こんにちは!縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
この前、シアターの控室で同僚とこんな話題になりました。
オリンピックといえば世界が注目するスポーツの祭典。2020年の東京オリンピックを目指し、日本中の体育・スポーツ関係者が奔走していることと思います。
しかし剣道は、あえてオリンピック種目にしない事を望んでいるようなんです。
国際化によって剣道の持つ「武道的特性」が失われてしまう!
体勢メチャクチャ、残心無し、審判に抗議はするし、勝てばガッツポーズ、負ければ竹刀を叩きつける、最悪「納得イカン!」と、試合後の整列、一礼拒否なども・・
正直礼儀どこいった?品格どこですか?状態です。
自分はこの事実を知りませんでした。ダブルダッチ・縄跳びもオリンピック種目を目指しています。しかし剣道の事例を見て、全てのスポーツ競技が一概にオリンピック種目を目指す必要があるか?という疑問が湧いてきました。
競技ルールは絶対じゃなくなる?
オリンピック種目に選ばれれば、世界中の国が出場を目指して練習してきます。種目に入る前後では、桁違いに競技人口も増えることでしょう。
すると色んな国の思惑が増えてくるんです。その影響をモロに受けるのが競技規則。どの国も自国の選手を勝たせたいと考えますよね。ここに国や地域によって得意不得意がある場合、影響力や政治的なやり取りで競技ルールがコロッと変えられる恐れがあるんです。
たとえば特定の国が強すぎる場合、その国に不利なルールにするとか。。。競技ルール作成に権限がある人の国が勝ちやすいルールにするとか。けっこう露骨にやってくれます。
まだオリンピック種目に入っていないマイナー競技の縄跳びですら、こうした「国同士の競技規則バトル」が繰り広げられています。このバトルに競り負けた国が反旗を翻して他の団体を立ち上げたり、なんてのが結構普通にまかり通ってます。
日本人にとって競技ルールは絶対、という印象が強いです。でも欧米諸国では「競技ルール作成」の段階から、すでに戦いは始まっているんです。
公平性と客観性が求められる
世界的な競技種目になれば、勝ち負けの注目度がグンと上がります。
すると「なぜこの選手が勝ちなのか?」についてシビアな根拠が必要です。場合によっては数億円単位のお金が動くこともあります。ここには公平性と客観性が求められるんです。
「大御所の◯◯さんが勝ちって言ってるんだ!!」とか、「バトルでこのチームが一番観客を盛り上げたんだ!!」という曖昧なルールだと厳しい。この10点は何を基準に10点なのか。審判は8点と言っているけど、残りの2点はなぜ引かれたのか。こうした事実を説明できる裏付け。
つまり、客観的に誰が見てもこの人金メダルだよね?という論拠が競技ルールで決められないとダメなんです。
客観的な論拠で言えば、計測競技は分かりやすいですよね。誰が見ても10.00秒は10.00秒です。ビデオ判定をしてスロー再生すれば、誰が見ても勝負が判断できます。
でも採点競技は一筋縄では行きません。審判の基準、競技ルール、引いては個人的な感情をどれだけ排除して公平にジャッジできるかは永遠の課題とも言われています。
各国はこの課題に上手く切り込んでくるため、競技ルール作成の時から戦いが始まるのです。
業界が潤えば投資が出来る
言わずもがな…かもしれませんが、オリンピック種目に選ばれるプラスは沢山あります。
その中でも特に大きなのが「注目度」です。サッカーのようなお化け競技は別として、どうしても個別の世界大会よりオリンピックの方が注目度が高いです。さらに国内でメダル有力候補がいるとなればメディアにも取り上げられ、オリンピック種目に入る前後では桁違いの注目度になります。
注目度が上がれば何が生まれるか。端的に言えば、業界内で「お金」が回るようになります。メディア露出が増えれば企業スポンサーも付くでしょうし、競技人口も爆発的に増えることが予想されます。こうなれば業界として流れるお金の絶対量が桁違いに増えるでしょう。
お金が回る業界は投資が出来ます。競技未開拓の地域に指導者を派遣する余裕も生まれ、世界的な普及を一気に推し進められるでしょう。くわえて次世代への投資、代表選手団への補助、強化費の捻出など、投資が出来る余裕がある否かで、大きな違いが生まれていくのです。
たまに聞かれるのですが、マイナー競技の殆どは世界選手権への出場費・渡航費が全て実費です。日の丸を背負って戦うとか、そんな綺麗事だけでお金は集まりません。自分も現役時代、世界選手権に出場するために15万円〜20万円を貯金する必要がありました。
代表強化費、報奨金、スポンサー…そんなのは、本当に本当に一部の注目度の高いスポーツに限られています。
多数決とグローバル化で起こること
オリンピック種目に選ばれればプラスも多いでしょう。また世界へのスポーツ競技の普及は素晴らしい事にも見えます。しかしそれは多様な価値観を受け入れることも意味しています。
たとえ日本発祥の文化を下敷きにしていても、グローバル化によって多様な価値観を持つ世界中の人の賛同を得なければいけません。その過程で、たとえ本家本元がNoを突き付けても、多数決の原理で競技ルールが歪められる恐れがあります。
Japanse Styleのダブルダッチは世界に向けて急激な広がりを見せています。世界に普及するのは良い事がある反面、こうした弊害が生まれる一面も考える必要があると思います。
(2015年6月28日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)