こんにちはー。縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
2009年にシルクドソレイユの契約が決まったときは、マジでうれしい瞬間でした。憧れのステージ立てるワクワクが全てを塗りつぶしてたんです。
しかしいざステージに立つようになったら、いくつもの挫折感を味わいました。押し潰されそうな時期もありました。
やはり、あれだけ大きな集団にいるからこそ、自分の力の弱さを痛感する機会が多いんですよね。
シルクドソレイユで感じた三つの挫折感
縄跳びであることの弱さ
まず一発目に感じた挫折が「アクト」の弱さ。身も蓋もない話なんですけど、こればっかりは避けられない挫折感でした。
シルクドソレイユはサーカス集団なので、ほとんどのアクトがアクロバットです。世界レベルの宙返りや大がかりな装置でのパフォーマンスを目の当たりにして、ロープを振り回すぐらいで彼らと互角に演技ができるのか...?と不安で押し潰されてました。
だからこそ、縄跳びだけじゃなく「クラウニング」を学ぼうと決心したんです。
俺には...話題性がない
その後すぐに来たのが同僚のnasaの経歴とバックグラウンド。彼は大学院時代にJaxaに研究室があったことを始め、話題性では圧倒的に群を抜いていた。シルクドソレイユのアーティストの中でもトップクラスの異色の経歴ですよ。
ここにバックグラウンドの無いただの縄跳びアーティストとして入った粕尾将一。二人で並んだ時には確実に「あ、もう一人ね」的な扱いを受けました。ステージに立つ段階で、話題性という意味でスタートラインが全然違ったんですよ。
映像に映る現実と理想のギャップ
そして何より苦しんだのが「理想と現実のギャップ」でした。
デビューの演技を映像で見たとき、思い描くパフォーマンスとかけ離れすぎてて衝撃を超えた挫折を感じたんです。この頃は他のアーティストの演技やショーも沢山見てましたからね。思っていた以上の自身の未熟さに打ちのめされていました。
こんな三つの挫折感で、シルクドソレイユ入団と同時に打ちのめされてたんです。
現在(いま)にこだわる
これを乗り越えるため、自分は「現在」を最重要視するようになりました。周囲との差が歴然であっても、バックグラウンドの話題性が無くても、今現在の結果を残すことで評価を積み重ねるしかないと気付いたんです。
まず、シルクドソレイユで評価をされる場所はどこかと考えました。
やはりそれはステージ上なんだなぁと。なのでしばらくの目標は自身の演技を磨き上げることでした。入団時に感じた理想とのギャップを埋めるために、毎日の映像を見直して1㎜でも理想に近づくべく反省と重ねたのです。
映像を見直して修正を重ねる日々を2年ほど。ようやく「見れるな」と思えるレベルまで到達することができました。
するとあれだけ毎日映像を見直しているので、他の同僚から面白がられるようになったんですよ。16時45分になるといつも登場時計のようなアーティストだと笑われながらも、業務査定の評価にも「ショーに真剣に向き合っている」というコメントが載るようになったんです。
このとき二つ目の方向性に気付いたんです。
いやらしい話ですが、ステージの外でも周囲に真剣に取り組んでいる様子をパフォーマンスをするのも有効なんですよね。人に見える場所で真面目で真剣に取り組むんです。
このポイントに気付いてから同僚とコミュニケーションを積極的に取るようになりました。「○○を修正したい、○●の意見を聞きたい、○○について教えてほしい」といった具合に、縄跳びアクトを良くするために協力してほしい!というメッセージを発信し続けたんです。
すると晩年にダブルダッチが取り入れられた頃にはチームキャプテン*1の役職の話も持ち上がり、仕事での評価も受けられるようになりました。
人に見える工夫を
評価を受けたいなら行動して努力するのは前提です。しかし評価をするのは他人。いくら努力を続けても、誰も見えない場所では評価を受けることはできません。
世の中はスタートラインからハンデ戦が強いられることがあります。学歴や話題性、分野間の特性など、不利に立たされる場面は少なくないと思うのです。
しかしハンデで持っているのは過去でしかありません。過去はいまの評価と信頼の参考になりますが、本当の評価は「いま」の方が強い。むしろ有利な反で持っていると結果に対するハードルがあがるというデメリットもあるんです。
シルクドソレイユ入団時、話題性もない単なる無名アーティストの粕尾将一。
クラウンのオーディションやキャラクターを演じるチャンスをもらえたのも、「現在(いま)」にこだわり続けたからなのかな?と感じてます。
*1:集団演技でアーティストをまとめる役割のこと
(2016年5月19日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)