今回は、前半は上海カフェ、後半は「海外生活の孤独」の話。
上海はカフェ先進国。中国資本だけで無く、欧米、台湾、韓国からのチェーン店がやたらある。地元の老舗や個人が趣味でやってる専門店も多く、そのバリエーションは東京やNYを超えるかも。多くの建物自体が租界時代の20〜30年代建築だからちょっと古い家具を入れるだけでレトロで贅沢な雰囲気が簡単に作れるのは上海ならでは。
私の住んでる静安寺周辺も外人人口が多いのでカフェ密度は世界トップクラス。一言で外人(自分も含む)と言ってもいろいろで、東京にくらべて英米以外の外人が多いのが特徴。我がボロアパートのエレベータに乗ってくる人々もロシア、トルコ、南米など大抵耳慣れない言語を喋ってます。マナーも...まあ何というか真の世界標準で、馬鹿笑いして騒いだり、もめ事を起こして暴れる外人も多い。
カフェは租界時代からあるもののコーヒー文化は日本と異なりストレートのコーヒーはあまり美味しく無い。カプチーノやラッテを飲んでる人がほとんど。そして値段が高い! 一杯30〜50元 平均で35元(現時点のレートで670円くらいかな?)。これは日本円が急激に安くなった所為もあるけど月給3000〜5000元で働いてる人が毎日飲める金額では無い。でもどこのカフェも若い中国人客で盛況なのは家や職場で個人スペースが少なく寛げる場所に飢えてるからだと思う。働く女性達の中にはアパートだけで無く「同じベッドをシェアして寝てる」なんて人も普通にいますからね。
面白いのは古い家などを改造した手作りカフェ。学生気分の「垢抜けないが個性の強い」飾り付けが、昔の京都を思い出して懐かしくなる。野良猫?が勝手に入ってきて遊んだりして楽しい。店の主人もネコを撫でた後、手をちゃんと洗ってなさそうなんでピザ喰う時にちょっと「.....」となりましたが、まあ中国独自の「加熱した物はなんでも安全」と言うレギュレーションを信じましょう。できればスタバなどのチェーン店より、こう言うパーソナルな店が増えるといいな〜(手は洗って欲しいが)。
海外で暮らす最大の敵は「孤独」。
さて思い起こしてみれば「海外生活」にカフェは必需でした。ほとんど知り合いもいないコネも無い状態で異国に住み始めるので、とにかく一人で過ごす時間が半端なく長い。朝から夜まで一言も喋らなかった、なんて事は当たり前。「孤独」に耐えられない人は向いてないかも...。ここが矛盾してて「フレンドリーな人」じゃないと友人関係が広がらないが、self containedな人じゃ無いと長期間の孤独に向き合えない。極端な事を言うと「引きこもり」タイプの人は一度海外で生活基盤を作ってしまうと、リア充的にソーシャルな人より快適に暮らせるかも。
私は「良く喋るがコミュニケーションが下手」と言う根っからの一人っ子タイプ。仕事と恋愛以外で滅多に自分から人に会わない...と言う面倒くさい性格です。その代わり日がな一日カフェで本読んでても全然虚しくならない。学生時代にバイトしてたジャズ喫茶(古い?)の大音量コルトレーンで鍛えてあるのでの騒々しい店でも本や書き物に集中出来ます。
あまり一人で過ごす時間が長いと精神的に偏りが出てくることもある。まず考え事してる時に独り言が多くなります。そして弁証法的に人格が分裂して「一人で議論」して答えがコロコロ変わる。自分に対して、または「世界」への罵りの言葉を呟くのが癖になる。私の場合はNYでケーブルテレビにはまり50〜60年代のドラマばかり見ていたので、喋り方を真似するだけで無く世界観まで古くさくなっていった時もありました。
これらは一人でいる時は何の問題もないんですが、たまに人に会うと「あなたハイになったダスティン・ホフマンみたいよ」と言われて気味悪がられたりする(笑)。とにかく快適なアパートは子宮の様な物で自我が溶解して取り込まれる危険がある....だから猫を飼い、ガールフレンドと同棲して、知人がほとんどいないパーティに参加しても最後まで棒立ちしてる体力をつけた方が良い。
行きつけの書店、公園、カフェやバーが出来ると話しかけてくる人もいます。残念ながら「ノッティングヒル」みたいにジュリア・ロバーツが声をかけてくれるわけも無く、大抵暇な老人達ですが...。「ヒロヒトは元気かしら?」とロンドンのパブで上品なお婆さんに尋ねられた時は、それが天皇である事に気付くまで噛み合わない会話をしてました。Death Railway(泰緬鉄道)の話しを延々とする老戦士に囲まれて辟易した事もあったな。仕事に繋がる事はほとんど無く「微妙な味の何か」を貰う事が多かった。
老人達に信用されると何故か店のウェイトレスさんやバーテンダーとも仲良くなります。こちらは役に立つ情報を教えてくれる。アートスクールの学生達のたまり場カフェや広告代理店近くのバーなんかで仕事を紹介して貰ったり、一晩の食事や寝床をゲットしたりしてました。反対に自分のアパートを持ってからは転がり込んで来る見知らぬ人も時々いたわけで、大した金目の物を持ってないから盗られる事も滅多にありませんでした(カメラはスタジオに預けてある)。どちらかというと「何ももらわなかった」事の方がラッキーだった...。
マレーシアの雨漏りで崩壊しそうな天井、ボイラーが壊れたロンドンのアパートの骨が痛い湿気と寒さ、NYの一晩中鳴り止まない救急車のサイレン、乗車中に財布を盗られて一文無しで辿り着いたパリ北駅。思い出す時は無意識にロマンチックな風景に仕立て上げてるが、実際はひたすら困惑して寂しさに耐えていたはず...。惨めな状況を脳内変換して「文学的」味付けをする能力も大事だね。
今はネットがあるのでコミュニケーションは本当にユビキタスになりました。滅多に会わない親友よりfacebookで知り合った人との会話(テキスト)の方が数倍量的には多い。でも「孤独」の質が変わってきてるだけで、海外に住み始めた最初の興奮が落ち着いた頃にジワジワと蝕んでくる「寂寥」は消えてないんじゃないかな。
入るのに少し勇気のいるLife Cafe
老房子(古い家)やビルの優雅さは旧英仏租界の遺産。中華アールデコも面白い。