、民族等の異なる人々の文化的違いによる不当な差別的取り扱いをすることにより、他人の権利利益を侵害してはならない」。

条例に違反した場合、何らかの処罰を与える「罰則規定」はないが、区民の申し立てを受け、調査し、区の対応が適切かどうかを審議する「苦情処理委員会」が設置される。

「もし区の取り組みで何か差別的なことがあれば、苦情という形で受け付けます。区民どうしや事業者とのトラブル、特に悪質な事案に関しても相談を受け付け『あなたのやっていることは条例で"してはならない"と定めた事項に該当します』と区の職員が相手方に説明し、再考をうながすことが可能です」。

同じような取り組みとしては、法務省の人権擁護局がADR(裁判外紛争手続)という形で、仲介や調停などを行っている。

「第三者である区が条例という根拠を持って相談に応じることができます。強制力はありませんが、被害の救済を求める裁判になれば、条例に基づく差別の禁止が裁判所の判断を有利にみちびく根拠のひとつにもなり得ます」。

また、今回の条例はメディアにも多く取り上げられた。条例の周知・啓発は差別の予防にもつながる。

「この条例が成立した時、明らかに(Twitter等で)ヘイト勢力を刺激しました。確信犯的に差別や排除を扇動する人にとっては、この条例は脅威だということです。その分だけ悪意のある人たちに対するけん制にも繋がっていると実感しました」。

条例の仕組みと効果
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条例の仕組みと効果

書いてある文章は「一般的な良識」

この条例に関するメディアの報道では「差別禁止条例」というタイトルが目立った。禁止という言葉から怖い印象や、違和感を持つ人もいる。

「"禁止"という言葉に反応するかもしれないけれど、そこに書かれている文章をよく読むと、一般的な良識、常識的なことしか書いていないんです」。

確かに条例に書かれているのは、性的指向や性自認、国籍、民族等を理由に「不当な差別的取り扱いをすることにより、他人の権利利益を侵害してはならない」。これは「人を見た目で判断してはいけません、いじめてはいけません」といったような、とてもベーシックなことだ。

「差別のない地域社会は、自治体が行動するだけでは実現できません。条例では区民、事業者にもこの条例を理解し協力するよう努める責務を定めています。区民の代表者により決められた『みんなで暮らすためのルール』を、区民、事業者と共有し実践していくことで、初めて差別のない社会が実現できる。その一番のベースが条例なんです」。

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法的には「禁止」という言葉に意味がある

「もともと条例のたたき台には、『他人の権利利益を侵害してはならない』ではなく『他人の権利利益を侵害しないよう留意しなければならない』と書いてありました。これでは法的には『気をつけなさいよ』という意味でしかありません。何らかの意味で『気をつけていた』とさえ言えれば、差別をしても許されてしまいます。こんな恥ずかしい条例では全くダメだと強く抗議し、改めてもらいました」。

禁止ではあるが、罰則はない。そもそも差別禁止は、民事の裁判においては法的根拠にはなり得るが、刑罰が課せられるわけではない。

「『ホモ』と言うと罰せられてしまうのか」という冒頭の問いついて、答えは基本的にNOだ。

しかし、セクシュアリティを理由に就活の面接で落とされたり、会社をクビにされたり、外国人であることを理由に入居を断られるといった私人間の「権利利益の侵害」に対しても、当事者は区に相談ができるようになる。区も不当な権利利益の侵害がハッキリした場合には、被害者に寄り添い、相手方に理解を求めるとしている。

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「おかしいことをおかしい」と言うための勇気を与える

弱い立場の人たちは、これまで「嫌だ」と声をあげたり、「こんなふうに感じているんだ」と説明できるような力関係にそもそも置かれていなかった。

民主的な基盤の上で決めた条例は、「おかしいことをおかしい」と言うための勇気と言葉を与えた。

「条例が、社会の基本ルールをはっきりさせることによって、『これは我慢しなきゃいけないことなのかな』と思っていた当事者が『やっぱりこれはおかしい!』と根拠をもって声をあげられるようになると思います」。

しかし、この勇気は時に衝突を招くだろう。

さまざまな考え方の人がいる中、制度を作ることは簡単ではない。条例の成立も同じく、どのように勝ち取っていくかを考えなければ、差別から身を守ることはできない。

政治や制度作りは残念ながらパワーゲームな側面もある。その際に生じる議論の衝突は必至だろう。

どこかで折り合いをつける必要はあるが、いま不当に権利を奪われ、本当に困っている人が守られる制度が求められる。

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民主的な基盤を持って積み上げていく

最後に上川さんは「変な言い方ですが、『これはしてはいけません』と条例で再確認しなくても、そんなことがそもそも起きなければ条例は必要ありません」と話す。

「それでも、民主的な基盤を持って『してはいけない』ことを『してはいけない』と示し、積み上げていかなければならい現実があるのも確かなのです」。

先日、東京都でも差別を解消するための条例を、来年4月に施行を目指すと発表した。これまでも首都圏を中心に、東京都多摩市、国立市、武蔵野市、文京区、台東区、渋谷区などで性的指向や性自認を理由とする差別の禁止を取り入れている。

こうした自治体の事例が積み上げられ、未だない国レベルでの性的指向や性自認を理由とする差別をなくす法制度へのつながりを期待したい。

取材を振り返って

差別と法律について考える時、どうしてもイメージによって「何か発言したら法律で罰せられてしまうのか」「だったらもう関わらないようにしよう」と恐れを感じてしまうこともあるだろう。

しかし、それはむしろ「何か」がわからないから怖いのであって、「赤信号」が定義されることで、自分自身も「無意識のうちの加害者」にならなくて済むことになる。

環境や運任せにするのではなく、特に弱い立場に置かれた時にこそ、きちんとした保障や保護が得られる法律が必要ではないかと私は考える。

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私を含め、もちろんすべての人が無意識のうちに誰かを差別している可能性はある。しかし、「ただ知らなかった」という背景には、学校や家庭で教えてもらうことがなかったということや、そもそも教育制度の中に組み込まれなかったこと、テレビのバラエティ番組から受ける影響など、さまざまな要因がつながっている。

差別をなくしていくためには、この折り重なる"構造"を具体的な仕組みで変えていくことが重要ではないだろうか。

構造は、上に挙げたようなさまざまな要因によって、ひとりひとりの言動がパターン化されてできていく。

つまり、マクロな視点で社会の構造について考えながら、ミクロの視点でひとりひとりが実践するという両者の視点の行き来が必要になってくる。

明治大学の田中准教授の言葉を借りると、湖にひと粒の小石を投げ入れるとさざ波が広がっていくように、ひとりひとりの意識と行動の変化が、社会の構造を変えていくのだ。

誤解を恐れずに言えば、敵はある個人というよりも、散り積もってしまった「無意識」による差別の構造である。

性的指向や性自認、国籍や民族といった属性による差別をなくす、そのベースとなる"法"が持つ役割は大きい。

(2018年5月24日fairより転載)