8月27日から、日本は、ナイロビで、ケニアや国際機関と、第6回アフリカ開発会議(TICAD)を共催します。第5回を、2013年に私が横浜市でホストして以来3年目。しかも、TICAD史上、初のアフリカでの開催です。
皆さんは、日本がいつごろからアフリカに貢献活動をしていると思いますか。日本の経済が敗戦から回復し成長を速めた1970年代でしょうか。違います。アフリカで国々の独立が増え始めた1960年代でしょうか。それも違います。
90年近く前の1927年、医学を志した野口英世博士は、「志を得ざれば、再び此の地を踏まず」と書き残して、日本の福島からガーナのアクラに赴きました。野口博士は、アクラで人々を苦しめていた黄熱病の研究に勤しんだのです。幼少時に負った火傷で手足の一部が不自由であったにもかかわらずです。しかし、博士は、アクラの地で病に侵され、翌年、自らの命を失ってしまいました。
「アフリカの人々のために」。今日まで脈々と流れる日本のアフリカ協力のモチーフです。
アフリカには大きな成長の可能性があります。しかし、水、食料の生産力不足、インフラの不足、教育や技能訓練の遅れなどにより、また、一部地域では政治の不安定もあり、長い間、成長が低迷してきました。
日本は、「アフリカの成長は、アフリカ自身のためのみならず、世界の発展をもたらす」と考えながら、政府も企業もアフリカ発展への貢献を続けてきました。個々の日本人もです。
日本の若者を途上国に派遣する「青年海外協力隊事業」では、半世紀前の1966年に、ケニアで電機設備、建設機械に関する技術移転を行うために、力武秀雄氏、稲田武司氏、古谷五郎氏の3名の日本の若者が初めてアフリカに赴き、アフリカの夢を叶える協力を始めました。この事業では、今日まで計15,000名以上の日本の若者が、アフリカの延べ31カ国に滞在してきています。
日本の協力の特色は、アフリカで産業を育てる、アフリカの一人ひとりを大切にする、ということです。人々の生活に密着し、そこでの産物が人々の福利を向上させる、同時に、技術的には習得し易い農業や軽工業を第一歩として、アフリカ諸国で産業が育つことに協力してきました。アフリカによる「自分たちの産業」づくりです。アフリカ自身が持続的に富を得て、自律的な成長の途が開けてきます。
中には、国内資源に恵まれているが故に、資源価格が好調な時に、資源産業で高成長率を達成した国もあります。しかし、資源価格は値下がりし始めると、収入は減るだけです。それも時には急速に。つまり、自国の発展ペースが世界の価格相場により翻弄されてしまうのです。だから、私は、アフリカのために「自分たちの産業」づくりが重要と考えています。
そうした産業を担うためにも、私はアフリカの人材育成を重視しています。エチオピアの皆さんは、生産過程を作業員自らが省察して、向上策を生み出していく日本式のKAIZENに熱心です。ケニアでのトヨタ・アカデミーは、自動車分野のみならず建設機械や農業機械を、使用しメンテナンスするための技術・技能をアフリカの訓練生に授けています。また、ケニアで人気のナッツ「アウト・オブ・アフリカ」を製造するケニア・ナッツ・カンパニーは、ケニア発の世界有数のナッツ・カンパニーとなりました。住友化学は「タンザニアで、日本式の蚊帳の生産技術を移転し、蚊帳産業をつくると同時に、ここで製造される蚊帳が、マラリアの感染防止に貢献しています。
人材の育成に焦点をあて、私は前回のTICADで、ABEイニシアティブ(African Business Education Initiative for Youth)を提唱しました。これは日本とアフリカのビジネスの将来を担う若者を日本に招き、学んでもらおうというものです。日本に学ぶアフリカの若者は、じきに1,000人に達します。
日本は、官民を挙げて、アフリカの発展に貢献します。
日本のアフリカとの関係は、物を売る・買うという関係から、日本からアフリカに投資をし、技術を移転し、生産方法を授け、アフリカで産業を育てるという関係に深まっています。日本側の主役は企業や大学です。
TICAD VIでは、77社の日本企業や大学の代表者が経済ミッションとして私と共にナイロビを訪問する他、合計200社を超える日本企業が、各種イベントへの参加のためナイロビを訪問する予定です。アフリカ諸国とは72にも及ぶ覚書も締結する予定です。その機会に、日本と全アフリカのハイレベルの企業人が集まる「日アフリカ官民経済フォーラム」を設立し、日本とアフリカとの相互経済関係をさらに強めていきます。
インフラ整備の分野でも、日本は、持続性が高く、補修・維持コストも含めた中長期コストでは競争力のあるインフラへの投資資金を2,000億ドル規模で用意します。
再び、アフリカの健康対策、そして安定対策です。
90年前の野口英世博士の志は、現代の日本に受け継がれています。
昨年、ノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智さんが発明した、寄生虫による風土病の治療薬である「イベルメクチン」は、メルク社の協力によりアフリカに無償で供与され、年間3億の人々を失明の恐怖から救っています。また、エボラ熱発症時には、ギニア、リベリア、シエラレオネへの財政支援、日本から専門家の派遣、薬剤の提供や医療器具の供与を含む総額1億8,400万ドルの支援を行いました。また、女性特有のガン予防のために検診装置や検診車を提供してきました。
また、日本は、本年、アフリカを含めた世界の公衆衛生危機対応能力強化及び危機の予防・備えにも資するユニバーサル・ヘルス・カバレッジの推進を掲げ、国際保健を前進させるビジョンを提示し、新たに約11億ドルの支援方針を発表しました。
今や、アフリカの人口は約12億人に達し、近年、アフリカの成長が世界経済全体の成長率を上回るなど、「可能性」を現実のものにしつつあります。
「アフリカの発展なくして世界の発展なし」と考え、日本は、アフリカのパートナーとして、全力投球します。アフリカ諸国の首脳とナイロビで再会できることが楽しみです。