東京都知事選挙、蓋を開けてみれば46.15%と低調に終わった。ツイッターやフェイスブックなどSNSメディアでは「がっかりした」といった声が大きく聞こえたが、正直まぁ、こんなものだろうと思った。原発問題やTPPに秘密保護法、切迫する雇用や子育て(保育園)、介護など幾多の問題を抱える私たちだが、実際に街へ出てそうした問題についてのチラシなどを配布してみても、常にほとんどが無視されることを私自身が体験してきた。
もちろん中にはわざわざ声を掛けてきてあれこれ語るような熱心な人も、チラリと一瞬はこちらに目を向ける人もいるが、多くはまったく何も見ない、何も聞こえない風に通り過ぎて行く。まったくの無感情で「この人たちは何をしているのだろう?」という私たちへの問いかけ的感情の揺れがまったく見られない。一切の関わりを拒絶する姿を何十回となく見てきた。
そうした体験や、昨年の都議会議員選挙の投票率が43.50%ととても低かったことに「どうにかしなきゃ」という思いを抱き、私は「選挙ステッカー」というものをツイッター上で始めた。
昨年7月の参院選直前のことだ。当サイトでも今選挙期間中にご紹介いただいたが、政党や信条に関係なく、ひたすらに投票行動を促すことだけを目的にしたステッカー運動で、ツイッター上で広く作品を寄せてもらうよう呼びかけ、集った作品を次々ツイッター上でアップしていく。それを各人が自由にダウンロードし、プリント、「GO VOTE=投票に行こう」「I VOTED=投票した」と描かれたステッカーをそれぞれが好きなようにポストや玄関、手帳や携帯、パソコン、カバンなどに貼ってアピールしてください、というものだ。
元々は2012年のアメリカ大統領選挙の折に海外セレブたちが、「I VOTED」というシールを胸に貼った自分撮りの写真をツイッターにアップしているのを友人のブログに見つけ、「いいなぁ」と見たのが最初だ。ちょっとしたミーハー的な憧れといえる。
当初はいっしょに始めた友人の絵本作家・たごもりのりこや、周囲の知り合いのデザイナーやイラストレーターらに頼んだ作品をアップし、togetterまとめに集めるだけだったが、そこへ「ツイッターを見た」と構成作家の呉比悦子が加わり、漫画家さんへの呼びかけを始め、すばらしい作品が集まり始めた。
「朝日新聞(関西版)」や「東京新聞」にも取り上げられ、こんな風に貼った、やった、という声も多く寄せられた。そして今回の都知事選。さらにこの運動を広められないものか? と試行錯誤をして、LINEへの業務提携願いを出してみたり(丁重に断わられたが)、実際に自分たちでステッカーを何十枚もプリントアウトして切り、置いてくれるお店を募集して送ったり、実際にお店を廻ってお願いしたりと、ネット上を出て足を使った行動も始めた。もちろんすべてボランティア。作品を寄せてくれている人たちも全員が無償で描いてくれている。
作品もさらに増え、今では作品総数は50を超え、すみません、数えられませんという風になった。著名な漫画家さんらからも次々に作品が寄せられ、それをアップするたびに瞬く間にリツイートされて拡がって行った。日本テレビのニュース番組「every.」にも取り上げられ、ネットのニュースにもなった。
そして投票日当日。驚くほど多くの人が「投票行ってきた、貼ったぜ」と選挙ステッカーを添付したツイートをして、面白がり、シェアしていた。それを見た東京都以外の人が「東京はいいなぁ。楽しそう」というツイートもあった。
これこそ、まさに私の目指していたものだ。選挙に行くということを楽しみ、面白がり、なんだか楽しそう、と誰かがうらやましそうに思う。とても単純で、ある意味では不純だ。選挙とはそういうものではないだろう。もっと考えてやるものだ。そういう声があるのも知っている。私もそう思う。だが、そこまでまったく行かない現状がある。自分の興味があるもの以外はまったく見えない、聞こえないと閉じてしまう人の多い今、あそこでは何か楽しそうなことが行われている、と思って関心を少しでも寄せて欲しいと願うのだ。
しかし、そんな私たちの盛り上がりとは裏腹に実際の投票率は低かった。結局、昨年の都議会議員選挙より3%弱ほどしか上がっていない。大雪の影響もあるだろうが、どうだろう? 前回の都知事選挙では43.59%と年代別では最も低かった20代(前半)と、44.41%と次いで低かった20代(後半)が今回も投票に足を運ばなかったのではないか? と推測する。私たち選挙ステッカーはまさに、その層にアピールしたいと思っているのだが、まだそこへ伸ばす手がなかなか届いていないのが現状だ。
選挙期間中、色々覗いた街頭演説会などで私は幾人かの20代男女と話をした。中でも記憶に残っているのが、ちょうど就活を始める間際の大学3年生の女性だった。彼女は「私たちには自己責任、というものが刷り込まれている」と言っていた。自己責任、2004年のイラク戦争時に日本人の市民活動家やジャーナリストが武装グループに拘束されたときに巻き起こって以来、何か事が起こるたびにその言葉が飛び交い、10年をかけて今やすっかり根付いている。
この自己責任論は聞けばどうやら政治にも及んでいる。私たちには長く「政治家なんて誰がやっても同じ」という感覚が染み込んでいるが、そこへ自己責任論として「自分の問題は自分で片付けるべし」という思いが強く重なっているというのだ。政治家が誰だろうと関係ない。選挙になど行ったところでどうにもならない。20代の目の前に山積みされる雇用やブラック企業、奨学金の返済といった幾多の問題を自分だけで解決していこうとあがいている。
今、大切なのはこの20代の彼らに、「いや、そうじゃない。あなたたちは1人ではない。あなたと社会はつながっているのだから、みんなと問題を解決していこう。だから投票へ」と訴えたいが、20代にそんなことを真剣なまなざしで訴えたところで「だっせぇ」「うざい」と目を背けられるのがオチだ。「みんなで」とか「いっしょに」なんて、20代の頃の自分を思い出すと最も嫌いな言葉だった。「ほっといてくれ」と叫びたくなった。もちろん、目の前に万札を並べ、「私たちが助けましょう」とでも言えばまったく別であろうが。
では、どうしたらいいのだろう? 投票所入り口でブタ汁でも大鍋で作って配るか? 一体幾つ鍋が必要なんだ! 違う。私に出来ることはやはりこの小さなステッカーを使って、東京だけに止まらず、地方へも広め、面白がって関心を寄せてもらうしかないと思っている。
ちょうど都知事選挙と同日投票だった水俣市長選挙に行く方や、これからある山口県知事選挙に投票権のある方から、「使わせてください」というツイートをもらった。作品を寄せてくれた人から「地元の市役所が選挙ステッカーを使いたいと言ってきた」とも聞かされている。
まったく小さな歩みだが、実は私たちのような市民が「選挙に行こうよ」と呼びかけることは確実に拡がっていると思う。CDショップやバー、アイスクリーム屋さんなど、色々なお店が「投票済証」を見せれば割引をする、というサービスを自発的に始めたのをやはりツイッター上でたくさん見かけた。
インターFMの番組「バラカン・モーニング」では、「投票済証」を添えたリクエストには優先的に応えるという企画をやって、ふだんはDJのピーター・バラカンさんがかけないような曲が流れていた。
投票率は低かった。しかし、ここで嘆いていても始まらない。小さな歩みでも一歩ずつ市民が動く。その動きはすでに始まっているのだ。