ビッグデータが導き出した第47回衆院選の議席数予測
前回の参院選で高い的中率を示したビッグデータ分析による予測ですが、
投票率のいかんに関わらず自公が圧勝するという衝撃的なデータが算出されました。
>最終的に、投票率が50%台前半だと自民党は300議席、公明党が48議席、
>投票率が約60%だと自民党は311議席、公明党47議席となり、与党合計は少なくと
>も348議席と解散前より与党の割合はさらに大きくなるとの結果になりました。
「投票率が高ければ野党が伸長し、組織票に支えられている自公は苦戦する」
というのが定説だっただけに、これは私としても驚きの結果です。
公明党の議席がそこまで伸びることは考えづらいので
このデータの通りにはならないとしても、いかに民主党・維新の党などの野党が、
民意を掴めていないかという一つの証左にはなるでしょう。
また、同じくデータ分析で著名なブロガー・やまもといちろう氏の分析でも、
与党の圧勝が導き出されるとともに、「誰にも入れたくない」「どっちもいやだ」
という有権者たちの民意がデータから示されているとしています。
調べれば調べるほど、民意ってのが分からなくなる - やまもといちろうBLOG(ブログ)
>今回の都市部を見ておりますと、
>いわゆる「罰ゲーム選挙区」がたくさん出てきておりまして楽しいわけです。
>いいですねえ、この民主主義の糞みたいな側面。
(中略)
>投票は義務だから行くけど、匂う糞と匂う糞のどっちがより匂わないかというのを選ぶ戦いです。
>あまりにもアンモニア臭が強いので、与党に追い風とか、奇襲選挙特有の争点のブレとか一切関係なく、
>ただただどっちも嫌だという有権者の罰ゲーム感だけが調べる者の心に響きます。
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こういう流れの中でなんですが、私が今日伝えたいメッセージはやはり、
「それでも皆さん、投票にはゼッタイに行きましょう!」という月並みなものです。
今回、投票率が戦後最低となる50パーセント台前半と予測されています。
私が聞く限りで行かない理由として最も多いのは、
「入れたい人がいない、政党がない」
というものです。私もこの世界に足を踏み入れるまではそう思っていましたし、
選挙には行くものの、白票を投じたりしておりました(東京12区なので...)。
しかしあるときを境に、その考えが変わりました。
そのきっかけが今日の記事のタイトルにもなっている、哲学者の言葉です。
「選挙(民主主義)とは、ろくでなしの中からもっともマシな人間を選ぶ作業である」
(凄い刺さった言葉なのに、出典がどこかは失念)
そうなんです。そもそも論として選挙は、
「入れたい人」「素晴らしい人」を選ぶものではないんです。
どれもダメそうだけど、誰が一番ベターなのか。
それを考えて考えて、考え抜くことで少しでも良い選択を積み重ねていくのが、
民主主義という回りくどくて、最低で、それでも今ある中で最良のシステムなのだと。
優秀な人、優れた人に為政者になってほしいなら、
王政や貴族政の方がよっぽど手っ取り早いシステムかもしれません。
どこかで偉くて優秀な誰かが、勝手に物事を決めてくれるなら、これほど楽なことはありません。
でも我々は歴史の中で、それにNoを突き付けました。
どんなにつらくても、苦しくても、自分たちの道は自分で決める。
最低の中から最良を選ぶ手順を繰り返して、少しでも今日より明日が良くなるように試みる。
それが今日の平和な日本を支えている、民主主義なのだと。
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それからの私は、白票を投じることをやめました。
一人ひとりが悩んで、迷って、それでも何かを決断することが、
私たちのやるべきことだとわかったから。
選挙とは、投票とは、単に政治家を選ぶことではありません。
そこに至るまでに我々が真剣に国や社会のことを考え、明日から何をなすべきかに気づく。
そんな一つの儀式なのだと言えるでしょう。
選挙の結果がいかなるものであったとしても、
一人ひとりが真剣に考え抜いて決断したことは、決して無駄になりません。
「選挙(民主主義)とは、ろくでなしの中からもっともマシな人間を選ぶ作業である」
私たちは歴史の中で、単に優秀な人に下駄を預けることを放棄しました。
だから、政治家に優秀な人がいないのも、ある意味「当たり前」のことなのです。
そう思えば、候補者に不満のある選挙区でも、
ちょっとだけ投票に行く気がしてきませんか?
国民一人ひとりが考えて投票した時、
データや結果の議席数では計れない何かが、きっと残るのですから。
明日は投票日前のラストサンデー。
私も応援する無所属候補の応援に駆け付けたいと思います。
それでは、また明日。
(2014年12月6日「おときた駿公式ブログ」より転載)